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20年ぶりに帰ってきた東明館と世界を繋ぐ架け橋の役割を果たしていく【認定NPO法人テラ・ルネッサンス 佐賀事務所 佐々木純徹】

福岡県朝倉市の出身です。高校から東明館に入学し、東明寮で3年間を過ごしました。2002年卒業の12期生です。京都の大学を卒業した後に陸上自衛隊に入り、10年間、国防の仕事に加え、国連PKO活動や災害派遣活動などに従事しました。現在は認定NPO法人「テラ・ルネッサンス」の佐賀事務所で働いています。

テラ・ルネッサンスは「地雷」「小型武器」「子ども兵」「平和教育」という4つの課題に対し、現場での国際協力と同時に、国内での啓発・提言活動を行うことで課題の解決を目指しています。佐賀事務所では特に佐賀県や北部九州を中心に、国際協力や人権・平和構築分野に高い見識のあるスタッフが講演・平和教育活動・グローバル人財育成事業を担当しています。

東明館学園とは2021年7月に包括連携協定を結び、グローバルな人財を育成するためのカリキュラムをつくり、探究コースに取り入れています。

国連PKO活動に携わりたくて陸上自衛隊へ

私は高校時代から国際貢献活動に関心がありました。寮での勉強時間にたくさんの本を読む中で、1994年に起きたルワンダでのジェノサイド(大量虐殺)を知りました。「世界では様々なことが起きているけど、特にアフリカではすごいことが起きているんだ」と、本からたくさんの知識を得ました。

大学に入ってからは「世界の現場に行ってみたい」という思いから、カメラを持って現地に行き、災害の現場などを写真に収めて報道機関などに販売していました。当時はスマートフォンもなく、世界の現場の情報を集めるためには自ら足を運んで体験するのが大切だと思っていたので、いろんな現場を訪れました。

2006年、インドネシアのジャワ島でマグニチュード6.3の大地震が発生、約5800人が亡くなり、約14万人が負傷しました。私は地震が起きた後、すぐにインドネシアに行き、現地の様子を写真に収めました。

このとき、日本の自衛隊が災害現場に入って現地で救助活動にあたっているのを目撃しました。日本から駆けつける自衛隊のスピード感に驚くとともに、「こうした国際貢献の形もあるのか」と感心しました。

大学に入ってからは、国際貢献の形としてマスコミ業界に就職して海外の出来事を報道したいと思っていました。でも、自衛隊の国際貢献の仕事を調べていくと、海外での災害現場だけでなく、世界各地における紛争解決のために国連が行うPKO活動に自衛隊が参加していることを知りました。

次第に「PKO活動に携わってみたい」と思うようになった私は、自衛隊に入隊。日本各地の災害現場での救助・復興活動にあたり、念願だった国連PKO活動の任務に就きました。

戦争と紛争は最もきつくて重い社会課題

PKOではウガンダに駐在し、物資調達の任務にあたりました。道路や橋を造るための機材や材料調達、南スーダンで活動する自衛隊員の食糧の確保などを担当していました。

現地では、ある男性との出会いが強烈な印象として残りました。ウガンダの反政府組織勢力「神の抵抗軍(LRA)」の指揮官だった男性が、携帯電話ショップのスタッフとして働いていたんです。

私はLRAに対して怖いイメージを持っていたので、街中で出会えるとは思っていませんでした。当時のウガンダは紛争が終結して10年ほど経っていましたが、反政府組織勢力にいた人がウガンダの首都で暮らし、社会復帰をして働いている。この出来事に驚きつつ、「これはとても重要なことだな」と思ったんです。

南スーダンにも行きました。赴任当時も紛争まっただ中で、今も内戦が続いている国です。戦地の雰囲気は争いがない国とは違いますし、人々に目つきも違って、「これが戦争をしている国の雰囲気なのか」と衝撃を受けました。日本と全く違う、と。

日本には貧困や格差、地域の課題など多くの課題があります。同時に、世界にも様々な課題があります。課題の現場を数多く見てきた中で、戦争と紛争は社会課題としては最も重くてきつい課題だと思いました。実際に紛争現場を見て、非常にインパクトがあったんです。

「戦争や紛争がない世界がつくりたい、そうすれば女性や子どもの生活がガラッと変わり、より良い世界になる」。そんな思いを抱きながら、2015年末に帰国しました。帰国後は九州に駐在し、熊本地震の被災地救助や支援活動に従事しました。

後悔しない生き方をするために自衛隊を退職

2017年、九州北部豪雨が発生、朝倉市をはじめ多くの地域が洪水被害に見舞われ、多数の死者が出ました。中には私の同級生や知り合いもいて、非常にショックを受けました。

私はたまたま生きているだけで、一歩間違えれば死んでいたかもしれない。人間はいつ死んでもおかしくない。だからこそ、自分のやるべきことはやっておかないと後悔することになる。死生観が変わった出来事でした。

自衛隊にいても国際協力の仕事はできますが、30年いるとしたら任務的にも4〜5年が一般的です。帰国してから、このまま自衛隊にいてよいかはずっと考えていたんです。

でも、後悔しない生き方をしようと考えたとき、「私は最終的に世界の平和を作るための専門的な仕事がしたい。そのためには、自衛隊以外の場所で仕事をするのが自分の人生にフィットするだろう」と思ったんです。私は自衛隊を辞め、きちんと国際問題を学び直すためにタイの大学院に入りました。

大学院では平和構築や人権問題、紛争解決や子ども兵の問題など様々な分野の勉強を重ねました。2年間通いましたが、卒論を書いている時期に新型コロナウイルスの感染が広がり、2020年に帰国。仕事を探しているときにテラ・ルネッサンス佐賀事務所の募集を見つけ、働き始めました。

ご縁をいただき、20年ぶりに戻ってきた東明館

私がテラ・ルネッサンスのスタッフとして東明館に戻ってきたのは、2021年のゴールデンウィークの出来事がきっかけでした。

テラ・ルネッサンス創設者の鬼丸が「東明館の荒井理事長に会いに行きたいから、佐々木さんも一緒に来てほしい」と、私を誘ったんです。

鬼丸と荒井理事長は東日本大震災での福島復興の絡みで親交があり、鬼丸が荒井理事長に「うちのスタッフに東明館出身の人がいる」と言ってくれたんです。

3人で会って盛り上がっていく中で、「東明館とテラ・ルネッサンスで何か面白いことをやりたいね」と話が進み、打ち合わせを重ねていく中で東明館からグローバル人財を育成するプログラムを作ることに。

作ったのが、高校探究コース1期生が1年間にわたって取り組んだ「ウガンダプロジェクト」です。なぜ社会課題が世界で生まれているのか、特にテラ・ルネッサンスの活動地域であるアフリカ地域の戦争や紛争の問題から始まり、世界の貧困や格差の問題はなぜ起きているのか問いを立てます。

その背景にある社会構造や歴史、経済の構造を調べ、探究をしていきます。最初の半年は専門書などを使いこなし、私たちは生徒の探究の手助けをします。

後半の半年ではウガンダの課題に対し、解決のためのプロジェクトを生徒たちが計画、数ヶ月かけて準備をして2022年夏にウガンダでプロジェクトを実行しました。

コロナの影響で帰国してから、まさか私が東明館の生徒たちとプロジェクトをするとは思ってもみませんでした。約20年ぶりに東明館に戻ってきたのも、何かのご縁ですね。

東明館と世界を繋ぐ架け橋になる

20年ぶりに見た東明館は、いい意味で雰囲気が変わってきています。生徒や職員同士の対話の会、創立記念日のアートプロジェクトもいい取り組みだと思うし、オープンスクールも生徒たちは一生懸命に取り組んでいます。

素敵な縁をいただいたからこそ、東明館の後輩たちにはできる限りのことをしていこうと思っています。3年間を過ごした母校には活気があってほしいし、ユニークであってほしい。東明館の中でもっと面白い出来事が起こればいいなと思います。

私はアフリカをはじめ世界各地を見ているので、東明館と世界を繋ぐ場所作りに一役買っていきたいです。面白い大人たちと生徒たちが交流できるような場所を作っていきたいですし、もっと面白い仕掛けを展開してきたいと思っています。

東明館を卒業した生徒たちが、広い視野と深い知識をもって社会で活躍できるよう、これからもサポートしていきます。

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