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【インタビュー#14】「自分では創れない会社だったから」大手商社出身・外資系ファンド出身の都市開発スペシャリストが入社を決めた理由とは? | 小野寺悠輔さん
みなさん、こんにちは。スペースデータ採用担当です。
スペースデータで活躍するメンバーがどんな経験を持ち、日々どのような仕事に取り組んでいるのか、その一端をお伝えするために、社員インタビューや対談インタビューをお届けしています。
本日は、2025年5月よりスペースデータに参画した小野寺悠輔さんのインタビューです。
慶應義塾大学を卒業後、大手商社でアジア各国の都市開発、米ファンドの不動産運用会社に従事、東京大学IPC 客員起業家として活動され、グローバルにプロフェッショナルなキャリアを歩み続けてきました。現在はスペースデータで“都市開発戦略事業本部 本部長”として、スマートシティ、スマート不動産、さらには宇宙都市開発といった次世代の社会基盤構築の戦略・実行を担当されています。
今回のインタビューでは、小野寺さん個人にフォーカスするべく、現在のミッションや今後のビジョン、宇宙に興味を持ったきっかけ、これまでのキャリアや休日の過ごし方など様々な視点からお話を伺いました。
【プロフィール】 都市開発戦略事業本部 本部長 小野寺悠輔(おのでらゆうすけ)さん 慶應義塾大学で都市ブランディングを専攻後、三菱商事に入社。財務部で資金調達や為替・債券の分析・トレーディング業務に従事。その後、東南アジアの都市開発・不動産市場にて、PM及び会社経営に従事。インドネシアではMCUDI社を設立し事業投資と財務統括の取締役に就任。コロナ禍で5社の経営を牽引し、同社の飛躍的な成長に貢献。KKRグループのKJRM社ではM&Aや産業アセット、住宅案件取得の交渉をリード。その後、東京大学IPCの客員起業家、M&A・事業投資・不動産に特化したアドバイザリー会社を経営。2025年に当社参画。
海外留学やサッカークラブ経営を通じた街づくりーーキャリアの礎を築いた学生時代。
──本日はよろしくお願いいたします。時系列に沿って質問させていただきたいのですが、小野寺さんはどんな学生時代を送られたんですか?
小野寺さん:中高一貫校の巣鴨中学・高校に通っていましたが、当時は生徒の4人に1人が東京大学に進学していた、いわゆる“勉強エリート”が集まる学校でした。これは自分自身のコンプレックスであり後の原動力のようなものになるのですが、私はその中ではどちらかというと勉強で目立てるタイプではない学生で、サッカーや柔道など、スポーツで目立つ学生でした。
その後、慶應義塾大学に進学しましたが、誰かを追いかけるのではなく人と異なる方向に走ればonly1でいられると考え、ドメスティックな巣鴨高校の出身者と違うグローバルな環境を選ぶことに決め、大学在学中に海外留学をしました。
海外留学するにしても、TOEFLのスコアが必要だったので、バイト代で払える月5000円の、毎日英会話し放題のフィリピン人と行うオンラインレッスンで、2年間一日もサボらず英会話を勉強するなど、準備はかなり大変でした。
──学生時代からハングリー精神が強かったんですね。
小野寺さん:祖父が競輪選手だったことや、父も結果を重要視するタイプでしたので、親から褒められたいという思いからか、非常に負けず嫌いな子供だったと思います。
──トップが当たり前という環境にストレスは感じなかったのでしょうか?
小野寺さん:当時はそれがある種当たり前という感覚ではあったんですけど、逆に(1位を取って)褒められた時の喜びが、更なる向上心に変わっていたのだと思います。
──大学時代の印象的なエピソードがあれば教えてください。
小野寺さん: 大学時代の留学で初めての海外生活を経験したのですが、外国人に揉まれて苦しんだ経験と自分自身が新たな環境で成長している実感が、結果的に社会人になっても「グローバルな人生を目指す」ことに繋がったと思います。
大学では地域活性化のゼミに所属して、街づくり・地方創生を専攻していました。特に研究をしていたテーマは、「相模原地域で、街のシンボルとなるスポーツチームの経営と地域の活性化の両立」です。
──小野寺さん自身、神奈川県のご出身ですものね。具体的にはどのようなことを行なっていたんですか?
小野寺さん: Jリーグは地域密着型スポーツと称され、地域の象徴として、チームの成長がその地域のブランド価値向上に貢献しています。
面白い出会いで、相模原の地元のサッカーグランドでたまたま見つけて声をかけたサッカーチームが、後にJリーグクラブとなるSC相模原というサッカーチームでした。その出会いからチームのお手伝いをさせていただくようになりました。当時は地域リーグに所属していましたが、自分が関わってから4年程で J3リーグ(Jリーグの3部)まで昇格したんですよ。もちろん、自分が経営に携わったからJリーグに参入できたとは思ってはないのですが、好きなサッカーに関われて、それが結果的に相模原の象徴になり、地域の認知向上の様を目の当たりにしたことは、とても刺激的で感動的な経験でした。
コロナ禍のピンチをチャンスに。インドネシアで都市開発事業投資会社の経営改革に奮闘した商社時代。
──大学卒業後は、三菱商事に入社されました。
小野寺さん: ファイナンスを武器にグローバルな経営者になりたいと考えており、【ファイナンス×グローバル】という軸で就職活動をしていました。外資系の投資銀行、外資系メーカー、商社などから内定をいただいて、最終的に三菱商事に決めました。
──入社の決め手は何だったんですか ?
小野寺さん: 入社の決め手は、「自分に自信がなかった」からですね。三菱商事の充実した教育システムに興味を持ち、10年先を考えた時に、最速で成長できる環境を選びました。
──三菱商事でのエピソードを教えてください。
小野寺さん:2020年からインドネシアに駐在することが決まっていましたが、その準備段階で、新型コロナウイルスが発生してしまいました。駐在先は在インドネシアのDDI社(現MC Urban Development Indonesia社)という三菱商事の子会社で、『コロナ禍における経営戦略立案と早期実行』というミッションと向き合いました。三菱商事は歴史の中であらゆる時代の変化に対応し、変化を成長に変えてきた会社ですから初動が早く、全社各領域で状況の把握と早期アクションが求められました。当初は、もう少し気楽に駐在するものと思っていたのですが、コロナ禍でインドネシアと日本の行き来を続けたため、計100日以上は入国の度に隔離生活をしながらも、事業の成長を考え続け、知的にも身体的にもタフなミッションでしたね。
──DDI社はどのような企業だったんですか?
小野寺さん: インドネシアの、マンション街・戸建住宅街・ゴルフ場の再開発・TOD 開発といった、いわゆる街づくりプロジェクトに投資をする企業です。
コロナ以前から複数プロジェクトに投資していましたが、その矢先にコロナ禍へ突入してしまったので、コロナ禍で投資済みプロジェクトのリスク把握、先行きを精査して、ネクストアクションとしてどのような経営方針であるべきなのか、戦略を立案しました。
業界全般として静観をする企業が多い中、リスクの中にあるチャンスを把握するために、組織体制整備、これまで以上に投資案件のモニタリングを厳しく行ない、状況の変化を細かく管理しました。元々為替や債権のトレーディング業務に従事していて、些細な政治・経済リスクでマーケットのトレンドが大きく変化する様を見ていたので、マーケットが変わる瞬間こそチャンスであることを理解していました。
その中で、一定の勝ち筋を見つけることができました。マンションタイプの集合住宅がコロナ禍で急に売れなくなり、一方で、戸建て住宅がいきなり売れ始めた兆候が現れたことにあります。既存投資案件への投資エクスポージャーを減らすべく、パートナー企業への株式売却、戸建て住宅や物流倉庫への投資を一気に加速させ、新たな投資ポートフォリオの整備に向けて一気に舵を切りました。結果的に、コロナ禍を逆手に大きな成長の一手となりました。非常に難しくタフな交渉で、二回り以上も年上の財閥系の役員陣からは、Hard Negotiatorと呼ばれていました(笑)
プライベートでも仲良くしていたパートナー企業のインドネシア人とは一時気まずい雰囲気になりました…(笑)
──先の未来を予測と、ビジネスの意思決定はどのようにされているんですか?
小野寺さん:未来予測は、複数の仮説を作ることと、仮説をサポートする兆候を見つけることを意識してます。つまり、ロジックとエビデンスです。意思決定は、例えば新たな事業投資の意思決定の場合は、新規事業は現状課題に対するソリューションであるべきで、その事業が本質的なソリューションになるのかを突き詰めるのみです。ただ、ビジネスはスピード感が大事です。だらだらしていると、競合に食われるので、早期の意思決定を大切にしています。
今回のコロナ禍でいうと、本当にシンプルな話で。終わりの見えないコロナ禍では、人種関係なく、人と関わる環境を避けて地方移住・戸建が売れるという仮説などいくつか仮説を作りました。次に、そのロジックをサポートするためのデータ集めです。先ほどのモニタリング強化というのは、インドネシア国内だけの話じゃなくて、国内外を観ていてその兆候に気づきました。
たとえば、日本でも当時軽井沢に移住する人たちが増えました。人と接触を避けたいという理由にくわえて、テレワークが導入されて会社に通勤する必要がなくなったり、住宅費用や生活費が安価だったりする点も大きかったと思います。軽井沢以外だと、小田原にも移住する方が増えていました。
大昔はペストがありましたが、現代社会は社会問題レベルの感染病リスクを経験していない世代のため、1度起こると光が見えない洞窟状態、しばらくはコロナとの共生がスタンダードになると思いました。
勿論、仮説は突き詰めようとすればどこまでもツッコミどころがあるのですが、学問ではないので仮説の証明にこだわりすぎる必要はない。最小リスクで最大リターンを得るにはスピード感も重要なので、100%でなくても高確率で勝ち目があると思ったタイミングで、戸建て住宅への投資を決断しました。これは、複数持っていた仮説の一つですが、仮説をもっていないと、兆候に気づけないことを結果的に学びました。
──ありがとうございます。駐在先の企業では、どんなメンバーと一緒に仕事をされていたんですか?
小野寺さん:多くは、現地のインドネシア人でした。
──先ほど「チームづくり」という言葉がありましたが、その中で、どのようにコミュニケーションの取り方などチームづくりで意識されていた点はありますか?
小野寺さん:先ずは、チームに自分自身の仕事の仕方や判断軸を知ってもらうことを意識しました。スポーツでも同じで、味方の得意なことを知らないとパスを出せないので、自分のプレースタイルや判断軸をなるべく理解してもらいスムーズな連携を可能にすべく、チームと細かくコミュニケーションをとり自分のスタイルを理解してもらうことを意識しました。加えて、私自身が入社7年目の若いマネジメントだったので、食事やスポーツなど、社内や投資先とのチームビルディングも積極的に行ないました。
──大変な立ち回りだったと思いますが、当時の経験を通じて得られたものがあれば教えていただけないでしょうか。
小野寺さん:コロナ禍での大胆なアクションは、先の見えない暗闇で道を選ぶ様な感覚でしたが、新しいことに挑戦する人の孤独感を理解できるようになりました。サポーターシップというか、挑戦する人の背中を押してサポーターに回る意識を持てるようになったというのは、特にスタートアップだと非常に重要な考え方なのかなと思っています。
もう1つは、孤独なのは最初だけで、怖がる必要はないということ。大企業の新規プロジェクトと、スタートアップのチャレンジではレベル感や毛色が全く異なると思いますが、インフルエンスや諦めずに自分の意思を提唱し続けたりすることによって、周りに仲間が集まってきて大きな輪ができるということを、当時の経験を通じて学べました。新しく始めるチャレンジに、恐怖心はなくなりましたね。今は、業務効率化システムやAIの進化が進んでおり少人数で業務推進体制は整いつつあるので、本当に大切な能力は、インフルエンスをしてチームや大衆を導く能力なのかもしれません。
──ありがとうございます。小野寺さんはあまりストレスが溜まらないタイプの方ですか?
小野寺さん: 溜まるんですけど、1日寝たら忘れちゃうことが多いんですよね(笑)。自分でストレスを発散できるタイプなので、ストレスが残っている時は、友人や家族とお酒を飲みに行ったり、サッカーやサウナに行ったりしています。
──三菱商事退社後のキャリアについて伺えますか?
小野寺さん: その後は、米ファンドのKKR という不動産運用会社を挟んで、M&A及び不動産事業のコンサル事業会社を設立しました。
──起業した背景をおしえていただけますか?
小野寺さん:様々な企業や友人から「事業を手伝ってほしい」という話をいただいてたんですが、ファンドの仕事が忙しくて手伝う余裕がなかったので、色々な企業や人のお手伝いをするコンサル会社を作ろうと思ったことがキッカケです。
──その後、東京大学のIPC客員起業家にも就任されます。
小野寺さん: はい。東大 IPCというVCの客員起業家になった理由の1つは、「日本の産業成長のために大学の研究技術のビジネス化を加速するべき」と思ったからです。ビジネスの世界への転用可否と方法論の検討は、アカデミアとビジネス側が融合して考えるべきテーマだと思っていて、予てより非常に興味を持っていました。そんな折に、たまたま縁があって誘っていただいて、客員起業家に就任しました。
スペースデータに負けを認めて、ワクワクしながらジョイン。
──元々スペースデータという企業や佐藤さんの存在はご存知だったんですか ?
小野寺さん: いや、知らなかったです。最初はM&Aの担当としてお話をいただいたのですが、話を聞く前までは正直、自分に全く関係のない領域だと思っていました(笑)成長性に惹かれたというよりは、ポジション的なリンクがあって、【宇宙×M&A】が面白そうだなと感じていましたね。
管理戦略担当・加藤さんとの面談の中で、私のキャリアをM&Aだけじゃなくて、宇宙産業という広いカテゴリの中で、色々な角度から考えて頂きました。その結果、『都市開発領域が合うんじゃないか』と考えてくれたのが、このポジションの最初の入り口でした。
──スペースデータの思い描くビジョンやチャレンジしているプロジェクトを知って、どのような印象を受けましたか?
小野寺さん: 自分のキャリアが広がるんじゃないか、と非常にワクワクしたことを覚えています。【宇宙規模でビジネスを展開する、あらゆるビジネスの可能性を秘めている企業であること】もそうですが、スペースデータの象徴である佐藤さんのマグネットの様に人を惹きつける人柄と圧倒的なカリスマ性にも魅力を感じました。
何か新しい世界が広がるだろうという予感のような、新卒時に三菱商事を選んだ際の感覚に少し近い部分があったかもしれません。何より、私も起業をしておりますが「この会社は自分で作れないな」と思ってしまったのが大きかったですね。同時期に数社から声をかけてもらっていたのですが、全て素晴らしい会社でしたが、「一定程度、未来を予測できる」と感じる企業やビジネスモデルばかりだったんですよ。でも、スペースデータは自分一人では作れないし、想像を超える未来を見れるわくわく感が決め手になりました。
──なるほど。負けを認めたことが、入社の決め手になったんですかね。
小野寺さん: 負けを認めた瞬間ですね。シンプルに言うとそういうことなのかもしれないないですね。
宇宙ビジネス界のアベンジャーズと目指す、新たな都市開発基盤の創造。
──実際にスペースデータへジョインした印象を教えていただけますか?
小野寺さん: アベンジャーズ的というか(笑)、アドバイザー含めて各領域のプロフェッショナルが集まっている企業ですよね。スタートアップではあり得ないスケールでの仕事、そして想像を超える世界観があります。
──スペースデータでの活動を通じて、これから成し遂げたいことがあれば教えてください。
小野寺さん:「不動産開発・都市開発を通じて、アジアを世界の中心に引き上げる」という使命感に駆られていました。いつかはアジアNo.1の都市開発事業会社を作りたいと考えていましたが、No.1なのかOnly.1なのか、その夢をスペースデータで実現したいと考えています。
現在のビジネスモデルは、都市開発をハードな面で支えるのではなく、デジタルツインを活用して仮想空間上でシュミレーションを行ない、最もユーザビリティが高くて経済性のある街を作る、ソフトなアプローチがメインです。
この技術は、新興国の新規都市開発だけでなく、日本での再開発、エネルギー、交通領域でも活用できると思いますし、防災の観点からも災害やテロに強い街作りに貢献できると思います。都市に関わる利用者がデジタル空間上と現実社会で共創的に都市をアップデートしていける未来を作り出す、新たな都市開発基盤を創造したいと考えています。
デジタルツインという都市開発プラットフォームの更なる進化を急ぎながらも、国内外でのスマートな都市開発の実現に必要な機能を、M&Aや自社開発を通して拡充することを検討しています。
また、宇宙事業を手がける企業であるので、地球上の都市開発で学んだラーニングや経験を活かして、宇宙都市の開発や宇宙上での建設システムにも着手したいと考えています。これまでのキャリアやバックグラウンドを活かして、宇宙関連の金融システムの構築などにもチャレンジしたいですね。
──ありがとうございます。大変お忙しく過ごされていると思うのですが、休日はどのように過ごされているんですか?
小野寺さん:仕事が暇つぶしみたいな部分もあるんですけど(笑)、休日はサッカーをして、サウナに行って……毎週そんな感じで過ごしています。
──最後に、この記事を読んでいる、スペースデータに興味を抱いた読者の方にメッセージをお願いします。
小野寺さん: “宇宙ビジネス”は、“ITビジネス”と同じメッシュ感の表現で非常に抽象度の高い表現です。衛星を通した人流把握も宇宙ビジネスの一例ですし、意外と我々の日常に宇宙ビジネスは存在しています。アレルギーを感じることなく、実は身近な分野と思っていただけたら嬉しいです。
また、他のビジネス領域はほとんどがレッドオーシャン化していて、隙間産業を誰が取るかという小さなパイの奪い合いが行われています。宇宙はブルーオーシャンかつビジネス機会も沢山隠れています。また、宇宙ビジネスは、黎明期だからこそ答えがない想像力と実行力が問われる領域です。宇宙好き・IT人材はもちろん、私のような非宇宙・非IT人材にも活躍の場は沢山あります。むしろ、宇宙・地球関係なくビジネスに必要なスキルセットは変わりません。後は、宇宙を切り拓く情熱を燃やせるかです。
宇宙の可能性を切り開き、世界を代表する会社を創るロマンを追い求めてくれる仲間を募集しています。
──本日はありがとうございました!
最後までお読みいただきありがとうございました。次回のインタビューもぜひ楽しみにお待ちください。
スペースデータでは、様々なポジションで募集を行っております。詳細は求人票にてご確認ください。皆様からのご応募を心よりお待ちしております。