こんにちは!株式会社ソーラーパートナーズ広報担当の坂下智子です。
今回の社員インタビューは、しのさん(篠原晶子さん)の次に入社された嘉瀬さん(嘉瀬裕之さん)です。
嘉瀬さんはそのままみんなから「嘉瀬さん」と呼ばれていて、我々の嘉瀬さんへのイメージは「いつも元気で少年のようなピュアな人」です笑
いつもみんなを明るい雰囲気に巻き込んでくださる雰囲気作りの名人でもある嘉瀬さんに、今回は色々なお話を聞いて参りましたのでご紹介したいと思います!
-本日は宜しくお願いします!
なかじさんみたいに話せる事なんてなんにもないからね~
-そんなこと無いと思います、大丈夫!お願いします!
なんにもないからな~
のやり取りがしばらく続く・・・(笑)
-では参りましょう!まずは嘉瀬さんのキャリアパスについてです。ご出身は新潟との事ですが、上京したきっかけは何でしたか?
何にもないんだけど(まだ仰ってました笑)、人生で一度くらいは東京に出てみたいなと思って、進学するに当たって東京の大学を受験しました。
高校は特別進学クラスだったので、クラスメイトと共に自然と大学受験する流れでした。
両親の理解もあり、就職までの4年間の執行猶予をもらうような感覚で進学した事を覚えています。
特に学びたいことがあるというわけでもないのに、本当に感謝です。
進学当時、新潟に絶対戻らないとは思っていなかったけれど、東京だったらやりたいことが何か見つかるかもしれないという期待感がありました。
そんな学生時代は色々アルバイトをしましたが、一番最初にしたパチンコ店のアルバイトで自分の人生を大きく左右する人との出会いがあり、そのメンターから本当に色々な刺激を受けました。
その方はアパレルのお店を自分で立ち上げるという夢があり、そのためにパチンコ店で働いてた方なのですが、自分が好きなことをやっている姿が眩しくて本当に憧れました。
自分は地方の小さなカルチャーの中で過ごした高校生時代でしたので、東京で出会ったその人は非常に刺激的で大きな影響を受けましたね。
ライブに行くようになったり、洋服の趣味も変わったりしました(嘉瀬さんとってもおしゃれですもんね、その方の影響だったんですね~)
自分はうじうじと考えるけどメンターはとてもシンプルに考える人で、真逆のその姿がとてもかっこよくてスマートに見えた。その人に憧れて近づきたいという思いから、自分もアクションしよう、元々興味があったものへ動き出してみようというきっかけも貰いました。
大学のキャンパスが変わる関係で2年ほどでアルバイトを辞めて先輩とも離れてしまったんですが、時々会ったりしていました。そして僕が大学3年の時に、先輩は遂にお店を始めました。
こんな感じで大学時代は自分の人生を大きく変えるきっかけが多い時間となりました。
今でもその出会いに感謝しています。
-あるじゃないですか!とっても素敵なお話!まさに嘉瀬さんのターニングポイントとなる出会いですね!メンターに出会って、嘉瀬さんの学生生活はどのように変わりましたか?
刺激を貰って、何か動こうと思った学生時代、何かないか考えてみたところ、自分は毎日映画を一本見ているなと思ったんです。
映画監督のタランティーノがレンタルビデオ店で働きながら脚本を書いて成功したという事も知って、それがきっかけでシナリオ作りにも興味を持ちました。それに伴って映画ビジネスにも興味が湧いたけど、それはあくまでも漠然としたもの。
何も行動に移さない自分に危機感を感じて、大学3年の時に映画のビジネススクールに通うことを決めました(すごい行動力!私は学生時代そんなことしませんでした)
スクールの講師はモデルとしてドラマにもなったりしたんですよ。
授業では、公開されていない映画を見てキャッチコピーを考えたり、フライヤーを作ったりしたんだけどとても興味深い講義の数々で、そこから映画関連の会社に就職したいと思うようになりました。
特に映画配給とセールスに特化した会社に就職したいと思い、大学4年生の春から就職活動を始めました。当時ミニシアターが流行り始めた為映画業界の倍率がものすごく上がってしまい非常に苦戦、タイミングが悪かった。昔から映画が好きだった自分にとっては向かい風の出来事でした。
就職活動に納得できず、大学4年生の後半は今後を考えるために使ったんですが、その間、CDショップでアルバイトをしていました。
(嘉瀬さんCDもめちゃめちゃ集めてますもんね!ここからでしたか!)
その結果、音楽を聞きながら映画を見る生活を大学卒業してからもしばらく続けることになります。
そらっぱの海外視察研修でドイツに行ったときの一コマ普段お酒を飲まない嘉瀬さんがお酒飲んでいるレアショット!
-なるほど。そんな物語があったのですね。でもそのまま映画会社に就職されてたらそらっぱで出会う事もないかと思うと、興味深いです。その後はどうやってそらっぱまでたどり着かれたのでしょうか?
大学を卒業した後、しばらくはCDショップでアルバイトをしながらフリーターとして今後を考えていました。
当時メンターが運営していたアパレルのお店にはよく遊びに行っていたので、相談にも乗ってもらっていたんです。そのアパレル店は順調で、新たに隣の店舗を立ち上げることになったので、そこで一緒に仕事をしたいとお願いしてみたんです。その理由は単純で、メンターである先輩の近くにいれば何か面白いことが起こるだろうと思ったから。
そんな経緯から、結果として大学を卒業してから映画の関係にはほとんど関わることは無かった。
今振り返れば映画関係に興味を持ったのも、自己分析を通じて自分が何に興味があるのかを探し出そうとした結果、無理矢理に作り出した興味が映画のようにも感じてしまい、本当の意味での「やりたいこと」ではなかったのかもしれないと迷い、映画業界への想いは一区切り置くことにしました。
アパレルの仕事は順調に進んでいましたが、ネットショップの普及に伴って大きく変わる業界の変化に合わせる為、自分も次の道を考えるようになりました。
ほそぼそと貯金をしていたので、その資金で地元の新潟で自分のお店を開くことも考えましたが、現実的なイメージが湧かなかったのでやはり東京で就職活動をすることにしたんです、それが29歳の頃。
当時高校の先生や友人に相談し、実際に地元でシミュレーションを考えて現地現物した経験があるので、現地現物の大切さは身に染みています。
いくつかの面接を受けて最終的に選んだのは「そらっぱ」なんですが、決め手となったのは、色々な事を任せてもらえそうだったからというのが大きいです。大きな会社に入ると、やるべきことが決まってしまって自分の好奇心旺盛な性格も相まってつまらなく感じそうだった。ベンチャーなら、いろいろやらせてくれるだろうと。
就職活動をしていた時期は東日本大震災直後で、再生可能エネルギーに漠然とした興味を持っていたのも事実なんですが、実はしのちゃんと同じく何をやっている会社なのかよくわからないまま、そらっぱの面接に行ってます笑
小さい会社だったので全員が順番に対応に来てくれて(笑)、後から聞いた話によると全員がOKを出さなければ採用しないという方針があったみたいです。
接客室に毎回毎回違う人がくるな~と思ってたんだよね。
神田先生が筆記試験を持ってきてくださって、
雄介さんが半袖半ズボンで目の前に現れてびっくりして笑、
しのちゃんがロープレをして・・・と今思い出しても面接は面白かった(笑)
最後に登場したなかじさんも極めつけの半袖半ズボン(笑)
「え、社長も半袖半ズボンかい!」って(笑)
面接早々にベンチャーの洗礼を感じたようでした。
最後のなかじさんの話から初めて再生可能エネルギーとマッチングビジネスの面白さを感じました。
同時になかじさんと雄介さんがこれからやりたいと思っている事業の可能性、今は小さいけど有能なお二人の元、きっとこれから大きく成長していく会社なんだろうと、自分自身もチャレンジ出来そうだと感じました。
最終面接でやっと興味が湧いて、そらっぱで働きたいと思ったんです。
確か金曜日に面接に行って、翌月曜日から出社したんじゃないかな、最後までベンチャー企業を感じた就職活動でした笑
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ここまでありがとうございました!
私の入社当初、一番最初の上司が嘉瀬さんでしたので、私も嘉瀬さんからは様々な事を教えていただきました。
後半では現在の事、主に会社の事や未来へ向けてのお話しです。
ここまで、本記事をご覧いただきありがとうございました!
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