「明日死んでもいいくらいに今日を生きる」
20歳にしてそう語るのは、Skyland Ventures(以下SV)で働く古長谷 鷹念さん。
これまで能登半島地震の災害ボランティアで現場責任者を務め、行政のまちづくり構想にも参画。さらに、ベンチャーキャピタリストとして若手起業家のソーシングや投資検討を行いながら、エンジニアとしてのバックグラウンドから社内・投資先向けのシステムの開発にも携わるなど、その活動領域は実に多岐にわたります。
ただ「与えられたことをこなす」のではなく、自分の「面白い」にベットし、手を動かしてきた彼が、どのようにしてSVに出会い、どんな思いで今を生きているのか。その背景を聞きました。
目次
■きっかけは父親と友人から誘われたスタートアップ運動会
ー SVとの最初の出会いについて教えてください。
― 運動会のあとも、いくつかのイベントでスタッフとして関わっていましたよね。
ー そこから、どのような流れでインターンとして関わるようになったのですか。
■面白いと思ったらフルベット。フットワークの軽さの原点
ー フットワークの軽さが印象的ですが、もともと意識していたのでしょうか。
ー そのスタイルは、どのような環境から培われたのですか。
ー ご自身の行動の軸になっている考え方があれば教えてください。
■インターン生を経て歴代最年少正社員へ
― SVのインターンでは、最初どのような仕事をしていましたか。
— 国内スタートアップ投資に関わる中で、どのような業務を担当してきたのですか。
— そこから、どのようにして正社員登用に至ったのでしょうか。
— 正社員になる際、他の会社やキャリアの選択肢は考えなかったのでしょうか。
■武器を活かして今できるベストを更新していく
ー 古長谷さんが思う「VCに向いている人」とは、どのような人でしょうか?
― 今後のキャリアや将来的な目標について考えていることがあれば教えてください。
<プロフィール>
古長谷 鷹念 (Konagaya Takane)
<経歴>
・中学在学中よりIT企業でインターンを開始
・中学3年次にShibuya QWSチャレンジに採択。
・港区青少年対策六本木地区委員会にて、港区キャンプなどの地域行事にスタッフとして参加。
・N高等学校を経て、エンジニア養成機関42Tokyoに入学。
・2025年、東京都港区「二十歳の集い」実行委員長を務める。
・2025年、東京都港区MINATOビジョン コ・デザイン会議の委員に委嘱。
・Skyland Venturesにて、アソシエイトとして活動中。
古長谷X(Twitter)▶https://x.com/Takane_Eagle
<Skyland Venturesとは>
Skyland Venturesは、起業したばかりのスタートアップに投資するベンチャーキャピタルです。 特に、まだ会社を立ち上げたばかりの「シード期」と呼ばれるタイミングで、将来大きな影響を与える可能性のあるスタートアップに資金を提供しています。
これまでに、日本国内を中心に約200社のスタートアップへ投資してきました。
暗号資産・NFT・ブロックチェーンといったWeb3領域や、生成AIといった最新のテクノロジーを使ったスタートアップへの投資に力を入れています。
■きっかけは父親と友人から誘われたスタートアップ運動会
ー SVとの最初の出会いについて教えてください。
最初のきっかけは、スタートアップ運動会でした。当時、父が投資先企業の「PoliPoli」で働いており、SV代表の木下さん ( @kinoshitay )とも面識がありました。
木下さんが「スタートアップ運動会に家族で参加する」と話していたのを父が聞き、「それならうちも家族で一緒に行こうか」となり、自分も参加する流れになったんです。
さらに偶然、中学時代の友人が当時の運営メンバーにいて、まったく別のルートからも誘われていました。複数のご縁が重なり、運命的な出会いを感じられましたね。
― 運動会のあとも、いくつかのイベントでスタッフとして関わっていましたよね。
そうですね。「手伝って」と声をかけてもらったのが最初でした。特別な意図があったというより、タイミングやご縁が重なっていたので、気づけば自然と運営側として関わるようになっていました。
Skyland Venturesの12周年イベントや、投資先バスツアー、スタートアップ忘年会など、誘われたイベントには基本的にすべて参加していました。振り返ると、かなりの頻度で顔を出していたと思います。当時は時間があって、ただの暇人だったんですよね(笑)。
ー そこから、どのような流れでインターンとして関わるようになったのですか。
実は運動会のあとすぐではなく、1年ほど時間が空いたある日、Next Baseにて開催のSVの朝の勉強会に「よかったら来ない?」と連絡があったんです。前日誘われたにもかかわらず参加することにしました。
勉強会に当日に、ゆずさん ( @yuzu_milk_ice )や木下さんに会って「最近どうしてるの?」と聞かれて、「特に何もしてないです。暇してます」と正直に答えたら、「じゃあ、うちで働けば?」とその場で誘っていただいたんです。
まさにご縁とタイミングが重なった形で、気づけばまずはインターンとして関わることになっていました(笑)。ちょうどそのころ、災害ボランティアの活動を終えた直後で、次に取り組むことを探していた時期だったんです。
■面白いと思ったらフルベット。フットワークの軽さの原点
ー フットワークの軽さが印象的ですが、もともと意識していたのでしょうか。
フットワークの軽さについては、もともと自分の性格としてそういう傾向があると感じています。なかでも感じるのは、「面白いこと」が極端に好きだということ。
自分の中で「これは面白そうだ」と思えた瞬間に、とことんベットするタイプなんです。反面、興味を失うと驚くほどスパッと手放すこともあって、早ければ3ヶ月くらいで次に移ることもあります。
ー そのスタイルは、どのような環境から培われたのですか。
家庭環境の影響が大きかったと思います。両親がいわゆる普通の会社員ではなく、人に合わせてもらいながら自由なスタイルで働いていたこともあって、堅い枠にはまった働き方に馴染みがありませんでした。
また、中学の頃から関わっていたSHIBUYA QWSでも、企業の新規事業やスタートアップに携わるような人たちと自然に出会うことが多かったんです。
「こんな働き方もあるんだ」と早いうちから感覚的に理解していました。過去の出会いや環境が、今の価値観のベースになっていると感じます。
ー ご自身の行動の軸になっている考え方があれば教えてください。
「面白い人じゃないと、面白い人は集まらない」と考えています。年間で関わる人が数百人を超えるなかで、自分が「この人面白いな」と思う人と出会い続けるためには、まず自分自身が面白い存在であることが必要です。
だからこそ、常に「自分が面白いと思えることに取り組む」「人から面白いと思ってもらえる自分でありたい」という意識を持って行動しています。
自分の在り方が、そのまま周囲との関係や関わる人の質にもつながっていくと信じているからこそ、この考え方は常に根底にあります。
■インターン生を経て歴代最年少正社員へ
― SVのインターンでは、最初どのような仕事をしていましたか。
最初は、自分の語学スキルを活かせるWeb3チームに配属されました。英語は日常会話レベル、中国語はほぼネイティブレベルで話せるため、海外スタートアップと関わるチームにアサインされたんです。
業務初期の2〜3週間は、社内資料の読み込みに集中していましたね。「スタートアップ運動会」などを通じて外からSVを見ていたので、「中の人たちは実際どう働いているんだろう?」という関心が強く、まずは事業理解を深めることに時間を使いました。
並行して、英語・中国語を活かしながら海外スタートアップとの面談に同席し、議事録や要点の整理、チームへの情報共有も担当しました。
また、新規投資のプレスリリースの執筆にも携わり、これまでに3〜5本ほど公開されています。最初はフィードバックをもらいながらでしたが、最終的にはリリースとして世に出るところまで関われたことは大きな経験でしたね。
ただ、当時は実務を進める中でどこか本気になりきれない感覚があったんです。その気持ちを正直に打ち明け、「国内案件に関わりたい」と希望を出し、国内スタートアップ向けの投資業務に移ることになりました。
— 国内スタートアップ投資に関わる中で、どのような業務を担当してきたのですか。
国内向けの業務に移った後は、以前から持っていたエンジニアリングスキルを活かし、社内システムの改善にも取り組むようになりました。
たとえば、運営ファンドの出資者向けのメール配信について、それまでは手動で行っていた業務を、AIを活用してワンクリックで下書きが作成できるツールに作り替えました。
一方で、その頃には「これって、もはやインターンの範囲を超えているのでは…?」と自分でも感じていて。実際、2023年10月には稼働時間的にも、働き方としても、ほとんど正社員と変わらない状態でした。
— そこから、どのようにして正社員登用に至ったのでしょうか。
あるとき、代表の木下さんに「僕、なんで社員じゃダメなんですか?」と率直に聞いたんです。すると「うちで長く働くつもりあるの?」と返されたので、「あります」と即答しました。
そのやり取りの翌日には、オファーレターが届いていて(笑)。お互いの意思確認が済んだら、あとはあっという間に決まりました。20歳で正社員になったのはSVでは初めてだったそうです。
— 正社員になる際、他の会社やキャリアの選択肢は考えなかったのでしょうか。
もちろん、頭の片隅では「他の会社に入る」「フリーランスになる」「いずれ起業する」といった選択肢もありました。でも、そのなかでSVが提示してくれた環境が、一番“レバレッジが効く”と感じたんです。
これまで、自分は小さい頃から親に「英語・中国語・プログラミングの3つがあれば生きていける」と言われて育ってきました。結果として、その3つは自然と自分の中で身についたスキルになっていました。
SVでは、そこに「金融」という新たな要素が加わってくる。語学、テクノロジー、そして金融。これまでの経験や知識を掛け合わせて、他にはないユニークな価値を出せるのではないかと、可能性を感じたんです。
また、父がもともと金融業界で働いていたこともあり、自分にとっては特別な世界というよりも、むしろ身近な領域だったんです。
だからこそ、語学・開発スキルといったすでにある武器を活かしながら、さらに金融や投資という新しいフィールドに踏み込めるSVの環境は、自分にとっては他に代えがたい選択肢でした。
■武器を活かして今できるベストを更新していく
ー 古長谷さんが思う「VCに向いている人」とは、どのような人でしょうか?
意外かもしれませんが、むしろ“VCになりたい”という執着があまりない人の方が向いていると思います。
実際SVの新入社員も、「VCに強く憧れて入ってきた」というより「それぞれが持つバックグラウンドやスキルを活かして、結果的にVCの仕事に関わっている」人が多いんです。
いまSVの若手には4人ほどいますが、誰一人としてキャラが被っていません。「この仕事がしたい」というよりも、「自分の価値観や好きなことを突き詰めていたら、自然と今の仕事にたどり着いた」というスタンスが、チームとしていいバランスを生んでいると感じています。
VCって、肩書きや役割そのものを目指す仕事ではなくて、自分が持っている“武器”をどう使うかが重要になる職業だと思うんです。
たとえば僕も、メール配信の自動化ツールを作ったことがきっかけで、次は「こういうこともできる?」と声がかかって、今度は投資先のオペレーションに使えるツールの開発を依頼されました。自分ができることを起点に仕事が舞い込んでくる構造になっています。
だからこそ、少なくともSVのような新しいことに積極的なVCに向いているのは「一芸を持っている人」。そしてその一芸を通じて仕事を広げていける人。逆に「VCになりたいけど、自分の武器はこれからです」という状態だと、入り口でつまずいてしまうこともあるかもしれません。
肩書きにこだわるよりも、自分が面白いと思えることや得意なことを突き詰めていった結果として、VCのフィールドに立っている人が、いちばんこの仕事に向いているんじゃないかと思います。
― 今後のキャリアや将来的な目標について考えていることがあれば教えてください。
「今日、明日死んでも後悔しない」ような気持ちで毎日を生きています。そのため、数年後の目標みたいなものは、現時点では明確には持っていません。
それよりは「今できるベストを毎日更新していく」という感覚が強いです。何かひとつに絞るのがあまり好きじゃなくて。だから、できるだけ多くの可能性の種を拾えるポジションに居続ける、というのが今のスタンスです。