※このストーリ記事は、「宿命と運命に導かれて選んだ使命:嵯峨ガス5代目社長の半生に迫る【前編】」の続きとなっています。
2021年6月9日
夕方から始まった社内会議。
立ちながら喋っていた社長が、
「今年の夏は今年の夏は・・・」
と言いながら
”バタッ”
社員さん全員の目の前で倒れた。
「大丈夫ですか?!」
声をかけても、返事のろれつが回っていない。
ものすごい汗をかいている。
いびきをかいて寝てしまった。
今まで会議を仕切っていた人が、明らかに様子がおかしい。
寝た後は返事しない、起きない。
おそらく脳に異常があるのだと気が付き、すぐに救急車を呼んだが、コロナ渦でなかなか来ない。
社員さん全員がおどおどと見守っている。
ようやく来た救急車に乗るものの、コロナ渦で行く病院がなかなか決まらない。
目の前で社長が倒れて、意識が無い状態で運び出される。
下手したらもう助からないのかもしれない。
残された社員さんは「会社つぶれたな」と思っていたはず。
病院に到着し、緊急手術。
くも膜下出血だった
5時間の手術の末、奇跡的に生き返ったものの、入院期間は未定。
退院しても、社会復帰出来るかどうか分からない。
その間会社を回さないと・・・。
次の日から私が実質の代表になった。
入社からわずか4か月。
リフォームのことは分かっているが、ガス業界のことは全く分かっていない。
でも、私がやるしかない。
これは 「運命的な出来事」 だと思った。
もし、いつものように、叔父が一人で会社に居残っている時に倒れていたら?
帰宅途中に倒れていたら?
数時間ズレていれば、おそらく死んでいた。
でも、叔父は死ぬことなく生き残った。
そして強制的な代替わりが起こった。
あまりにも意味深すぎる。
"運命"の歯車が目の前でカチッと動いたような気がした。
目の前で起こった出来事を見て、
自分はアトツギとして生きていく
"使命"なんだと、悟った。
アトツギに生まれた"宿命"と
目の前で叔父が倒れた"運命"は
変えられないし、自分で決められなかったし、選べないものだった。
ただ、
自分が今からどうやって生きていくか?
という"使命"は、いつでも変えられるし、自分で決められる。
そして私は、この出来事をきっかけに命の使い方を決めた。
アトツギとして生きていくと
この時ようやく、自分の生き方に腹をくくることが出来た。
その直後は本当に大変だった。
「20日、25日、翌10日の業者への支払い、月末の給与支払、労働保険や社保の各種申請」を、引継ぎ無しですることになった。
”引継ぎ無しの社長業”
父が元気で会社に来ていて、元々社長の時に色々とやっていたから、教えてもらいながらぎりぎり出来たが、本当に危なかった。
ちょっとでも油断したら・・・
どこになにがあるかがわからないから
PCと机のまわりを何度も何度もひっくり返しながら
なんとか乗り越えた。
めちゃくちゃな数か月間だった。
翌2022年4月
正式に代表になると、自分で決めて実行しての繰返し。
父も叔父も任せてくれて、ほぼ口出しすることが無い。
2人がすごいのが「口を出さないこと」。
ここで変に口出しされ続けると、喧嘩や混乱が起こってめちゃくちゃになったりするが、
私がやりやすいように口出ししない、と決めているらしい。
今までは
「跡継ぎになれ、と決められた人生」に「従って」生きてきたが
今は
「アトツギになる、と決めた人生」を「選んで」生きている。
今までとは生き方がガラッと変わった。
そして叔父が倒れた以降に
斜に構えた性格が消えた、気がする。
斜に構えた生き方と、こじれた性格は、「決められた人生」だからそうなっていたのかもしれない。
でも自分で決めた人生なら、斜に構えている場合じゃない。
こじらせて人のせいにしている場合じゃない。
「自分事」として「当事者」として、責任を持って、向き合って、全力で行動する。
それを強烈に実感して、日々進んでいる。
いかがでしたでしょうか?
下記の記事では、中村社長のリフォーム営業に対する想いなどについても聞いています。
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