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【社員インタビュー】約20年間PDPと共に人生を歩んでいる私が思うPDPの魅力

並木 篤Atsushi Namiki

2006年入社
ゼネラルマネージャー

―実家が冠婚葬祭全般を担う花屋という状況にある中、当時開業を控えていた“サンジョルディフラワーズ ザ デコレーター”(以下SJF)と出会う。「男性をターゲット」「店頭に花を置かない花屋」という新しい取り組みに惹かれ、出向社員としてお手伝いさせてもらうようになった事がPDPとの出会いのきっかけ。現在は花から離れ、東京白金台にあるゲストハウスのゼネラルマネージャーを務めています。


PDPとの出会いは19年前

当時21歳、恵比寿本店の立ち上げに縁があり、出向社員“お花のアドバイザー”としてPDPとの関わりがスタート。その後、福岡の立ち上げも無事終え、出向から戻ろうとしたタイミングで、家業を継ぐか継がないか。一度自分の中で考える時間を設けようと決めました。そんな時、杉元さんから「もしよかったらPDPで一緒にやらないか?」と声をかけてもらい、PDPの社員として正式に働く事を決意。当時のSJFは、売り上げや施工数、小売りなど、事業領域を広げたいというタイミングだった事もあり、私自身も今すぐに家業を継ぐという選択ではなく、まずはPDPでビジネスを学ぼうと思った事を覚えています。

次世代メンバーの成長を願い、自身は新たなステージへチャレンジを決意

25歳の頃にユニットマネージャー、27歳でゼネラルマネージャーを経験。日本と韓国の2拠点でゼネラルマネージャーを務めました。当時開催されたアートコンペで最優秀作品賞のグランプリを受賞し、フランス大会の日本代表として選抜され、世界第4位を受賞という結果を生みました。若きフラワーアーティストの可能性を試す場として創設された世界大会にメンバーを出場させることができ、苦労もありましたが、自分たちの価値を高めていく活動にやりがいと楽しさを感じていました。
ちょうどその頃、PDPではレストラン事業も加速するタイミングを迎えていました。当時、韓国で役員と夕食を食べ、同乗したタクシーで突然「来月からレストラン事業だよ」と言われました。二つ返事で「はい」と答えていましたね(笑)まず自分に何が出来るのかを考えるより、行った後に考えるタイプの人間。会社が自分にその使命を持たせるという事には、絶対に理由があると思ったので即答でした。とはいえ、アルバイトで飲食店勤務していた過去があった位で知識もないまま、福岡や大阪の新規立ち上げを経験。出向当時から考えると様々な店舗の立ち上げを経験したので、サービス面やメンバー育成にも力になれるだろうという事で、ユニットマネージャー、ゼネラルマネージャーと経験しました。
若い頃から花一本。一通りやり切った感はあったので、花への心残りは無かったです。それよりも、自分のポジションを空けて、若い世代のメンバーがやりたい事をどんどんやって成長して欲しい、という思いでした。

ゼネラリストとしての今後の姿

人生仮に80年と考えた時、今年で40を迎え折り返し地点にいます。社会人になってからの20年、PDPでは色んなチャレンジを与えられ多くを学んできました。今後は、既存メンバーの育成や事業を展開していく中心メンバーとなって、自身の経験を活かした形で会社に還元したいと思っています。
長年PDPで働き続けられたのも、様々なチャレンジを提供され、そのすべてに責任を強く持っていたから。本当に隙間なく、綺麗に色んな仕事にチャレンジさせてもらいました。また、自分の考えはあくまでも個人的な主観。経験値の中のものだという事を忘れず、メンバーの声を拾い仕事をしていく姿勢を貫いてきました。私一人の姿勢ではなく、本当にそれで正しいのか?と思うときには、周りの声もしっかり拾う姿勢。
それがPDPにはあると私は間違いなく感じます。企業理念にもある「常に自らで道を開拓することで、多くの人達に“夢”と“可能性”を与えていく」というフレーズ。自分の主張性を認める事を公言している会社で、これからもメンバーが成長して欲しいと強く思います。

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