後編【弊社代表×ベクトル副社長兼グループCOO対談】弊社創立の背景から一緒に働きたい人物まで全部語ります! | 株式会社ニューステクノロジー
皆さん、こんにちは!ニューステクノロジー採用担当の野村です!本日は前編に引き続き、ニューステクノロジー社代表の三浦と、その三浦を新入社員時代から知るベクトル取締役副社長兼COO長谷川創さんに、ニ...
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皆さんこんにちは!ニューステクノロジー採用担当です!
本日はニューステクノロジー社代表の三浦と、その三浦を新入社員時代から知るベクトル副社長兼グループCOOの長谷川さんに、ふたりの関係性や、知られざる新卒時代の三浦のことを聞いていきたいと思います。では早速宜しくお願いします!
―まずは自己紹介をお願いします!
長谷川:ベクトルは創業して2018年3月で25周年を迎えましたが、そんな創業当時に私は学生で参画しました。当初は、セールスプロモーションの事業をやっていましたが、2000年頃にPR事業に転換、PR会社として成長してきました。2012年にはマザーズに上場し、2014年11月に東証一部に上場しました。私自身は中国に2011年~2014年までおりましたが、一部上場のタイミングで呼び戻されて今に至っています。現在の担当事業領域は、ベクトルグループの取締役副社長兼COOとして子会社のガバナンスや数字責任を担当しています。
三浦:私は2010年にベクトルに新卒で入社しました。入社1年半後くらいで、当時ベクトルが中国進出するタイミングで長谷川さんにお声掛けいただき、北京支社の立ち上げをさせてもらいました。
いまでも覚えているのはラウンジの小会議室に長谷川さんが待っているって言われて、しかもそれが入社2か月くらいの時だったので、「怒られるのかな……」思ってたら、「中国どうよ?」っていう話で。社会人としても大きな転機でした。1秒かからずに「行きます!」って言いました。
そして2012年から丸3年、北京で会社をゼロから立ち上げる、という経験をさせてもいました。当時、「上司の下で働く」ということが嫌だと思っていたのを見透かされていたのかもしれませんが、長谷川さんから「好きにやっていいよ」と言ってもらえた3年間の環境は今の自分の社会人の全てのベースとなっています。帰国後は日本のPRについて再度学び直す意味も含め、自分の部署を持たせてもらいました。そして今年の3月からニューステクノロジー社の代表に就任させて頂きました。
―おふたりが社会人として大切にしている軸はありますか?
長谷川:ビジネスマンとしては、私は創業当時からなににおいても「ありがとうございます」を、謙虚に、感謝の気持ちをもって、お客様はもちろんチームのメンバーにも接することを大切に心がけています。
三浦:私は「楽しむ」こと。仕事を嫌々やることはないですね。やるんだったら楽しむようにしています。サイバーエージェントの藤田さんが「最高もしくは最速しかない。」とおっしゃっていますが、若いときはクオリティが出せないので、とにかく速く返すっていうのは意識していました。
―ひとことでいうと三浦さんにとって長谷川さんはどんな人?
三浦:社会人になってからのお父さんであり、お兄ちゃんだなと思っています。ごくまれに自分よりも年下なんじゃないかなっていうくらいピュアなこともあって、このアニメが面白いとか、この漫画がとか…
長谷川:その話は、ちょ……!
三浦:父親みたいに年が離れているというよりは、常に新しいことを勉強しているからお兄ちゃんっていう感じですね。
―なるほど(笑)では逆に長谷川さんにとって三浦さんはどんな人?
長谷川:いい意味で、曲げない自分を持っているところですかね。無茶なことを言われてもいい意味で自分なりに解釈し、しっかり着地させる。私の要望とは違うんだけど、でも良く考えたらそれうまく行きそうだなということもあるし。理解力が早いので、相手が何を欲しがっているか?というプロジェクトの本質を見抜く頭の良さがありますね。
三浦:ありがとうございます!
長谷川:ちょっと褒め過ぎたかな(笑)
―お二人の関係性はどのような変遷を遂げてきたのでしょうか。
長谷川:新卒で入社してすぐの頃の三浦は、プライドの高い、大学時代にリーダーをやっていてちょっと勘違いした系の奴でした(笑)最初は本人も辛かったんだろうけど、大学時代の「イケてる自分」と、社会人になってからの「イケてない自分」のギャップに苦しんでいましたね。大体の新入社員は、「イケてない自分」に対峙した際に、その自分を受け入れられずもがき悩むのに多くの時間が取られてるんだけど、三浦は、「俺はできねぇ!なので、素直に全てを吸収する」と切り替えて仕事に向き合った気がします。その切り替えはどの同期よりも早かったんじゃないかな。まあ、他の同期がもっと優秀だったという説もある(笑)
三浦:当時は「俺の方ができる!上司なんて一瞬で超えられる!」ってなぜか当たり前のように思っていましたね(笑)でもそんな事は全くなく、トイレで泣いたりした事もありました(笑)
長谷川:それで自分なりに努力して、提案書を頭の中に叩き込んだり、デザインレイアウトを自分なりに努力をして考えたり。最初の頃、提案書をお願いしたら1時間~2時間かたまってフリーズしてたのに、今ではしゃべりながら作りますからね。そこまでスピード感もって仕事に対峙できるようになったのは三浦の努力だと思います。
三浦:当時は何もできないギャップは辛かったですし、でも振り返ってみると辛かったときのほうが楽しかったですね!だからこそ、北京支社の立ち上げを任せてもらえたときはすごく嬉しかったです。
長谷川:俺からしたら賭けでもあったんですよ。生意気ばっか言う奴だったんで、そんなに言うんならやってみろっていう。異国の地でのゼロ立ち上げは辛かったと思うけど、結果として北京支社を立ち上げて数字も出して、人とのコミュニケーションが磨かれた気がします。
三浦:そうですね。帰国する度に「雰囲気変わったね」って言われました!
長谷川:自信のついた顔にはなってましたね。新卒の時は捨てられた子犬のような顔だったのにね(笑)
三浦:覚えてないかもですけど、入社して一番最初に外部の打ち合わせのための企画書を任されたときに……。
長谷川:覚えてない(笑)
三浦:たしか木曜日に言われて、頑張って頑張って不眠不休で作って、、そしたら月曜日に長谷川さんにケチョンケチョンにダメだしされて。でもその企画書、いまでも大切に取っていますからね。そういう、最初に任された企画書っていうのは思い入れがあります。そのときに初めてトイレで泣きましたね、悔しくて。
長谷川:えー!そうなんや。
三浦:けっこうPRやっていると企画書上手ですねってお褒め頂く事があり、「最初からそんなにセンスあったんですか」なんて聞かれますけど、そんな時代があったんですよ、と。
―そもそも何人かの北京支社立ち上げの候補者の中から、長谷川さんが三浦さんを選出された理由は何だったのでしょうか?
長谷川:もちろん、候補は何人かいましたけど、立ち上げの全責任者として意思疎通が早い、「あうん」の呼吸で動いてくれる人がいいなと思ってて、「あ」を言ったら「た」くらいまでは勝手に進行してくれてて、残りの「ん」までは一緒に相談しながら進めていけるような人が良いなと思っていました。時間もありませんし。
そういう意味で言うと、三浦はその感覚値が近かったですね。今でも企画の壁打ちや新規事業の相談で呼びます。彼なりに、いつ呼ばれてもいいように情報収集してくれてる気がしますし。
三浦:そりゃそうですよ!常に準備してます!
長谷川:彼を北京支社立ち上げの候補者の中から選んだ理由の一番は、「期待値に対して答えてくれそう」な雰囲気があって、さらにちょっと自信家な部分が中国で磨かれて帰ってきてくれたらいいなっていう思いもありました。
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お二人のベクトル時代からの強い絆を実感した対談でした。後編では弊社創立の背景から一緒に働きたい人物までを語ってもらいます!