2018年4月1日に設立されたネットプロテクションズ関西オフィス。
設立の背景にはメンバー個々人のライフステージの変化や、故郷に帰ってなし得たい強い想いがありました。
入社2年目で関西オフィス設立の発起人となった春田岬に、立ち上げから現在に至るまでを聞きました。
春田 岬(はるた みさき)
2016年に立命館大学情報理工学部知能情報学科卒業後、ネットプロテクションズに新卒入社。
入社後はシステム開発を担うビジネスアーキテクトグループに配属。
NP後払いとNP掛け払いの事業開発のマネジメント経験を経て、2018年に海外向け決済サービスAFTEEのインフラ基盤を構築。
同時期に関西オフィスで開発チームを立ち上げ、現在は一事業に閉じず事業横断で幅広くシステム領域に関わっている。
プライベートでは2019年1月に長女が誕生。
「拠点を立ち上げるのは自分しかいない!」プライベートも仕事も諦めたくないと思えた瞬間
「関西オフィスを立ち上げよう」という話自体は、僕が内定者だった頃から出ていました。
それでも関西出身の人が少なかったのか、ずっと手を挙げる人がいないまま、具体的な話にはなっていませんでした。
一方で僕は勤務地に関して、そろそろ考え始めたいと思っていました。入社前に奥さんとは婚約していたんですが、ファーストキャリアの勤務地は、自分が東京、奥さんは地元の滋賀。いずれは一緒に住もうと2人で言っていたけど、入社2年目になっても互いに月2回会いに行き合うばかりで、一緒に住むことの目処は立っていなかったんです。
そんなある日、同じ部署の先輩が台湾に拠点を立ち上げると聞いたんです。当時ネットプロテクションズには東京本社以外の拠点がなかったので、本社以外の拠点を作るのは会社史上始めてのこと。すごいし、正直羨ましいなと思いました。
その先輩と話をしていたら聞かれたんですよね、「関西の拠点はいつ作るの?」って。
この問いをきっかけに、はっとしました。それまでは拠点を立ち上げるということに対して、どこか傍観者気分だったんです。しかし改めて入社当時の想いや現在の状況と向き合うことで、「自分が関西に拠点を立ち上げたい!」と思えました。
奥さんにも関西オフィス設立について考えていることを相談し、自分でも熟考を重ねましたが、やっぱり気持ちは変わらなかった。ついに決心を固め、社長に「自分が関西オフィスを立ち上げたい」と相談しました。
実際に拠点を立ち上げるまでの道のりには、背中を押してくれる環境があった
決断してからはすぐ社長に相談したので、メンバー集めをどうするのかとか、どこに拠点を作るのかとか、関西拠点が会社の中でどんな役割を担うのかとか、深くは考え切れてなかったんですよね。それでも相談の翌日には全社員に向けて関西オフィス立ち上げメンバーの募集が開始され、それに対する応募もありメンバーが集まりました。
関西オフィス設立の動きが表立ったことで、「関西に行って何をするの?」と社内で聞かれることも多くなり、自然と組織のあり方やビジョン設計について考えるようになりました。
今思えばこの頃から、思考の幅が広がったように思います。
もともとシステム開発の部署で働いていた時は、どうしても自分の業務範囲に思考を寄せがちだったので。
開発組織を地方拠点で作る必要はあるのか?自身のキャリア感との狭間で経験した葛藤
拠点の意味付けについては結構悩みました。
漠然としたイメージですが一般的に地方拠点を作る理由って、わざわざ活動のフィールドを移すことでメリットが大きい職種じゃないといけないイメージがあったんです。
例えばお客さんと商談をする営業職とか。だから地方拠点に営業所って名前をつける会社もあるんだと思っていました。
そう考えるとエンジニアとして経験を積んできた自分には何ができるんだろう?と悩んだんです。
加えて実は、自分のキャリアに対する葛藤もありました。
東京にはエンジニアとして個人の技術力を高めるような機会があふれています。先進的なIT企業が多くあり、求人も豊富。東京ほどの環境ではない関西に行ったら、キャリアの可能性を狭めてしまうんじゃないかという考えもよぎったんです。
自分が関西に行くのではなく奥さんが東京にくる道もあるんじゃないか。あるいはいっそのこと今までの経験は捨てて、営業やマーケティングといった立地条件を活かせる職種へキャリアチェンジするという手段も考えられるのではないか。あらゆる可能性を思い浮かべては首をひねる。そんなことを繰り返していると、ふと自分のやるべきことが見えてきました。
NPの関西オフィスを先進的なIT企業に育てればよいのではないか。
自分が学生だった頃を思い出すと、関西にはITベンチャーがまず少ない、会うなら東京に行かないといけない、インターン募集の数も限られている。そんな環境で就活をしていました。
もし自分が学生の活躍の場を広げることができたらどうなるだろう?それを考えるとワクワクして、エンジニアのキャリアを捨てたってチャレンジしたいと思えました。
立ち上げ1年目。マネジメント未経験で挑んだ開発の組織作り。見出した「自由と責任」の可能性
そうして関西へ異動する日を迎えましたが、何にもないところから自由に理想を描ける一方で、描いたことを実行するのは自分たちしかいない。この自由と責任が共存した環境は、苦しくもクリエイティブな環境だったと思います。
すでに東京本社に開発組織がいる中で、関西オフィスならではの強みを探しながら新しい体制を作るのには、骨が折れました。加えて拠点を立ち上げる決心をした責任として、やるからには「関西オフィスは地方の新興拠点だからある程度の業務しかこなせない」と思わせてはいけないと感じていたんです。そう思われてしまうのはきっと、拠点立ち上げの失敗だから。
無我夢中で進めていると、社内外の方々が協力してくれて、開発拠点としての機能が徐々にできあがりました。台湾でリリースされる新規事業の開発に大きく携わる機会も生まれ、組織全体が少しずつ軌道に乗っていったように感じます。
次第に関西オフィスならではの強みも見えてきました。
それは少人数の組織ゆえに意思決定や改善サイクルを回すスピードを素早くできること。加えて、メンバーそれぞれが柔軟なアイデアを出しあえたこと。こうしたことが相まって、新規事業の領域で結果を出せたのだと思います。
メンバーには学生インターンもいたので、彼らにどのくらいの裁量を預けるは少し悩みました。でもインターン生だから任せる範囲はこれだけ、と厳格に絞ることはあえてしなかったんです。限定的な範囲の裁量ではメンバーもワクワクしないし、その範囲のボーダーを超えるような柔軟な企画や発想も生まれにくくなります。拠点を立ち上げる際に「学生の活躍の場を広げたい」と思っていたはずなのに、そこで制限をかけてしまうのは本意じゃないなと。なので「どんな問題が起こっても自分が最後まで誠実に向き合って、必ず収束をさせるんだ」という覚悟で、社員と同等の「自由と責任」を学生インターンにも預けてみることにしました。
結果としては、メンバーから自由な意見がどんどん出てきますし、その意見に違和感を持ったことはほとんどないんですよね。
むしろメンバーの自由な発想から学ばされることもありましたし、互いに想像力を刺激しあうきっかけやモチベーションをあげる起爆剤にもなっていました。
個々人に自由と責任を持ってもらったことで、生き生きと活躍できる場を用意できたんじゃないかなと思います。
システム開発と組織作りは似ているかもしれない。関西拠点立ち上げを経験した今、思うこと
立ち上げから2年が経った現在では、インターン募集を通して、最大で14名の開発組織を運営できるようになりました。
悩みながら進んできた道ですが、振り返ると組織作りとシステム開発は似ているなと思うこともあります。
システム開発と聞くとビジネスで実現したいことを設計し、システムはその通りにプロセスを描く、所謂ビジネスドリブンな開発がメインだと思われる人も多いのではないでしょうか。
一方で、新技術の誕生をきっかけに手段ベースでできることを考えるようなテックドリブンで事業を設計する手法もあります。
関西オフィスの組織づくりにおいては、テックドリブンに近い運営手法を取っています。色々なタイプの人が加わり、それに刺激を受けながら組織全体が変容し事業を進めて行く。言うなれば、「人ドリブン」。そこにいる人次第で描ける未来が変わっていくし、組織としての可能性が無限大に広がっていく、そんな感覚を肌で感じていました。
今後も関西圏で、事業作りを通して働く意義を感じてもらえる機会を、創造していきたいと思っています。
自分はみんなが活躍できるための良質な土壌を整備するだけに過ぎません。あとはそこで活躍するメンバーが個々の自由と責任のもと方向性を見出し、新しい芽をみんなで育てていく。一体どんな芽が育つのか、見守るのが今は楽しいです。
ゆくゆくは所属もネットプロテクションズに限らず、自然と面白い人が集まって、面白いことを実行していけるような環境を作っていければ楽しそうだな。想像するとワクワクします。
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