はじめまして。株式会社メドレーのCLINICS事業部 カスタマーサクセスグループに所属しております、鈴村と申します。
私は、オンライン診療アプリ「CLINICS」をより広くご利用いただけるよう、各医療機関様、そこに通院される患者様に寄り添いながら、ご活用の提案をする仕事をしています。
今回は、学生時代に個人的な医療体験を持った私が、自分に向き合い、悩み抜いた末に、新卒で入社した大好きな会社・仕事を離れ、新たな職種でチャレンジするに至った経緯をお話できれば幸いです。
医療を身近に感じてきた学生時代
私は10代の頃、予防できる病気である「おたふく風邪」の合併症で片耳を失聴しました。
まだ出始めだったインターネットと家庭の医学を読み漁り、予防接種を受けていれば防ぐことができた可能性が高いこと、一度失聴すると予後は極めて悪いことを知りました。ほぼ治らないと言われながら続けた治療と片耳での聞こえに慣れるまでの生活に気が滅入るようだったことをなんとなく覚えています。(幸い忘れることが得意な性質で、結構断片的な記憶しか残っていません。笑 聞こえていてもいなくてもボケた反応をしていたので、恐らくそうゆうキャラクターだと思われているようです。)
この経験から、正しい医療情報が伝えられ、個人が適切な予防行動をとれるような社会を実現するために、医療と政策やコミュニケーションの双方が学べる環境に行きたい、という想いで慶應のSFCを選びました。
一人一人が自主的に授業を選択し、やる気があれば学部1年生からゼミに入れ、みんなが挨拶がわりに「最近何やってるの?」と声をかけあうような変わった学部に入学したことで、自分も何者かにならなければいけないという焦りを抱えながらも、授業にバイトにサークルとそれなりに学生生活を楽しんでいました。
そして、大学2年の春、大学の卒業生のある先輩と出会ったことで、その方のサポートを受け、大学生による子宮頸がん・乳がんの予防啓発の団体を別の大学の先輩と2人で立ち上げることになりました。
団体での活動と挫折
(開催したイベントでの集合写真。イベントによっては1000名ほどの規模になるときも。)
まだ子宮頸がんという言葉も浸透していなかった当時、検診やワクチンで予防ができるがんに多くの20代〜30代の女性が罹患しているという事実を初めて知り、婦人科に行き慣れない若い女性たちに「予防する」という行動を起こしてもらうために、同世代だからこそ伝えられることがあるはずだと思いました。
それから、学んだ知識やがんサバイバーの方のインタビューをわかりやすく伝える、フリーペーパーを作ったり、イベントや勉強会をやりながら、twitterにFacebook、メルマガとあらゆる手段で発信を始めていきます。
こう書いてみると、随分と真面目な学生だったかのようですが、正直、完全に勢いで立ち上げてしまっただけのポンコツでしたので、始めの頃は、共同代表として共に立ち上げた先輩やサポートをしてくださっていた卒業生の先輩には散々叱られ、迷惑もかけました。そんな中、愛を持って接し続けてくれた方々のおかげで、周囲を巻き込んで何かを為していくことに伴う責任を感じ、少しずつ仲間を増やしていきました。
尚、この共同代表の先輩の口癖は「さおりは食べてるときが一番可愛い」でした。褒められているか定かではないですが、なかなか褒めてくれないツンデレな先輩だったのでやたら嬉しかったです。
(共同代表の先輩やメンバーと。美味しそうに食べるのが得意な私は一番左です)
テーマは真面目ではあったものの、大学生の集まりなので、みんなで手探りで1から何かを作っていくのは楽しく、フリーペーパーや啓発グッズのデザインを考えたり、夜な夜な某翼を授けるエナジードリンクを飲みながらイベント企画の議論をしたりと、日々の活動自体も楽しく、居場所になっていきました。
(尚、今の私のエナジードリンク習慣はここで作られました。習慣って怖いですね。)
そして、徐々に活動の範囲は中学や高校への出張授業や地方自治体と合同での検診クーポンを使った受診勧奨の取り組みなど公的機関との連携へと広がっていき、契約を締結していくために団体の社団法人化もしました。幸いメディアなどでも取り上げていただき、発信をしていく中で、元々自分がやりたかったことが実現していく面白さを感じていました。
ただ、活動の広がりは徐々に私たちを苦しめていきました。メンバーは皆学生で、勉強やバイトの合間を縫って時間を作り、交通費などもかなり持ち出しで活動していましたが、当然、公的機関から金銭はもらいづらく、各所へ営業に回り、いい取り組みだねと言ってもらえたとしても、そこにお金はなかなか生まれませんでした。
事業として成り立たせられなければ、活動の幅も影響の範囲も広げられない。ただボランティア活動をしたい訳ではないのにと悔しさを感じながら、社会に影響を与えるためには知識も経験も根気も全てが足りなかったことを思い知らされました。
あまりの悔しさに、疫学的な研究アプローチを元にしてほぼ書きあがっていた卒業論文を、締め切り1週間前に白紙に戻し、行政と非営利組織の協働というテーマで1から書き直して提出したことは今でもゼミで笑いのタネにされています。
この挫折経験から、元々は進学か、公的機関かジャーナリズム色の強いメディア企業への就職を考えていましたが、収益を出せる営利企業に入りたいという想いが強くなり、リクルートであれば、社会の課題解決を本気で目指しながらも利益追求を両立させる秘訣を学べるはずだと思い、就職を決めました。
新卒でリクルートに入社、人事部に配属
その当時、リクルートの新卒総合職の大半はまず営業職に配置されていたので、私も当然ながら営業をやり、そこでの知見を活かして商品企画や事業企画へと異動していくというキャリアを積んでいくものだと勝手に思っていたのですが、まさかの同期たったの4名の人事部へと配属が決まりました。そして、利益追及から程遠い部署で、あなたたちはコストなのよ!と役員直々に言われながら社会人生活のスタートを切ることとなりました。
元の希望とは異なる場所ではあったものの、結果としてホールディングス体制への変更という大きく舵を切って会社を動かしていく人事の人たち、そして、リクルートフィロソフィーに基づいて設計された独特な人事制度や取り組みに、私は魅せられていきました。
新人に任せる業務なんて果たしてあるのか?という環境の中で、直接の上司やリーダーのみならず、周囲の色んな方々から指導を受け、見守られながら、給与・賞与の計算から入社・退職・異動配置、人事規程や制度の整備といわゆる人事業務を幅広く経験させていただきました。
(役員席が勢揃いしているフロアのど真ん中で他部署のマネジャーから怒鳴られて、先輩が一緒に頭を下げてくれたのも今となっては良い思い出です。)
その後、もっと事業領域に近い環境で働きたいと希望して異動したリクルートジョブズでは、人事の中でも特に企画に特化して業務を担っていきます。経営戦略に即して人事の戦略を考えていくこと、会社として中長期的に解くべき人事課題を設定することはとても面白く、大きな経営判断に伴う組織変革の担当者として奔走した年には全社表彰をいただくこともできました。
徐々に影響範囲の広い業務を担うようになる中で、様々な部署の役員からメンバーまで関わりを持つようになり、かつて、仕組みとして作っていくことの面白さに魅せられて人事にいたはずの私は、気づくと、そこで働く人たちのことが大好きになっていました。「組織は戦略に従う」というチャンドラーの有名な言葉がありますが、戦略が実行されるか否かは組織にいる一人一人にかかっている。だからこそ、私は絵空事ではなく、実際に現場が動く企画を立てられる人になる、という想いを持つようになりました。
就活ぶりに突き詰めた「本当に自分がやりたいこと」
ありがたいことに会社からは色々な研修に参加させていただく機会にも恵まれ、社会人5年目に受けることになったある研修が私の転機となります。
その頃、私は1年越しの悲願だった地方拠点の働き方変革になんとかして取り組むため、奮闘をしていました。新たなツールの導入やプロセスの改善、旧体制のルールの見直しによって、働き方を柔軟にしながら、成果を上げていくことがきっとできるはずだと強い想いを持ち、何度も各地方に足を運び、どうせ無理だ、できないと思っている現場の部署を巻き込み、現場が変わるための取り組みを進めていました。
そんな状況だったため、時間を取られる研修に対しては後ろ向きでした。しかもその研修はスキル研修ではなく、将来、人生をとしてやりたいことを考え、最後、経営陣に発表するという苦手な分野のものでした。
就活ぶりに自分について徹底して振り返り、将来に目を向けたとき、周りの人たちからの信頼も得て、面白いと感じる仕事を任されて満足をしていたにも関わらず、「今取り組んでいるテーマの次に、人事としてやりたいことは何だろう?」「人生をとしてやりたいことは今の人事の仕事のその先にあるのだろうか?」と、ずんずんと悩みの森に踏み込んでいきました。
悶々とする中で、自分のかつてのやりたかったことにもう一度チャレンジしてみるべきなのではないか、人生をとして取り組みたいか今はわからなくても、このままやらずに人事でい続けてはいつか後悔するのではないかという想いが湧き上がってきました。
思い悩んだ末、最終発表では「医療・ヘルスケアの領域で事業をやる。もっと医療が身近に感じられるような社会にしたい。」と話していました。
そして、「医療の分野に近づける可能性のある企業の、人事以外の職種で」という、領域も職種も変える転職を志向し始めます。
そんなときに、尊敬する起業家の友人から紹介を受けたのが、メドレーの代表の豊田でした。事業内容や豊田の語る未来に惹きつけられ、ここで新しいチャレンジができたら面白いのではないかとワクワクしたことを覚えています。
その後、面接で会う人たち一人一人もまた魅力的で、新しい事業・職種でまだ手探りだけれど、一緒にやろう、と言われ、気づいたら入社を決めていました。
(CLINICSのカスタマーサクセス&カスタマーサポートのメンバーで忘年会をしました)
メドレーに入社してみて
これまで直接顧客と対峙することがなかったため、入社して始めての顧客対応では、電話をかけるだけでもドキドキし、初めての往訪では、説明しながら大量の冷や汗をかきました。医療的な知識やシステムの設計、提案内容など覚えることも多く、変化のスピード感にも目が回るようでしたが、ここでチャレンジしていくことできっと新たにできることも増えていくはずだと思い、必死で日々、取り組んでいきました。
そして、今では組織のメンバーも増え、徐々に顧客に対しても組織に対しても、自分の過去の知見を踏まえ、自分だから見えている視点での提案や関わり方をしていけるようになってきているのではないかなと思います。
メドレーは、理想を持ちながらも、理想論だけで語るのではなく、実際に人が動き、社会を変わっていくことに価値を置く組織です。定量・定性の各種データを活用し、ベストプラクティスを追求しながらも、それぞれの個別の事情も鑑み、実際に活用に繋がる方法をひたむきに模索していけることは、とても面白いです。
そして、実際に関わっていく中で、「遠方からなんとか都合をつけて通われていた患者様も遠隔であれば定期的に相談を受けることができ、とても助かっている」「動くのも大変でご家族の付き添いが必要でご家族がお休みの日になんとか通院いただいていたけれど、ご自宅から診察を受けていただけるようになった」といったリアルな声を聞けたときには、医療機関様と一緒に少しずつ社会を変えていることを実感でき、やりがいになっています。
(オンライン診療の広がりをダイレクトに感じることができるポジションです)
そんな私は、こんな方と働きたい
私のように、直接、医療分野やカスタマーサクセスの分野での経験がなくても、相手のことを考え、想いを持って、多くの人を巻き込んで動かした経験は領域に関わらず、活きていると思います。
理想の未来を大きく描き、その描いた未来を信じて、顧客にも一緒に働くメンバーにも向き合い続け、たとえ少しずつでも確実に社会を動かすのだと信じてやまない真摯な野心家、そんな人と働きたいと思っています。
あなたの安全地帯を飛び出て、一緒にチャレンジしませんか。
過去のメドレー社員の記事
第1回:ぼくがクックパッドを辞めてメドレーに入った7つの理由
第2回:現役ダーツプロの僕がメドレーに入社した7つの理由
第3回:デザイナーの僕がメドレーに入った7つの理由
第4回:私がドクターヘリを降りて、メドレーに入った7つの理由
第5回:ライフセーバーの私がメドレーで働く理由
第6回:私がヤフーを辞めてメドレーに入社した2つの理由
第7回:外資系投資銀行出身の私がメドレーに入った理由
第8回:Googleのエバンジェリストをやめてメドレーに入社した僕が6つに割れたバキバキの腹筋を手に入れるまでに実行した7つのステップ
第9回:今年不惑を迎えたエンジニアがメドレーを選んだ理由
第10回:年収36,000円のお笑い芸人が、メドレーに入社するまでの7つのステップ
第11回:医者にならずに7年過ごした僕がMEDLEYニュースを書く7つの理由
第12回:何がしたいのかわからなかった私がメドレーの仕事にやりがいを感じる7つの理由
第13回:厚生労働省の医系技官だった私がメドレーに入社した3つの理由
第14回:7年いたリブセンスをやめ、マエダがメドレーでデザインしたいこと
第15回:IPOを経験した私が、次のステージにメドレーを選んだ理由
第17回:整体師を11年やっていた私が、34歳でメドレーに転職して「介護のほんね」に取り組む理由
第18回:マザーハウスでバッグを販売していた私が、メドレーで見つけたひとつの目標
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第22回:なんでもできるようになりたかったエンジニアがメドレーへ入社した理由
第23回:新卒から9年働いた会社を飛び出した私がメドレーに入社した理由
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第34回:やりがいとワークライフバランスの両立を探して、私がメドレーにたどり着いた理由
メドレーが提供しているサービス
・医師たちがつくるオンライン医療事典「MEDLEY」
・オンライン診療アプリ「CLINICS」
・医療介護業界の求人サイト「ジョブメドレー」
・介護施設を選ぶための口コミサイト「介護のほんね」