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出会いと学びが、生きがいを創るー“働きたくない若者”が目指す「自立のインフラ」

弊社代表取締役の田島智也(たじまともや)がmanebiを創業し、現在のような急成長に至るには、試行錯誤の日々を救ってくれた、たくさんの「出会い」と「学び」がありました。

自分の存在価値を見失うような絶望が、manebi創業につながった

               田島家の父と三兄弟(真ん中下が田島)

——人生、このままでいいのだろうか。

進路や仕事、結婚など、誰もが人生の局面で迷うものです。その中でも、とくに深く悩みの中に迷い込んでしまった経験を持つ人は、少なくないのかもしれません。manebi創業者の田島も、そのひとりでした。

今から8年前、就職活動を前にした田島は「自分には、生きている意味があるのだろうか」と、自身の存在価値を見失っていました。そんな時期を経たからこそ、田島は今manebiを経営しています。

——人々の人生の生きがいを発掘するサポートがしたい。

田島 「夢や希望、気力すら無かった自分が、使命感や憧れを抱き、一生懸命生きてみようと人生の景色が一変した『感動体験』を、自分のように困っている人になんとか共有できないかと思ったんです」

そんな想いでスタートしたmanebiは、語学からビジネススキルまで、動画で学習できるオンライン学習マーケットプレイス「manebi.jp」を軸とした各種サービスを提供しています。2016年にスタートしたばかりの派遣業界向け教育システム「派遣のミカタ☆eラーニング」では、サービス開始半年の時点で、毎月、前月比150%の売上を展開。今、manebiは大きく事業成長を遂げつつあります。

そんなmanebiを経営する田島ですが、幼少期は泣き虫で、シャイ。人前で話せないような子どもでした。

東京都葛飾区青戸で生まれ、三兄弟の末っ子。しかし田島が12才のころ、父親がガンで他界。家業であった田島工務店を畳むことに……。母子家庭で経済力が低いなか、母の努力で何の不満もなく育ててもらいました。しかし、三兄弟のうち唯一大学へ進学させてもらったこともあり、感謝とともにプレッシャーを抱えた時期があったのです。

田島 「大人になるにつれて母親がいかに大変なのか、想像できるようになってきました。だから、今度は自分が母や家族を支えなければと、使命感を持っていたんです」

それにも関わらず、生きがいを持って働いている社会人を見る機会がなく、就職への魅力を感じることができなかった田島。

田島 「働いて、母に恩返しがしたい。でも、働くことを前向きに受け止められず、就職したいと思えない。そんな自分は、生きている必要があるのだろうか……。深く悩み、生きる気力を失っていました」

真面目で寡黙な長男と陽気で破天荒な次男の下で、引っ込み思案に生きてきた三男の田島が「社長」になるまでには、深い悩みと葛藤、そしてそれを払拭した素晴らしい「出会い」がありました。

ようやく見つけた「働く理由」は、「生きる理由」でもあった

        母から借りた実際の100万円。重みを忘れないように当時撮影していた

田島が働くことに前向きになったキッカケは、ある「出会い」でした。社会人になりたくないと思いながらはじめた就職活動で、多くの心惹かれる経営者に出会うことができたのです。

田島 「業界はさまざまですが、かっこいい経営者たちにたくさん出会いました。『働くことが楽しい』と言い、大人であっても大きな夢を語っているーー。こんな風に働けるなら、自分も社会人になりたいと思えるようになりました」

とくに影響を受けたのは、「OKWAVE」を運営する株式会社オウケイウェイヴの兼元社長との出会いです。抱え続けてきた「家庭への使命感」と、求めていた「働きがい」「生きがい」が一致する瞬間でした。

田島 「OKWAVEは、 “教える”と“答える”を実現することできるQ&Aサイトです。『ありがとう』をたくさん集めたいという想いをカタチにされていて、企業が介在しない世界で人々が助け合って『ありがとう』が交わされている。それでいてビジネスとして成り立っていて、上場までしている。そんな仕組みを自分も創りたいと思いました」

田島は、就職活動中、6ヶ月かけて何度もオウケイウェイヴにエントリー。落ちても、落ちても、食らいついて、最終面談までこぎつけましたが、受かることはありませんでした。結果、田島は自分で起業することを考えはじめます。

しかし、人脈もなければ、お金やアイデアもない。そこで、一度はベンチャー企業へ就職。新卒入社から8か月、必死で営業能力を身につけました。

そして、同企業の先輩ふたりと起業することに。メンバーの素質を活かし、Web制作などを受託していました。田島にはガッツがあるものの、社会人1年目の新卒同然かつ経営は素人。半年間は売上も立たず、毎日200円のお弁当を食べる日々でした。

田島 「決して裕福ではない実家の母からお金を借りて、会社を続けました。せっかく大学に行かせた三男が、就職した会社を1年足らずで辞めて起業。それでも母は『きっと出来るから思う通りにやったらいいよ』と100万円を渡してくれたんです」

その100万円の重みを、田島は今でも忘れていません。

成長のきっかけが目の前にあり続ければ、きっと人は生きていける

  創業して間もない頃、東洋経済オンラインのインタビューに出演。CTOフングと当時のオフィスにて

先輩と立ち上げた会社が3年7か月を迎えるころ、田島はmanebiを創業。メンバーからは抜けたものの、同企業は今でも存続し、8期目を迎えています。

田島 「就活中、おぼろげながら描いていた『人が支え合える場所や、生きがいを見つけるきっかけを創りたい』というテーマは、ずっと忘れていませんでした。そろそろ自分の本来の夢に向かっていこうと決めたころ、現在manebiの取締役を務める平石に出会いました。当時、彼は海外家電メーカーの日本支社長を務めておりましたが、事業の垂直立ち上げにも成功し、次のステージへいこうと準備をしている時期でした」

manebiの将来構想が実現できそうな取締役平石と開発メンバーと意気投合し、株式会社manebiを創業することになりました。そして、教えたい人と学びたい人をつなぐというコンセプトで「manebi.jp」を開始。個人間(CtoC)でeラーニングを提供、販売するサービスです。

田島 「自分が就職活動以降、たくさんの経営者や先輩から夢に向かうきっかけをもらったような場を提供したい。そんな想いが『manebi.jp』には詰まっています。自分が大きく変われたのは、きっかけを掴み、『学んだ』からだと実感があるからです」

経営もビジネスも知らない田島は、大学卒業間近で、ビジネス書400冊を読み漁った経験があります。それでも「足りない」と感じ、社会人になってからはCDやDVDのビジネス教材を購入。通勤時間に聞きながら過ごしていました。

田島 「学んだことで、行動も考え方も、急激に変わりました。学びは、人間の成長過程を縮めるチカラがあります。学ぶことで、貢献できることも解決できることも増えていく。そうすれば、周りから重宝され、それが生きがいを感じるきっかけにもなります」

田島が「学び」から得たものは、「人生の羅針盤(コンパス)」のようなものでした。人は誰しも生きがいの軸、つまり「このために生きよう」という使命感の種を、例外なく持っています。どこにいても行き先を指し示してくれる羅針盤。それがあれば、自分の生き方に対して大きく迷ってしまうことはないはずです。

田島 「種が熟す期間は人それぞれ違います。花が咲き、実がなるには、それぞれのペースやタイミングがある。だけど、『人生の羅針盤』さえあれば、途中で枯れてしまうことなく前向きに生きていけるはず。それを見つけるきっかけを与え続ける場が『manebi.jp』です」

近年では、教育のシェアリングエコノミーが注目を集めていますが、創業時の「manebi.jp」はコンセプトがうまく伝わらず、売上が立ちづらいという苦労もありました。

田島 「とくに反省しているのは、ターゲットを絞らなかったことですね。より多くの人にきっかけを掴んでほしいと考えた結果、パワーが分散してしまった。立ち上がりも遅かったし、何がしたいサイトなのかわかりづらくなってしまいました」

新たな出会いが、manebiをさらに大きく成長させていく

  かけがえのない仲間が続々と集まってきた。グローバル企業であり「大家族」であろう

企業存続の危機に陥ったことも、1度ではありません。創業から1〜2年の間、倒れそうになっては立ち上がる、の繰り返しでした。

田島 「複数の大型受託案件で得た収益は、主に教材コンテンツ拡充やプロモーションに投資していました。ただ、すぐにリターンがあるわけではなく、またつぶれそうになって、そのたび這い上がり……。自分たちの教育事業への想いを“爆発”させられる場を探していたんです」

そんなタイミングで出会えたのが、派遣業界。現在、manebiの派遣業界向け教育ソリューション「派遣のミカタ☆eラーンング」は急成長中です。2015年の派遣法改正で、派遣企業に大きな課題が生まれたところに、「manebi.jp」のコンテンツを活かして解決することができる機会が生まれたのでした。

田島 「話を聞いた時、すぐに『これだ!』と思いました。僕たちが描くビジョンは、社会で必要不可欠となる『人の成長に寄り添う革新的教育インフラ』と『人生の羅針盤(コンパス)』を作るサポートをし、イキイキとした生きやすい社会を創ること。人の自立を“仕事”で支える派遣業界に貢献することは、ビジョンに則した、やり甲斐のある事業なんです」

派遣業界との出会いを作ってくれたのは、田島が師匠と慕う経営者の方でした。悩みや葛藤、危機の中で、田島とmanebiを救ってくれるのは、いつも「出会い」です。

田島 「僕自身が出会いに支えられてきたように、ひとりでも多くの人々がイキイキと生きる社会にするための『自立のインフラ』を創りたいんです

「自立のインフラ」とは、その人本来の在り方と力で、本来の道を歩んでいける為に存在する社会のサポートシステムです。2025年に訪れると言われている、圧倒的な人材不足に向けて、manebiは動きはじめています。

現在は派遣業界へのサービス提供がメインですが、介護業界・建設業界と、人材不足・教育不足が社会問題になりつつある業界がまだまだ多く存在します。そこに、manebiが提供する「自立のインフラ」が活かせると、田島は考えているのです。

田島 「個人の意思、先天的な資質、後天的な能力から目標が自動提案され、それを実現する学習カリキュラムすらも自動提案できる仕組みを構築している最中です。個人のクセや考えを理解する。心の黄色信号をモニタリングする。精神的サポートを施す。向かうべき先にユーザ自らが行動を起こす。そして、それを静かに支え続ける……。そんな仕組みを、人とコンピュターの力で実現したいですね」

出会い、学び、誰もが自分の「人生の羅針盤」を見つけられる。そうすればきっと、新しい教育プラットフォーム=「自立のインフラ」は確立できるーー。そんな想いを胸に、これからもmanebiは進化を続けていきます。




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