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ぼくの本棚(小林編)

こういうと変わった人のような感じがするかもしれないのですが、僕は詩が好きです。小学校の国語の授業で詩を書く機会があって、1文字も書けず、とてつもないトラウマを植えつけられた僕は、ずっと詩を毛嫌いしていました。韻文ならまだしも、散文詩に至っては訳の分からない言葉の羅列だとしか思えなかったのです。

僕は元々哲学や古典文学、芸術論などが好きなので、それらに関する本ばかり読んでいました。それらの傑作に共通することのひとつが美しい言葉=詩を含んでいることだと気付いたのが、詩を読んでみようと思ったきっかけでした。

はじめてまともに向き合って読んだ詩はアルチュール・ランボーの「悪魔の季節」という詩集でした。この詩集は高校生ぐらいの青年が書いたとはとても思えない内容で、自分の中にある美しさの定義を根底から覆すような衝撃を受けたことを覚えています。

今回紹介する本は、日本の現代詩人である堀川正美が1978年に著した全集

堀川正美詩集

という作品です。

この中にはとてもひとつの文章にまとめられない、多様な作品が掲載されているのですが、その中の「新鮮で苦しみおおい日々」という詩がこれまでの僕の人生で最も感銘を受けた詩です。この詩を読んだ時、僕は驚嘆のあまり暫く笑いが止まりませんでした。(今も読むと新鮮な感動があります)

冒頭の「時代は感受性に運命をもたらす」という一節で、僕は現代という時代と、それに紐付いた感受性について、2、3日ほど考えました。僕たちが当たり前に利用しているインターネットとそれがもたらしたSNSなどの「ゆるい繋がり」についてだとか、敗戦、バブル崩壊などが及ぼした、各世代の感性への影響についてだとか、逡巡させられました。この一節がいかに深淵な思考と強靭な理念を以て書かれているかということに思い至った時、僕は背筋が凍ったような感じがしました。その先も驚異です。

むきだしの純粋さがふたつに裂けていくとき

腕のながさよりもとおくから運命は

芯を一撃して決意をうながす。けれども

自分をつかいはたせるとき何がのこるだろう?

もはや説明は不要かと思います。とにかく言葉の質量が凄まじい。「むきだしの純粋さ」という言葉、「ふたつに裂けていく」という言葉、それらが何を意味しているかということはもはや問題ではありません。「運命は芯を一撃して決意をうながす」のです。これは人生の話をしていると解釈すると分かりやすいかと思います。「(人生の中で)自分をつかいはたせるとき何がのこるだろう」という問いは誰しもが思い浮かべることかもしれませんが、この表現は絶対に思いつかない。非常に巧妙であり、かつ最高に美しい一連(詩の中のひとつのまとまりのこと)だと思います。

この連だけで僕はこの作者の人間性を完全に肯定しました。そして、彼が持っている理念や思想が、絶対的に揺るぎないものであることを悟りました。

詩の素晴らしいところは言葉の美しさだけではなく、それを書いている人間の筋や根底をなすものが垣間見えるところだと思っています。確かに、書かれてある言葉は理性的とは言い難いかもしれません。しかし、書いているのはひとりの人間なのです。その人間性がブレていれば、言葉も単なる羅列になってしまうでしょうし、その人間性が浅ければ、模倣をする他ないのです。僕が幼少期に詩を書けなかったのは、詩を創作できるほど何かを考えて生きていなかったからなんだと思います。

筋が通っていることを殊更に述べ立てる本とは一線を画した、「筋が通っている人間」と「自分」とのぶつかり合いのような読書体験として、僕はこの本(加えて言えば世の中にある沢山の詩集)をお勧めします。

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