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食べられない眠れない勝手に涙が出る。そんな状況を乗り越えて、いま僕が仕事をする意味。

これまでのキャリアの明るめな側面

中学はバスケットボールで県選抜候補選手、高校では部員数100名を超す強豪野球部に入部。甲子園に出れませんでしたが、最後の夏の大会にはレギュラーとして試合に出場。大学ではラクロスに挑戦し、学生日本代表に選出され、日の丸を背負い世界大会に出場しました。

大学を卒業後、2007年にリクルートキャリアへ入社。法人営業として、スタートアップ企業から日本を代表する超大手企業まで、幅広く中途採用や育成支援の担当をさせてもらいました。様々な企業ニーズ(ピンポイントの技術者採用から100名単位の大量採用、中途入社者の早期立ち上げ等)に対し、幅広いソリューションを提案、導入・運用フォロー。 また、早くから組織のマネジメントを任されたり、新規事業のプロジェクトに任命されたり、MVPや全社表彰などの賞もいただけるようになりました。

ここまでの情報だけをみると、いわゆる順風満帆な人生ですが、そうは問屋がおろしません。ここからは想い出に残る挫折を紹介していきます(笑)。

とある挫折 その1

小さい頃はひどいアトピーでした。手足や関節の至る所に湿疹ができて掻きむしってしまうので、手を縛って寝ることもあるレベル。保育園のお遊戯の時間、友達から「手が汚いから繋ぎたくない!」と言われ、僕だけ手を握ってもらえなかったことがあったんです。 何度かそのようなことが続いたため、「なんで僕だけこんな身体なの?つらい。もういなくなりたい。」と、泣きながら母にあたってしまいました。 母は泣いて謝ってくれましたが、今でも当時のことを後悔しています。 これが原体験となり、「どうしたら周りに認められるか、嫌われないか」「どうしたら親に喜んでもらえるか」と、4.5歳くらいから考えて行動をするように。わざとふざけたフリをしたり、人がやらないようなチャレンジをしてみたり、「だいじょうぶ。だいじょうぶ。」とノートに書き続けたり。結構変わった子供だったと思います。

とある挫折 その2

バリバリの体育会組織で学生時代を過ごし、それなりの自信を持ってリクルートキャリアに入社した1年目。 同じ支社に配属された同期が順調すぎるほどの成果を上げていく中、僕は全く成果を出せませんでした。飛び込み訪問や新規荷電など、圧倒的に量はやっていたのですが、とにかく売れません(笑)。 結局初めての売上まで9ヵ月かかった上に、頻繁にトラブルを巻き起こし経緯書作成の達人になるほど。入社した時の自信は見事に打ち砕かれました。 そんな1年目の終わりのこと。研修で上司や先輩に様々な質問を投げかけられ、追い詰められて「もう何も考えたくありません!」と逃げだそうとしたことがありました。 そのとき上司が「お前を採ったのは採用ミスや。いますぐ辞めい!逃げてるだけやろ馬鹿者。」と声を張り上げられその場からいなくなりました。 ここで初めて、自らの過ちに気づきます。「量さえこなせば、いつか結果が出るだろう」と、入社して約1年間考えることから逃げていたのです。と同時に、被害者ぶっていた自分にも気づき、恥ずかしくもなりました。その後は…一人会議室で大号泣です(笑)。この出来事があり、目的と手段をはき違えていたこと、自分が気持ちいいだけの利己的な行動をしていたことが、成果を出せなかった最大の原因だったと気づくことができました。

そこからは、「何のためにやるのかを意義づける」、「相手の喜ぶことは何か、を起点に考え行動する」「当事者意識」のスタンスで業務に取り組むように。すると、お客様の反応が変わり価値提供ができはじめ、社内でもMVPなどの賞をもらえるようになり、組織や新規プロジェクトを任される立場にもなりました。仕事の醍醐味を心底実感できました。

とある挫折 その3

8名のメンバーと、約1000社の顧客を任された社会人7年目。プレイヤー時代とは環境が大きく異なり、これまでのやり方が通じなくて戸惑いだらけの日々。また、幼い頃から人の目を気にしすぎる癖があったことも重なり、不安が大きくなりだんだんと塞ぎこんでいきました。 そんなある時、メンバーから「何を考えているか分からない。あなたにはもうついていけない。リーダーを降りてください。」と、言われました。その場は話し合いで解決したのですが、それ以来、チームをリード・マネジメントしていくことが怖くなっていきます。体調に支障が出始め、食べられない、眠ることができない、勝手に涙がでてくる、といった状態が約半年続き、体重は10キロ以上落ちました。全てに絶望し自暴自棄に、とても辛い時期で正常な判断ができなかったなと今振り返りと思います。 これは、自らの殻に閉じこもり、周りを信頼し助けを求めなかった自分自身の過ちです。信頼している風にみせて、できていなかったのです。結果、多くの仲間や大切な人たちを傷つけてしまいました。本当に申し訳なかったと思っています。

一方で、自らをさらけ出すことが怖く絶望の中にいた自分を変えてくれたのは、仲間でした。部下であったメンバーから「あなたはちゃんとやってくれている。だから自信をもってリードしてほしい。そして、もっと頼ってください。私たちが支えますから。」と、言葉をかけてくれたのです。この言葉に、どれだけ救われたことか。そこからは、自分の弱さをさらけ出すことができるようになり、背中を預けることが徐々にできるようになりました。明るいキャラクターだったこともあり、頼ることがうまいと思われていたのですが、他者を怖がり殻に閉じこもり、頼ることが実は苦手でした。人間関係を築く本質を見誤っていましたね…。

これまでの人生、楽なことばかりではなかったですが、家族や仲間の支え、スポーツや仕事という機会により、弱くネガティブな自分をポジティブに変化させることができたと思います。これは、とてつもなく幸せなことだと日々実感しています。大げさでもなんでもなく、生きることが楽しくなりました。

リクルートキャリアを辞めてLiBに入社したワケ

就職活動をしていたときから、「なぜ仕事をするのか?」を考えてきました。いわゆる厨二病です(笑)。新卒から9年間リクルートキャリアで働いて出した答えは「事を為す」というものでした。事を為すとは、「自らが主体的に関わったサービスや組織が世の中をより良くしている状態をつくり続ける」ということです。新規事業を任されひと段落がつき、新たなチャレンジをしたい覚悟が決まりました。

転職活動の軸は3つありまして、1つ目は、事を成すことのできる集団であること。2つ目は、0→1の事業フェーズであること。3つ目は、信頼できて「これはかなわないわ」と思える経営者と働くこと。

様々な経営者や人事の方とお会いし、LiBに出会い入社を決めます。上記3つの軸に当てはまったことに加え、LiBの「生きるをもっと、ポジティブに」というビジョンが刺さりました。ネガティブな自分が、様々な機会や人に出会うことができたおかげで、生きることがポジティブになり、彩りある人生を送ることができるようになった自分には、正にうってつけのビジョンでした。

私がLiBでしたいこと

「価値創造コミュニティを創る」ことをやり遂げたいと思っています。いまLiBが取り組んでいる事業や価値は、時代の変化によってなくなるかもしれません。一方で、その時代に合った事業を創り出すコミュニティのDNAは不変であると思っています。時代やメンバーが変わっても、そのDNAをもった新たなLiBメンバーが世の中に価値提供し続けている世界を考えると、ワクワクしてきます。その頃には「生きるをもっと、ポジティブに」のビジョン実現がより前進しているだろうし、LiBメンバーはより豊かな生き方ができているんじゃないかな。そのDNAを、主体者としてつくっていきたいです。

今後どうなるかは分かりませんが、根拠のない自信があります。それは、欠陥だらけの僕には、支えてくれるかけがえのない人達がいて、ポジィティブになれた自分がいるからです。

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