ふと、「私にとってコーヒーとは」という疑問が頭に浮かんだので、コーヒーを片手につらつらと文章を書いてみたいと思います。
コーヒーを飲めるようになるまでは、「大人はなんでこんな苦い飲み物を飲むのだろう」と、ずっと思っていました。
高校生のとき、友達と京都に旅行に行ったときのことです。着物をレンタルして、京都のオシャレなカフェやスポットに行きたいねと話していて、事前に調べていると何やら人気だというコーヒー屋さんを発見しました。着物を着てそのコーヒー屋さんに行って写真を撮るのが流行っているそうで、「ここに来たらコレ!」の型にハマるのが好きな私は、一ミリも好きじゃない、何なら苦手なコーヒーを注文しました。その時口に含んだコーヒーの苦みと、友達が写真に収めた私の「苦っ!」という顔は今でも鮮明に覚えています。
しかし今ではコーヒーが大好きでたまりません。毎朝、コーヒーを淹れる、飲むことが楽しみで起きていると言っても過言ではありません。
今日はどのマグカップで飲もう?
今日はフレンチトーストだし、こっちのコーヒー豆で淹れよう
あ、お母さんも飲むかな?
なんて考える時間すら至福。お湯が沸く音、立ち上る湯気、お気に入りのコーヒー器具、挽いた瞬間に一面に広がるコーヒーの香り。全てにうっとりしながら、お湯を静かに注ぐ。ぷくぷく、と愛おしい泡が盛り上がる。「ずっと眺めていたい」といつかは消える泡に対して淡い想いを抱きながら、丁寧に、注いでいく。
ぽたぽた、と滴り落ちるコーヒー。飲めるまで、あともう少し。
ドリップ完了。マグカップを鼻に近づけ、ふわっと広がる香りを存分に楽しむ。そして、そっと一口。ああ、たまらない。
刻々と変化する毎日。変わらないものなんてない。
でも、毎朝のコーヒーを淹れて、飲むという何てことない、いや、とっても特別な、変わらない時間と所作と温かさが私を安心させてくれます。
ちなみに、私はコーヒーに対してほとんどこだわりがありません。ドリップコーヒーであろうと、インスタントコーヒーであろうと、なんだって私にとってはスペシャルで、元気と癒しを与えてくれる飲み物。特に、人に淹れてもらったコーヒーは格別。
だから、私は喫茶店に目がないのです。外出する日は、目的地の近くに喫茶店がないかチェックするし、お出かけの大半の目的は喫茶店に行くこと。店主さんが丁寧に淹れてくれる動作にいつも目が離せなくて、ついつい見惚れてしまいます。コーヒーを淹れているときの人の表情もとても好きです。真剣で、その奥には優しさがしっかりあって。ああ、この瞬間にも喫茶店に行きたくなってきました…(笑)
気の進まない用事のある日も、コーヒーを淹れると心が落ち着くし、飲むと「きっと、大丈夫」と優しく寄り添ってくれている気がします。私にとってなくてはならないお守り的存在なのです。
そんなコーヒーを、私は明日も、明後日も淹れ続けるでしょう。NO COFFEE NO LIFE.
みなさんにとってのNO 〇〇 NO LIFEは何ですか?
それはみなさんの生活にどんな影響を与えてくれますか?
ぜひ教えていただけたら嬉しいです♪