株式会社キッチハイクの募集・採用・求人情報 - Wantedly
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キッチハイク「ふるさと食体験の準備室」メンバーインタビュー、第6回目は鷲見健吾(@kengo_sumi)さんです。
フランス料理店のシェフである父親のもと、一家団欒の楽しい食卓で育ってきた鷲見さん。コロナ禍を経て、改めて次の世代に伝えたい想いをうかがいました。
ー 料理が日課だそうですね。どういうことを大切にされていますか?
実家がフランス料理店を営んでいるため、子どものころから料理には触れてきました。日課になったのは、昨年のコロナの影響で、フルリモートワークになってからです。今では一日3食つくることが当たり前になっています。もちろん疲れていて作りたくない日や、忙しい日にはファストフードですませることもあります。ただどんなときでも、「今、ぼくは何を食べたいんだろうか?」という問を持っていたいと思っています。それが食と、人生を楽しむぼくなりのコツです。
ー 素敵ですね。どんな食事を作られているのでしょうか?
たとえば、今住んでいる西荻窪には、たくさんの八百屋さんがあってよく見て回るのですが、青々としたモロヘイヤや山盛りに積まれたみずみずしいとうもろこしと出会って、夏の訪れを感じたり、夏に新じゃがを堪能しながら、越冬して甘みの増した「あっさぶメークイン」を次の冬まで心待ちにしてみたりと。日常の中で、旬を味わいながら、季節を楽しむことが至福と感じるようになり、最近は、野菜中心の食事に変化しています。
ー 季節を感じられることは、食の醍醐味のひとつですよね。
そうですね。二十歳の時、「日本酒」に出会ったことがぼくにとって一つの転機になっています。大学に入学し、横浜市・金沢文庫にある「焼鳥修」という焼鳥屋でバイトを始めたんです。常に、400種を超える焼酎と80種以上の日本酒がずらっと並んでいるようなお店で、年間では500種類以上の日本酒を扱っていたと思います。30人で満席になる小さな焼鳥屋さんに、所狭しと酒瓶が並んでいる光景は正直、常軌を逸していました(笑)。
ーどんなお酒があるか、覚えるのは大変そうです。
バイトをはじめたばかりのころは、お客さんに「〇〇ください!」と注文されても、まずお酒を探すのに一苦労でした。一本一本のお酒の味と香りを覚え、どこの地域にある酒蔵で、何のお米を使っていて、どういった造りで……とはじめはお客さんに説明するために覚えた知識は、徐々に仕事を超えていつのまにか自分の趣味になっていました。
日本酒を好きになって思うことは、日本酒には季節を愛でる文化があるということです。秋に収穫したお米が醸されて、冬には「新酒」としてフレッシュさを楽しみ、夏にはアルコール度数を少し落として、暑い日でも飲みやすくサラッとした「夏酒」が登場します。そして何より、日本酒好きにはたまらないのが、秋という季節です。秋にしか飲めない「ひやおろし」や「秋あがり」は、夏のあいだ熟成され、秋の食材にマッチするほど香り高く、丸みに帯びた口当たりを嗜めます。
時期によって、お酒の味が変わり、合わせる食材も変わってくるので、季節一つひとつを楽しめるところが好きです。「ひやおろし」など呼び方やラベルが変わるのも粋だと感じています。
日本酒の趣味がさらに深まると、日本酒がもつ季節性だけでなく、地域性にも魅了されていきました。いろんなお酒を都内のお店で飲むことだけでなく、その地域へ行って飲む事が好きになっていったんです。
ー 現地でお酒を飲むことには、どういう楽しみがありますか?
一番の違いは、地域のお酒を、同じ土地の文化から作られた食材や料理と一緒にいただけるという、素晴らしいマリアージュが体験できることです。地域に根付いている酒造りは、地域の食文化とも深く繋がっています。
特に、「鍋島」や「天山」、「東一」のある佐賀県のお酒が好きなんですが、米の甘みがとても濃く、甘い印象です。同じように、醤油なども甘めに作られていて、有明の海の幸を甘めの醤油でいただきながら……と止まらなくなってしまいます(笑)。
さらに、それを地元の方々と肩を並べて飲むのがたまらなく、楽しい時間です。「昔はこうやって飲んでいたよ!」とか「地元では、これしか飲まん!」といった、本や雑誌でも手に入らない、生きたおいしい情報・ストーリーがあふれ出てきます。いつも新しい出会いが地域にはあります。
ー「おいしさ」には、生きた体験がひもづいているのですね。
ぼくは、父親の料理がこの世の中で一番おいしいと思っています。そこには身内の感情も入っているかもしれません。でもそれを差し引いても、「おいしい」と言える自信があります。その理由は、味はもちろんですが、一番は父親が料理を通して伝えている「ストーリー」にあります。
父親はお客さんへサーブする際に必ず、シェフである自らがテーブルを回ってサーブをし、一皿に込めたストーリーを語ります。すべてのお皿で、すべての席に。それも、楽しそうに。
本人曰く、料理をすることよりも、料理を媒体に、人と話すことが一番好きなのだそうです。生産者や猟師の想いをはじめ、食材の生産地の特性やそれらを選んだ料理人の想いなどをお客さんに丁寧に説明します。
お客さんは、たとえ説明された単語や地名が分からずとも、作り手の想いや哲学が一皿に凝縮されていることを受け取ることができます。そんな人肌を感じるコミュニケーションとストーリーが、「おいしい」にはとても重要な要素なのではないかということを学びました。
もう一つ、ぼくが家族から教えてもらったことがあります。それは、「人と一緒にごはんを食べる楽しさ」や「人と一緒だからこそのおいしさ」です。
フランス料理店という、土日がかき入れ時のサービス業にも関わらず、両親は「日曜定休」を選択しました。それは、子どもとの時間をつくるためであり、日曜日の3食は必ず家族みんなでごはんを食べていました。
ー それは英断です。どんな食卓だったんでしょうか?
食べ盛りの子どもとお酒を飲みたい親が一緒に食べるために、主食のいらない鍋や鉄板焼き、たこ焼きが多かったですね(笑)。みんなで囲めるという意図もあったのかもしれません。今思えば、よく考えられています。
父親の実家に人が集まると、多い時は4世代が食卓を囲み、夕方から乾杯していました。そういう習慣は、お酒が飲める年齢になった今となっては、何にも変えられない至福の時間です。祖父母と酌を交わすことで、60年前の恋バナや若造の仕事の悩みや将来の理想論などなど、今まで話したことのなかった、会話が食卓で繰り広げられます。離れて住む今でも、たまに88歳にもなる祖父母とZoomで乾杯してみたりします。
そんな鷲見家には、ひとつバイブル的なものがあります。それは、私の曾祖母が体験したことを、叔父が記した戦争記です。
▼『転禍而為福(禍を転じて福と為す)』
ー どんなことが記されているのでしょうか?
今日のごはんが食べられるか、明日生きて行けるかの時代をどうにか生き抜いたのか、その記録が残されています。それがあって、生き抜いた先に、何の不足もない今の幸せな日常の土台をつくり上げていると思うと、感謝せずにはいられませんでした。今ある日常の幸せを痛感させられます。
そして、「どう生きるか?」「どう生きたいか?」を自分の中で問いました。浮かび上がってきたひとつの答えが、「今いる自分の環境・土台に感謝し、少しでも良い形で次の世代にバトンを渡したい!」という想いでした。
ところが、新型コロナウイルス感染拡大という、地球規模での未曾有の危機により、「人と一緒に食事をする」というぼくにとって最高に幸せだった時間が奪われてしまいました。オンラインサービスが急速的に拡大しスマホ一つで食べたいものが届く、便利で効率的な世界へと加速的に変化しました。祖父とZoomを使って、離れていてもお酒を酌み交わすことができるようになったように、それ自体はとても良いことです。でも、食事から”何か大事なモノ”がなくなっていく気がして、忙しい現代人にとって、「食事」が単なる栄養摂取に変わっていってしまうのではないか、ということに強い危機感を抱きました。
ー 黙食という言葉も生まれましたね。
ぼくは人と一緒に食事をする「楽しさ」や「あたたかみ」、新しい食の世界に触れる「わくわく感」や多様な食のおいしさを求める「欲求」を忘れたくありませんでした。自然の恩恵という土台の上に、誰がどのような想いでその食材をつくっていて、料理として届けているのかといった、「おいしい」を消費者の目の前に提供するまでに蓄積されたストーリーそのものを大事にしたい。
これらを含めた「おいしい」を楽しむ、「おいしい」を求めることを忘れない社会をつくりたいと、コロナをキッカケに考えるようになりました。
ー そんなときに「キッチハイク」と出会ったのですね。
「キッチハイク」との出会いは、ぼくの人生のもう一つの転機です。キッチハイクのサービスを見て、「まさに自分がやりたいことそのものだ!」と思い、すぐに問い合わせました。キッチハイクの共同代表である山本との深夜の採用面談で、自分の想いを熱弁したことを鮮明に覚えています。キッチハイクがいいからキッチハイクにいるのではなくて、自分がやりたい事がキッチハイクだったのです。
日本には、そして世界にも、魅力のある食材や食文化がまだまだ眠っています。
そして、その裏側には、想いを持った多彩な人々やこれまでに積み上げられた歴史、それぞれの地域によって異なる自然の恩恵など、無数のストーリーがあります。これらをもっと、多くの方々に知ってもらいたい。この多様性あふれる食の世界をもっと多くの方々に楽しんでいただきたいと思ってキッチハイクに入ることになりました。
ー キッチハイクではどういう業務を担当しているのでしょうか?
コロナ禍の2020年12月に入社し、セールス・事業開発・プロデューサーといろいろな領域を担当させてもらい、事業全体の成長・拡大の為にフレキシブルに携わらせてもらっています。
キッチハイクにおける「セールス・事業開発」とは行政・地方自治体と連携して、地域のファン・関係人口を増やし、地場産業を盛り上げるお手伝いをすることが一番の仕事です。北は北海道の猿払村から、南は宮崎の都城市まで、日本全国の担当職員さんとお会いしました。「どうにかしてこのまちを盛り上げたい!」という熱量は画面越しでもなお刺激的です。その熱量を、今キッチハイクにできる全力を挙げて日本全国に広げていく手伝いをしながら、キッチハイクの目指している、楽しい社会・おもしろい未来を心から共感し、一緒に併走していただく仲間を日本中につくるのがぼくのミッションです。
ー「ふるさと食体験」のプロデューサーではどういうプロジェクトを手掛けたのでしょうか?
北海道・紋別市さんとのふるさと納税連携で進めていた案件で、一人のかっこいい職人さんと出会いました。紋別市で40年以上オホーツクの海の幸で燻製を作られている、安倍哲郎さんという職人さんです。
おいしい燻製をつくることに真摯に向き合う姿勢やそこに込められた想いはもちろん、「次世代に伝承されていくものをしっかりと作っていかなければならない」という安倍さんのものづくりへの哲学に、プロデューサーであるぼく自身が惚れ込んでしまいました。安倍さんの語る話が面白いので、ヒアリングと称して何度電話したか分かりません。(笑)
こうして受け取った安倍さんの熱い想いを全国に届けたい! という一心で、この食体験をつくり上げました。
参加者さんからの「安倍さんの美学に感服です。」「安倍さんのものづくり哲学は民藝、普段づかいの美しさの創造のようです。」というコメントをいただけたときには、プロデューサー冥利に涙がでました。
「ふるさと食体験」を通して、安倍さんの人となりを、そしてストーリーをともにした「おいしい」という体験をお客さんへ届けられた事がうれしかったです。
イベントが終わった今でも、今シーズン用の仕込みが終わって一安心したよ!という連絡や、安倍さんの燻製づくりの土台になっている、荘子の「包丁」についての話なんかもしています。2021年、北海道に68歳の戦友ができました(笑)。
このように、まだまだ地域には、食の魅力がたくさん眠っています。この魅力を体験に変換して届けることで、食のおもしろさや「おいしい」の裏側にある人やストーリーをより多くの人に味わってもらいたいです。
食事の時間は、一日に3回、365日毎日あるものです。この時間が自分にとって楽しい時間であればあるほど、人生は幸せで楽しいものになると考えています。
常に食の楽しさを求め、豊かな時間を過ごす人がひとりでも増えてくれたらうれしいです。それが、ぼくが目指す「おいしいを忘れない社会」です。
鷲見 健吾(すみ けんご)
2020年12月入社
横浜市立大学国際総合科学部経営学コース卒業。
現在、セールス兼、事業開発チームに所属。
大学卒業後、株式会社コスパクリエーションに入社。インテリアの商品企画・開発担当として4年間勤務。実家がフランス料理店で、幼い頃から食・食文化に親しんで育つ。「食」という観点から善き社会・未来に残すべき社会に貢献したいと考え、2020年、地域アライアンス・事業開発担当として、キッチハイクにジョイン。
<趣味>
飲み歩き。誰かとお酒を飲むこと。
<好きな食べ物>
日本酒、雲丹、鰻
<暮らしの変遷>
愛知・豊橋でフランス料理店の息子として生まれる。
横浜、荻窪と拠点を移し、現在は西荻窪でパートナーと二人暮らし。
来年あたりに長野へ移住予定。
キッチハイクは、全国各地から食と文化と交流に興味がある仲間を探すべく、「ふるさと食体験ができるまで」をコンセプトに、ふるさと食体験を一緒につくっていく準備室メンバーを募集します。
社員候補の新メンバーだけでなく、業務委託や副業、まるっとチームでの参加もOKです。
個人・法人、年齢・性別、問いません。また、居住地も問いません。全国地域からフルリモートで参加できます。ご応募、お待ちしています!
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