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これまでの歩み-キモノプラス公式インタビューより

Photo by Mark Neal on Unsplash

キモノプラス公式インタビュー記事より

【KIMONO MODERN】濱田友紀子さんインタビュー/子育て中に生まれた普段着キモノブランドの歩みとこれから

和文化への反発。海外で気づいた“着物”というアイデンティティ

「ワンピースときどき、着物。着物が再び、普段着になりますように。」をコンセプトに、新しいのに懐かしい普段着キモノを手がけるブランド「KIMONO MODERN」(キモノモダン)。キモノプラスの読者にもファンや愛用者が多いのではないのでしょうか。 今回は「KIMONO MODERN」の生みの母である社長の濱田友紀子さんに、ブランドが生まれるきっかけからこれまでの軌跡、これからについてたっぷりとお話を聞いてきました。

「自分らしく生きるために、何か始めたい」「やりたいことはあるけれど、どうすればいいのかわからない」と思い悩む方にぜひ読んでいただきたい、“普通の主婦”だった濱田さんのストーリー。新たな一歩を踏み出したくなるヒントがきっと見つかります。

和文化への反発。海外で気づいた“着物”というアイデンティティ

▲「KIMONO MODERN」を創設したクリエイティブ・ディレクターの濱田友紀子さん

インタビューの前に、「KIMONO MODERN」と濱田友紀子さんについて簡単にご紹介しましょう。 福岡県出身の濱田友紀子さん。東京外国語大学を経て渡米。アメリカ・カリフォルニア滞在中にブログ「KIMONO MODERN」で作家としての活動をスタート。2010年に福岡に拠点を移し、web shop「KIMONO MODERN」を本格化。2013年に福岡市内にはじめての店舗をオープン。2017年に現在の本店がある場所へ移転し、the guide shopという日本初の試着専門キモノ店を設立。現在もオンライン販売を主体としながら、2020年に愛知・常滑、2021年には東京・南青山に試着や販売を行う支店を構えています。

———ご経歴だけ拝見するとバリバリのキャリアウーマンという感じの方を想像してしまいましたが、「KIMONO MODERN」を始められた時は子育て中の主婦だったそうですね。

濱田さん:そうなんです。キャリアウーマンどころか、社会にも出たことのない普通の主婦でした。学生結婚をして、旦那さんの赴任先についていく形で渡米することになって。当時は社会と断絶された気分で、悶々としながら日々を過ごしていましたね。 というのも私、ずっと、将来は国際協力や外交の仕事に就いて開発途上国の支援がしたくて、高校も進学校に行って、大学でも東南アジア語を専攻していました。大学卒業後、周りの友達が夢を叶えて社会でキャリアを積んでいくのを横目に羨ましいと思いながら子育てしていました。 そんな時にPCを買ったんです。

当時、白地に水玉模様の「ブルーダルメシアン」というiMacが発売されて、一目惚れして。当時はまだSNSもなかったので、人のブログを見てコメントしたり、掲示板でのコミュニケーションを楽しんでいました。そのうち、独学でタグ打ちを覚えて、ホームページをつくれるようになりました。

▲「KIMONO MODERN 東京・南青山」ライフスタイルに合わせて同じ生地からワンピースと着物を選べる

———濱田さんの着物のルーツについても教えてください。

濱田さん:母が日本舞踊の先生で、コテコテな和の世界で育ったんです。母は毎日着物だし、出入りする生徒さんやお客さまもみんな着物で、毎日邦楽や三味線が鳴り響く生活。家に帰ると、先生の娘という立ち位置なのでちゃんとしなきゃいけない。それらすべてが子どもながらにすごく嫌でした。 だから、着物に特別感や価値は感じていましたが、“好き”だったかというと複雑でして(笑)。

こと、自分が着る着物に関しては、装いとして楽しむことはほとんどなく、どちらかというと”スキル”のような感覚でした。 そういった和の生活への反発から海外への夢や憧れをふくらませていたのに、アメリカで暮らし始めたら、ふとした時に着物が自分の根幹にあることに気がつくんですよ。

季節が変わるとそれに応じた装いを考えてしまったり、着物を見るとつい色使いや着付けをチェックしてしまったり。母の着物の小物を選ぶことや、舞台衣装や立ち姿のダメ出しを日常的にさせられていたので、身体に染み付いているんでしょうね。日本人であることと同じくらい、着物が自分のアイデンティティでした。

始まりはブログ。 “心の師匠”に背中を押され、クリエイターの道へ

▲レース刺繍やデニム、産地木綿やコーデュロイなど、自宅で洗えて気楽に楽しめる「普段着キモノ」をそろえる

———そこから、何をきっかけにご自身で着物をつくるようになったのですか?

濱田さん:娘の服や帽子を手づくりしたり、絵を書いたり、もともとものづくりは好きだったんです。娘の七五三の着物を自分でつくりたいと思って渡米前に和裁教室に通っていたので、試しに自分用に単衣の着物をつくってみた。 袖から見える部分に何か色が見えたらかわいいかなと、チラリズムのような感じでちょっとした工夫を施してみたりして。自分用だし、細かいことは気にせずに、着てみたいなと思うものを。

ちょうどその頃に一時帰国する機会があって、WEB掲示板で知り合った方が博多座を案内してくださるということで、その着物を着ていったら「素敵ね」と褒めてくださった。その方は、今も私が“心の師匠”として仰ぐ、日本舞踊家の松本幸龍 (こうりゅう)さん。

▲濱田さんと幸龍さん

濱田さん:もうすごくうれしくて舞い上がって、幸龍さんにいっぱい話を聞いてもらったんです。ずっと何かしたいと思って焦っていたことや、いつかものづくりを仕事にしてみたいと薄ぼんやり考えていたこと。でも、子どもがまだ小さいし、アメリカに住んでいるし、だから日本に帰ってきてからかな、なんてネガティブな言葉も口にしてしまった。

そしたら、めちゃくちゃ怒られました(笑)。
「あなたね、何を言っているの。“今”やりなさい。そんなの全部ただの言い訳よ。どれもできない理由になりません。むしろ日本でやると面倒なこともあるから、今すぐ海外でスタートしなさい。」それで、「まずは、私の着物をつくってよ」と仰った。 その場の勢いで、咄嗟に「はい」と答えてしまったんです(笑)。

自分用の着物を一枚つくってみただけで、何ができるわけでもないのに。でも、根が真面目なので、作ると言ってしまったからにはもうつくるしかない。それでアメリカに戻ってすぐにブログを始めました。

▲濱田さんが着用する着物は久留米絣。「ワンピースの延長として髪もおろしたままでさらっと着ています」

———着物をつくるという約束からブログを開設、ですか。突然ですね(笑)。

濱田さん:ふふふ、そうでしょう? 何でもいいから、まずは手を動かさなきゃと思ったんでしょうね。制作活動日記のようなものをブログに書けば、何かしらやっていることになるじゃないですか。当時、自分で発信できる媒体はブログくらいしかなかったんですよ。

最初に「とりあえず何か始めます」と書いたことを覚えています。
そこから、生地を探しに行きましたとか、こんな生地を見つけましたとか、こんなのつくってみようと思ってます、こんな感じでつくってます、こんなのできましたと、構想・経過・完成までを全部ブログに綴りながら着物づくりを始めました。

アメリカに着物用の生地は当然売ってないので、いろいろ実験的につくってみては「全然あか〜ん!」みたいなことを何度も繰り返しました。 ブログを始めてから半年後くらいでしょうか。その年の夏に納得できるものができたので、幸龍さんに献上しました。自分でデザインした型染め生地の浴衣です。同じものをブログでも販売して、結果的にそれが「KIMONO MODERN」のはじまりとなりました。本当に幸龍さんには感謝してもしきれません。

▲幸龍さんへ献上した浴衣は『お誂え手帖』(花島 ゆき 著/グラフィック社)にも掲載された

———生地からオリジナルで制作されたのですか!? それはリスクも大きかったのではないでしょうか。

濱田さん:そうですね。そこまで大きな金額ではありませんでしたが、一介の主婦にとっては気軽ではない金額が必要になりました。でも、当時そこまで深くは考えていなかったと思います(笑)。幸龍さんに喜んでもらえるものをつくりたいという一心からでした。

アメリカで探した生地では、幸龍さんに贈りたいクオリティには至らない。でも、ありきたりな着物だったら私がつくる意味がない。ノウハウも持っていないので、知人に聞いたり、ネットで調べたりして、辿り着いたのが「型染め」という方法でした。 個人の注文に対応してくれる工場を探して問い合わせたら、最低ロットというものがあると。

ひとつだけつくりたいのに、それをつくるには12枚分をオーダーしなければいけない。それなら、10人買ってくれる人がいれば赤字にはならないかな、とお気楽に考えていました(笑)。 それまでも試作品をつくってブログで紹介すると「かわいい〜」とかコメントしてくれるので、「これ、いる人〜」とか書いてみると、「買いたいです」と手を挙げてくれる方が意外にもいるんですよ。

当時は無意識でやっていたことですが、それって実はすごくいいマーケティングだったんですよね。今も新たな商品をつくるときにはローンチをかけて、なぜその商品を手がけるのかというWHYから発信して、お客さまに少しずつ興味をもっていただけるように、商品や素材のこだわり、バックグラウンド、ストーリーをきちんと丁寧に伝えることを大切にしています。

型染め生地をつくる時も、ブログで「こんな柄どうでしょうか」と報告したり、「どの色がいいですか?」とアンケートツールを使って人気投票したりして、読んでくださる方の反応をみながらつくりました。ありがたいことに、すべて完売して利益も出たんです。

ひとり嬉々として“あったらいいな”を形にする日々

▲洋風にも和風にも感じられるようなモダンなデザインをそろえる半幅帯

———そこから、「KIMONO MODERN」は本格的に事業化していったのでしょうか。

濱田さん:いえいえ、全然。基本的には主婦ですから、家事が生活の中心。着物づくりは真剣に取り組んでいましたけれど、子どもを学校へ送り出した後や、みんなが寝静まってからの空いた時間に集中して作業していました。ただ、純粋にその時間が楽しくて、5〜6年間はその形で続けていました。

2005年ごろにはホームページを自作して、無料のカートシステムを使って販売をしていました。現地で見つけたデッドストックの生地を使ってみたり、自分で染めたり、デザインしたり、刺繍を施したり。当時は、いわゆる伝統的なものから逆へ逆へと向かっていましたね。 子どものころからコテコテの伝統的な着物の世界を見ていたので、どうしてこうなんだろうと思うことがたくさんあったんですよ。

「KIMONO MODERN」は、そんな“もう少しこうだったらいいのに”や、“こんなのあったらいいな”が原点なんです。 例えば、家族で食事に行くと、醤油が飛んじゃうこともあるわけです。そうすると、母が夜中に黙々とベンジンで着物を叩いている。その姿がまた怖い(笑)。着物も洗えたらいいのにとか、普通に思うじゃないですか。帯の刺繍も全面に入っていなくても、見えるところだけでいい。そうすればお手入れだって楽だし、価格もお手頃になる。 一方で、着物のルールを逸脱しすぎてしまうのも違うと思ったので、迷ったときは母に相談して。

基本はしっかり押さえながら「こんなのどうでしょう」と提案すると、「そういうのがほしかったんです!」と大きな反響がある。 そうしているうちに、商品を出すとすぐに完売してしまうような状況になっていきました。それはごく少数しかつくれなかったのも原因なんですけれど、ブログで販売日を報告すると「その日は朝からパソコンの前で待ってます!」とかコメントをくださる方もいて、めっちゃうれしかったですね。

▲さりげなく個性をアピールできるオリジナルの小物も人気アイテムのひとつ

———“継続は力なり”といいますが、続けることが最も難しいことでもあります。何をモチベーションに作家活動やブログの発信を続けてこられたのでしょう。

濱田さん:私の良いところをひとつ挙げるとすれば、“コツコツとやり続けること”なんですよ。根が真面目でガリ勉気質なので根気強いと言えば聞こえはいいかもしれませんが、要は諦めが悪いんです(笑)。 もともとの気質もありますが、ブログを見てくださる方や商品を買ってくださる方とのやりとりが楽しかったことが大きかったと思います。直接お会いすることはほとんどなかったんですけど、ブログのコメント欄やメールを通じての交流が作家活動の支えになっていました。

その間には出産したり、子どもが熱出したり、自分も体調を崩したり、思ったように作業を進められない時もやっぱりありました。でも、その状況をブログで説明すると、それでも「大丈夫です。楽しみに待っています」とやさしい言葉をかけてくださるんですよ。 もう本当にありがたいことに、今でも「アメリカ時代から見てました」と声をかけてくださるお客さまがいらっしゃるんですよ。最初は自分が楽しくてつくっていましたが、そのうちに“喜んでもらいたい”という気持ちの方が大きくなっていきました。

拠点を福岡に。着物ブランド「KIMONO MODERN」本格始動

▲半幅帯、名古屋帯風、気楽な兵児帯として3wayで楽しめる、米沢・粟野商事とのコラボ帯は、濱田さんの手描きによるデザイン

濱田さん:仕事としての「KIMONO MODERN」が動き始めたのは、日本に帰国してからになります。離婚して、子ども2人を連れて福岡に戻ったんです。当時、下の子はまだ3歳。ちゃんと生活を立て直して、子どもに食べさせていかなければいけない。 とりあえず今すぐできることからやってみようと。

「KIMONO MODERN」でやっていけるかどうかなんて考えていなくて。後に娘からも言われました。「ママ、『KIMONO MODERN』がなかったら、仕事は何するつもりだったの?」って。本当ノープラン(笑)。 手始めにクレジットカード決済ができるカートシステムを入れたホームページを開設して、新作を発表しました。それまで「買えなくて残念です」というコメントをいただいていたので生地を多めに確保しつつ、まずは1個だけサンプルをつくって予約注文という形にしてみたんです。

———予約販売は今やおなじみの方法になりましたが、当時はまだ珍しかったのではないでしょうか。

濱田さん:そうかもしれません。個人事業主として始めましたが、もう一人ではさすがに手に負えないので友人にも手伝ってもらっていましたし、ゼロからのスタートなので、先に作るのにも時間がかかるし、なによりもし売れなかった時に在庫を持つ余裕がなかった。 その形ならリスクや無駄を減らせるなと考えたんです。最初の月に50万円を売り上げて、この方法ならやっていけるかも、と調子に乗ったわけです。

———現在につながるビジネスの才能の片鱗を垣間見た気がします。

濱田さん:それも幸龍さんの教えなんです。
「最初にやりたいことを決めたら、そのために何をしたらいいのかをそこから下ろして考えなさい」と教えていただきました。幸龍さんは日本舞踊家ですが、素晴らしいビジネスウーマンでもあるんです。いっつも怒られてばかりですが、何度もお尻を叩いていただいています(笑)。

浴衣を献上した後にかけていただいた言葉にも、今もずっと背中を押されています。「やってよかったでしょう? やらなかったらゼロ、動かなければ何も生まれないのよ。もし失敗したとしても、それはゼロにはならないでしょう。だから、どんなことでもとりあえずやってみなさい。」 もちろん最大限に失敗した場合の最悪のケースも考えますが、ゼロよりはいいかなと、まずは行動してみることにしています。

“あったらいいな”を逃さない。ユーザーファーストで地道に成長

▲写真手前は、シアーな透け感がエレガントなシースルー×花柄の薄羽織。カーディガンとしてジーンズなどに合わせても◎

———おひとりから始まった「KIMONO MODERN」ですが、現在3店舗を持つなど事業を拡大されました。スタートから約13年、どういうビジョンに向かって歩まれたのでしょうか。また、続けていく中で直面した困難などはありましたか。

濱田さん:もともと事業をスケール(拡大)するつもりは全然なくて、どちらかといえばしたくなかったんです。オンラインショップだけで細々とやっていければいいと思っていました。 でも、お客さまから「実物が見たい」という声が多く届くようになって。“こんなのあったらいいな”を大切にしてきた「KIMONO MODERN」として、やっぱりその声は聞き逃せなかった。

そんな折に、アメリカ時代にブログを通じて仲良くなった方から「今度、百貨店の催事に一緒に出ない?」と声をかけていただいた。後先考えずに二つ返事で出店してしまい、すごい大変でした(笑)。 でも、「催事に出てると知って来ちゃいました」「ずっと実物を見てみたかったのでうれしい」「またやってください」と、たくさんの方に喜んでもらえた。

じゃあ大変だけど、ポップアップは続けてみようかとなる。 2017年に拠点を移して開店した試着専門店も「呉服屋さんは入りずらい」「着物は見たいけれど、買わされそうで行きにくい」というお客さまの声から始まりました。海外のwebshopで見かけた「試着専門の店舗」のコンセプトを取り入れ、販売をせずに試着だけできるというスタイルは予想以上の反響をいただきました。

東京の店舗も同様で、東京近辺で商品を見られるところを望む声が多かったから。そうやってお客さまの声に応える形で、その時その時で必要最低限の展開をしてきて現在に至る感じでしょうか。

▲着物の下には、肌襦袢と長襦袢のいいところを合体させたKIMONO MODERNオリジナルのワンピ襦袢を着用

濱田さん:困難というか、事業を続ける中で難しいと感じてきたのは“人のマネジメント”でしょうか。初めのころはとくに、“人が辞めてしまう”ことが辛かった。それは事業をスケールしたくなかった理由でもありました。基本、コミュ障なんです(笑)。ずっと一人で黙々とやってきたので、人を増やすことにもすごく抵抗がありました。

私ね、事業に関しては運と勘が強いんです。もう一瞬で「あ、この人が必要だ」とか「これは今やるべきだ」とか直感で感じる傾向があって、それはほとんどハズレない。だからこそ、ご縁のあった方たちには、私や「KIMONO MODERN」に携わって良かったと思ってもらいたい、という思いが強くあるんですよね。 私の至らなさから離れていってしまったケースはもちろんですが、やむを得ない事情でしょうがなくという場合でも、いずれにせよ自分のもとから“人が去る”ということがとても辛くて、それは今もあまり慣れません。

でも、そういう辛さから救ってくれるのもやっぱり“人”なんですよね。つい最近、昔のスタッフがふいにお店に顔を出してくれたり、袂を分かつように辞めていった子がFacebookに連絡をくれたり。もうめっちゃくちゃうれしい。 2号店の出店も救われた出来事でした。愛知県常滑にある店はパートナーショップで、オーナーの女性にすべてお任せしているんですけれど、彼女もまたアメリカ時代にmixiを通して知り合った方。ビジネスモデルをチェンジするタイミングで声をかけてくれてとてもうれしかった。

幸龍さんをはじめ、これまで集まってくれたスタッフ、仲良くしてくださるメーカーの方々、本当ご縁に恵まれていると感じています。 最近ではビジョンに共感してくれる若いスタッフも増えてきました。目をキラキラさせながら私も一緒にやりたいと、自分のやりたいこととリンクさせて集まってくれるのは本当にありがたいし、うれしいことですね。

今後は成長や活躍する場を提供できるプラットフォームに

———最後に濱田さんご自身や「KIMONO MODERN」のこれからについて聞かせてください。

濱田さん:作家時代も含めて来年は20年目を迎える節目の年となり、いろいろなフェーズがありました。自分が楽しくて始めたこともあって、最初はお金をいただくことに申し訳なさを感じていたんですよ。もとは1000円で買った生地なのにな、とか罪悪感のようなものを覚えていました。 事業を始めてからもしばらくはそういう気持ちがあったんですけど、ある時ストンと“私の仕事は価格に見合う価値を提供することだ”と気がついたんです。売り上げは、たくさんの方が喜んでいただいたことの対価なのだとマインドチェンジができた。

それからは、なおさら本当にいいものだけをお届けしなくてはという責任の重大さを感じると同時に、小売店としてできることや役割についても考えるようになりました。 ここ数年取り組んでいることですが、年々減っている着物関連のつくり手さんや工場、産地が注目されるような商品を企画して、リブランディングして魅力を伝えていくことは「KIMONO MODERN」の使命のひとつだと考えています。うちで商品化することで、新たな発注や後継者を生み出すことが目標です。 また、せっかく海外からスタートしたブランドなので、海外と日本の橋渡しをするような事業も計画しています。

濱田さん:プライベートでもいろいろなことがありましたし、シングルマザーとして働くことはやっぱり大変でした。頼る場所もなかったので子どもの預け先を探すところから始めて、それでも親の関わる行事には絶対に出席したいからスケジュールをやりくりして、お弁当もつくったし、PTAの旗当番もちゃんとやりました(笑)。

しんどい状況に陥る度に感じるのは、家族や友人、スタッフ、お客さまも含めた周りの人たちの存在の大きさなんですよね。本当、感謝してもしきれない。 そういったことを経て、最近少し心境に変化がありました。これまでは自分の活力だけで突っ走ってきたけれど、ようやく新たなステージに進み始めたというか。夢を持って集まってくれたスタッフに未来を見せてあげたい、という思いが大きくなりました。

今は、人を育てていくことが新たな目標であり、大きなやりがいを感じています。 そして、ゆくゆくは「KIMONO MODERN」をプラットフォームとして、やりたいことを持つ人たちが成長して活躍していけるような場所にできたらと思っています。スタッフも絶賛大募集中なので、これから「KIMONO MODERN」とともに成長したい、と思う方がいらっしゃったらぜひ!

個人的にやりたいこともたくさんあるんですよ。同じシングルマザーとして「母子家庭の6割が貧困」という世の中に対して何かできないかと考えるし、障害を持つお子さんのいるスタッフがいた経験から障害者の雇用創設や、それぞれが持つ能力を伸ばしていける環境づくりのお手伝いもしたい。 前に出るのが苦手なので、本当はね、今回のインタビューも受けるか迷ったんです。

でも、普通の主婦だった私の泥くさい道のりが、ひょっとしたら誰かの背中を押したり、こんなケーススタディもあるのかなんて参考になったり、「私もやってみよう」というきっかけになったらなと思ってお話させていただきました。 何かやりたいと思ったのなら、まずは行動を起こして継続すれば何とかなるよ、と伝わったらうれしいですね。色々困難もあるけれど、何が起きるかはわからない。「だから、人生は楽しい」と、私は思っています。

▼プロフィール 濱田友紀子(はまだ ゆきこ)さん

福岡県出身。起業家。株式会社WITH THE MODERN 代表取締役。
福岡県立修猷館高校、東京外国語大学東南アジア語学科中退。2001年にアメリカ・カリフォルニアへ。2004年にブログ「KIMONO MODERN」を開設し、作家として活動。L.A.などで個展を開く。2010年に福岡に拠点を移し、本格的なネットショップ「KIMONO MODERN」を立ち上げる。2013年に福岡市内に本店を構え、2017年に日本初の試着専門キモノ店「KIMONO MODERN the guide shop」を薬院にオープン。2020年に愛知・常滑に2号店を、2021年に東京・南青山にプレスルームを兼ねた3号店「THE GUIDE SHOP @TOKYO」を設立する。

KIMONO MODERN 公式HP https://www.kimonomodern.com/
KIMONO MODERN スタッフ募集 https://www.kimonomodern.com/blog/?p=7845


「ワンピースときどき、着物。着物が再び、普段着になりますように。」をコンセプトに、新しいのに懐かしい普段着キモノを手がけるブランド「KIMONO MODERN」(キモノモダン)。キモノプラスの読者にもファンや愛用者が多いのではないのでしょうか。 今回は「KIMONO MODERN」の生みの母である社長の濱田友紀子さんに、ブランドが生まれるきっかけからこれまでの軌跡、これからについてたっぷりとお話を聞いてきました。 「自分らしく生きるために、何か始めたい」「やりたいことはあるけれど、どうすればいいのかわからない」と思い悩む方にぜひ読んでいただきたい、“普通の主婦”だった濱田さんのストーリー。新たな一歩を踏み出したくなるヒントがきっと見つかります。


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