この記事は、カケハシ Advent Calendar 2022 の6日目の記事です。
なんというか、その、転職をした。自分の人生で会社に所属する瞬間が訪れるはずはと思っていたが、想像よりもゆるやかに転職してしまった。
20歳でフリーランスのライターとして働き始めてから、丸6年。通っていた学校を中退してフリーランスになってしまったので、会社員という肩書きを身に着けたことはない。
実際のところ、フリーランスであり続けることには悩んでいたし、自分の行く末があまりに不明瞭で困り果てたこともある。それでも、フリーランスでいることを選んできたのには、少なからず意図があった。
働き方を変えるというのは比較的大きな決断で、人生におけるターニングポイントにもなり得る。だからわたしが今回転職することにしたのも、それなりには大きな意思決定だったのだと思う。
と、そういう話をせっかくだし文章として残しておきたいと思ったものの、話題の規模が大きい話は背景や感情の奥行きがある分、書くまでに本当に時間がかかる。しかも、書き始めてから形になるまでもまた長い道のりなのだ。
そんなわけで随分と温め尽くしたこの話。しびれを切らしたわたしが会社のアドベントカレンダーなるものにエントリーしてしまったゆえ、どれだけ喚いても締め切りに追いかけられる羽目になった。
そうでもしないと、わたしという人間と27年間付き合ってきた傾向的にはなんだかんだ先延ばしをするので……。このあたりで諦めて執筆と向き合ってくれという願いを込めて、ゆるめの転職報告をしようと思う。
〈 はじめに 〉これから書こうとしているのは、いわゆる「転職エントリ」というやつだ。この記事を書くと決めてから世の中の転職エントリを本当にたくさん読んだし、社内の人に相談もした。ただ、多くの転職エントリに共通している(とわたしが感じた)勢いやメリハリのようなものはきっとこの記事には登場しない。見出しをつけて、時系列でわかりやすく書いて……みたいなことをすればおそらく参考にしてくれる人もいるだろうし、読みやすさも担保される。そういう記事は世の中にも好まれる。それでも、そういう手法を取らずに書こうとしているのは、この転職に至るまで、そして今のわたしの感情にはそぐわない表現方法だからだ。本当にいろいろな感情が錯綜しているし、今でも気持ちを正確には言語化できないくらい、曖昧な輪郭の思考がたゆたっている。そういうありのままを書くことに決めたので、くどくなったら即ブラウザバックをぜひ。あとたぶん長い。大目に見てください。
転職したのは、株式会社カケハシという会社。医療のリデザインを目指して、主に今は薬局のデジタルトランスフォーメーションに寄与するプロダクトの開発やコミュニティ運営を行っている。
配属されているのは、ブランドデザインを手がける全社横断的なチームで、職種はコンテンツディレクター。いわゆる編集者だ。
全社の社員数は300人ほど(2022年11月末現在)と比較的規模の大きなスタートアップだけれど、わたしの所属するチームはマネージャーを合わせても6名。ちいさなコミュニティが好きなわたしにとっては、実に居心地が良い。
医療業界にはこれまでほとんど縁がなかったし、薬局を取り巻く環境のこともほとんど知らなかった。
それでも、カケハシの採用募集を見つけたときには、なにか惹かれるものがあって「ああ、なんか自分のための採用募集な気がする」と勝手にひとりで運命を感じていた。気がついたら〈この募集に応募する〉ボタンをタップしていたのがその証拠。
どうしてだろうかとその理由を考えてみると、まず第一に、カケハシのことを以前から知っていたことが挙げられる。今から4年前の春、とあるメディアの取材でカケハシを訪れていたのだった。
代表の中尾さんにインタビューさせてもらっていたし、またあるときにはCTOの海老原さんが登壇したイベントのレポートも執筆していた。振り返ると縁っていうものがあったのかもしれないと思ったり。
もちろん、当時「いつかここに転職するぞ〜」だなんて感じたわけではない。ただ、エピソードが印象的であったり、創りたい未来の話に共感したりと、わたしのなかでカケハシは「勝手ながら応援させてもらいたい会社」としてたしかに心に刻まれていた。
そんなわけで、カケハシの採用募集を見つけたときには、なんだか吸い寄せられているような、呼ばれているような感覚を覚えたのだった。
そもそもキャリアをフリーランスから始めた人間は、どういうタイミングで会社に所属することを考え始めるのか。わたしの場合は、大きく分けて2つくらいあった。
ひとつは、強い孤独を感じるようになったとき。フリーランスのクリエイターは、良くも悪くもプロジェクト単位での依頼を請けることが多い。執筆とか、撮影とか、広くても運用とか、LP制作とか。
それはもちろん関わりやすくて機動力も高く動けるのでメリットもある。ただ一方で、どこまでいっても「パートナーさん」として距離を置かれるような感覚もあった。どれだけ前のめりに関わりたいと思っても、超えられない壁が存在するようで、切なさを覚えたことは一度や二度ではなかった。
いつかのタイミングで、もっと長い目で見た仕事に携わりたい。それも、同じ方向に向かって走る仲間と一緒に。そういう気持ちがいつからか芽生えていた。
それと、というかこれが一番大きいのだけど、フリーランスを「自由の象徴」だと言われたとき。前述した通り、わたしは会社員になったことが一度もないし、そもそも通っていた学校を中退して独立したので最終学歴は高卒だ。
そういう少しばかり特殊な経歴で生きているので、わたしのことを誰かが紹介してくれるときには「20歳からずっとフリーでやってる自由な子」「あっちこっちフラフラしてる自由な子」のように形容されることが多かった。
「フリーランスの編集者です」と自分のことを人に話しても、「自由でいいよね〜フリーランスって」と言葉が返ってくることも珍しくない。「しのさんのように自由に生きたいです!」と後輩から言ってもらったこともある。
たぶん、どの言葉にも悪意はない。だけれどわたしは、ずっとずっと違和感を抱えていた。
その違和感に気づくまでに随分と時間がかかってしまったけれど、この違和感の正体は「自分らしい生き方=自由であること=フリーランス」という謎の方程式で自分を評価されていることにあったのだと、今なら思う。
会社員になることを意図して避けていたのではなく、たまたま、結果論としてフリーランスを選んだというだけなのにな〜と(とはいえ、わたしという人間がフラフラしていることに異論はないのだけれども……)。
フリーランスでいることに対して、ネガティブな気持ちが生まれたわけではない。けれど、会社員として働くなかで得られる自由さ、新しい学び、これまでにない挑戦、そういったものがあっても楽しいんじゃないかなと思ったのが、転職を考えた理由だった。
実はこれまでも転職機会には何度か遭遇している。知り合いの会社に声をかけてもらったりだとか、以前から好きだった会社の採用募集に応募したりだとかがあり、ありがたいことにいくつかオファーもいただいていた。
それらのオファーを受けることを選ばなかったのにはそれぞれ理由があるが、一言でいえば、自分を失うと思ったからだった。
「会社員になることを避けていたわけではない」と書いた通り、わたしは自分の大切にするいくつかのルールさえ守ることができるのならば、働き方なんてなんだって良いと思っている。昔も、今も。
ただ、事実として、多少の制約が会社員にはある場合が多いのかもしれない。そういう制約の折り合いが付かなかったからこそ、フリーランスでいる選択肢しか残らなかったとも表現できる。
わたしが生きる、そして働くうえで大切にしているルールを少しだけ書いてみる。
○ 生きることに余裕を持てるだけの収入を得ること○ 働く時間と場所に制限を設けないこと○ 数字でばかり評価される仕事をしないこと○ クリエイティブの価値を理解してくれる人と働くこと○ コミュニケーションの温度が合う人のそばにいること○ 一つの会社だけではなく複数の会社やプロジェクトに携わり続けること○ なにより、日々を楽しめる選択をすること
学生時代、そして社会人として歩んでいく過程で少しずつ生まれたのが、このマイルールだった。わたしは強い人間ではない。無理して強さを演じても、その仮面はいつか剥がれて弱さがむき出しになり、いずれ自分自身をこわしてしまうことを知っている。
ただ、このルールを適応していくと、ほとんどの会社に所属することは叶わないのだ。ゆるめといえど三拠点生活を基本にしていたりもするのでなおさら。フリーランスのほうが都合が良いよね、となるのも無理はない。
そういう圧倒的会社員不向き組のわたしだとしても、カケハシには転職することを決めた。というよりも、オファーを断る理由が見当たらなかった。
4年前の春、カケハシに取材をしたときに抱いた親近感がある。
https://startup-db.com/magazine/category/interview/kakehashi「薬局だけではなく、家にいながら薬剤師と会話ややりとりができて安心を得られたり、薬が受け取れる。そうなれば、患者さんも薬剤師もより距離感が近くなって身体的にも精神的にも安心できる世界が作れるのではないかと感じています」
わたしは、11歳の頃から医療従事者を志していた。きっかけは祖母が胃がんを発症したこと(現在は寛解しており存命)。単純に「おばあちゃんの病気を治したい!」と思ったのだった。
その後、医療の道にもさまざまあると知り、中学生の頃は救命医療に興味を持っていたし、高校生の頃は抗がん剤をアップデートしたいからと創薬科学系に進むつもりで受験勉強に励んでいた。
ところが、高校2年生になって業界調査をするうちに、医薬品の研究・開発には膨大な時間がかかることを知り、とても困惑した。大切な人を助けるために医療従事者になりたいと思ったけれど、仮に自分が薬を開発できた頃には、守りたい人はもうこの世の中にいない可能性が高いからだ。
今となっては「科学はそういう英知の結晶だよね」と前向きに未来を見つめることができたかもしれないが、当時は若かった。数年先の未来ですら途方もなく遠いもののように感じていたわたしにとって、そばにいる家族が救えない夢には価値がないと思ったし、ついには勉強を続けるモチベーションもパタリと途絶えてしまった。
その後、高校3年生の秋に理系&国公立志望から、突然進路を変更して、私立美大の演劇舞踊コースに進学した。あまりに青天の霹靂のできごとだったので家族も担任の先生もぽかんとしていたが、わたしのなかではつじつまが合っている。今、同じ瞬間を生きている人に喜びを届けられるものを仕事にしようと思ったのだ。
そのあともいろいろとあったけれど、今文章や写真を仕事にしているのもその想いに変わりがないからだ。携わった雑誌や書籍を祖父母のもとに持って遊びにいくと、これ以上ないくらいの笑顔でわたしの書いた文章を読んでくれる。「ああ、この仕事を選んでよかった」と感じずにはいられない。
子どもの頃に抱いた医療従事者になるという夢は叶えることがなかった。けれど今、別のかたちで大切な人をしあわせにできている実感がある。
ただ、カケハシでなら新しいスタイルでまた夢を叶えることができるかもしれない。取材を通してそう感じたのが、カケハシを忘れられない理由だったのだと思う。
「医療」と「クリエイティブ」。一見、なんのつながりもないように見えるこの2つは、わたしにとってはすごく大切なつながりを持つ言葉たちだ。医療体験のリデザインをクリエイティブの力を使って促進することは、わたしにとっても社会にとっても価値のあることだから。
こういう想いを背景に、カケハシの選考を受けた。二次面接あたりで「もし内定をいただけたら、たぶん転職するなこりゃ」と感じており、その直感は確信に変わり、大して迷うこともなく転職してしまったのだ。
不安が一切なかったのかと言われるとそんなことはないのだろうけど、事業にも働く人にも仕事内容にも働き方にも違和感がなかったし、なによりシンプルにワクワクした(まあ、フリーランスにはいつだって戻れるのでね……)。
転職してから約2ヶ月が経過した。
「やばい。全然合わない……」と、秒速で退職する可能性を考慮して、知り合いにも仕事仲間にも親友にすらほとんど転職のことを明かしていなかったけれど、むしろ明かす必要があるのかどうかというくらい働き方にはそう変化がないことが一番の驚きだったりする。
わたしはそれを“ニュートラル”と表現しているが、自分自身の転職の実感すらないくらいに、相変わらずなのだ。仕事の合間にカフェに行くことはもちろんあるし、日中に数時間抜けて別媒体の取材にフリーライターとして行ったりもしている。
それが可能なのは、自律性あってこそ成り立つ自由さが文化として根付いているからかもしれない。職種的に裁量労働制を採用してもらっているので、なおさらその自律性を大切にして働かせてもらえているような実感もある。
変わったことといえば、毎朝オンラインで顔を合わせるチームの仲間ができたこと、めちゃくちゃ尊敬する先輩に出会えたこと、できる仕事だけじゃなくチャレンジングな仕事にも携われること、どこまで首をつっこんでもよそ者扱いされなくなったこと。そのくらいだけど、これがまた良い。
もちろんすべてが完璧なのではなく、ちゃんとほつれている部分もある。スタートアップなのでね。自分の至らなさを痛感する場面もすでにぼちぼちあって、ミーティング後、ひとり自宅で泣いたりもした。それでも、あまりに自分らしく生きている自分がいて、とても安心しているのが本音だ。
ひょんなことから、27歳にしてはじめて会社員になった。思っていたよりもおもしろくて、思っていたよりもしなやかなこの生活が、今は好きだ。
カケハシという会社を愛してもらえるように、そしてわたしが人生を楽しく見つめられるように。これからもクリエイティブの力を信じて、もう少し生きてみようと思える日々が続いている。
main photo - sachi