2021年7月、カケハシは薬局・薬剤師のコミュニティ「MusuViva!」をスタートしました。
コンセプトは、“ユーザーが自由に交流し(交流)、互いに助け合い(互助)、共に未来を創る(共創)ための場” 。薬局同士、薬剤師同士のつながりを生むことで、私たちが提供する薬局体験アシスタント「Musubi」を使いこなすコツや、薬局経営や薬局業務のヒントを共有し合ったり、刺激を与え合ったりすることを目的としたコミュニティです。
そのMusuViva! 初のオンライントークライブ「Viva! Cast 調剤室の小窓から」が2022年3月11日に開催されました。テーマは『地域の中であるべき薬局の姿を形に 〜奔走する若手二人が語る「これまで」と「これから」〜』。地域の薬局で活躍する2名の若手薬剤師を招いて交わされた熱い夜の様子をお届けします。
<スピーカー>
さど調剤グループ 光谷良太さん
ファルメディコ株式会社 ハザマ薬局 地域連携推進室 室長 橋本倫季さん
<モデレーター>
株式会社メタルファーマシー 代表取締役 川野義光さん
目次
- 立ち上がったのは、平成元年生まれの薬剤師
- 薬局単位ではなく町単位でアプローチする時代へ
- 薬剤師がインターネットを駆使して情報発信する意味
- 令和4年度調剤報酬改定を受けて
- オンライン時代における薬剤師の働き方とは
- 薬の知識プラスアルファが求められる時代へ
立ち上がったのは、平成元年生まれの薬剤師
川野:まずはそれぞれ自己紹介からお願いします。
光谷:私は新潟県の離島、佐渡島で薬局を複数経営している薬剤師です。医者も看護師も薬剤師も少ない医療過疎地で、本土と勝手が違うことも多々ありますが、そのあたりもぜひお話したいと思います。
橋本:私は大阪のハザマ薬局で薬剤師をしています。キャリアとしてはまだまだ浅くて、6年前に大学を卒業したばかりですが、SNSでの発信や講演への登壇などにも力を入れています。よろしくお願いいたします。
川野:実は、今回は光谷さんから「ぜひ同世代の橋本さんと話したい」というオファーがあり、実現した対談です。光谷さん、経緯を教えてください。
光谷:僕に橋本さん愛を語らせると1時間は余裕でかかってしまいそうなので、コンパクトにまとめますね(笑)。きっかけは、ハザマ薬局代表の狭間先生の存在です。
僕は非薬剤師で会社を創業した父の元、いわゆる薬屋の息子に生まれて、幼い時から「薬剤師の職業としての価値って何なんだろう」「薬局ってどんな社会貢献ができるんだろう」という漠然としたモヤモヤを抱えたまま育ってきました。薬学部進学のときも就職のときもそうでした。
結果として薬剤師になったのですが、相変わらずモヤモヤは抱えたまま。狭間先生のお話を聞く機会があったのは、その頃です。
お話の中で印象的だったのは「薬剤師の価値を発揮できるのは、薬を渡す前ではなく、渡した後だ」という言葉。雷に打たれたような感覚というか、思春期からずっと抱えていた違和感の正体に気づいたというか。そこから狭間先生の話を積極的に聞くようになりました。「ハザマ薬局に転職しようかな」と思ったこともあったほどです。
父が病に倒れたことで、転職が実現することはなく、地元に帰って経営を引き継いで、インターネットで情報収集を始めたら驚きました。狭間先生と一緒に橋本さんが情報発信したり、いろいろなイベントに登壇して講演されたりしているんですよ。薬局内にいるひとりの薬剤師がこれだけフォーカスされるなんて、業界的に今まではあり得ませんでした。それからずっと気になっていて、この度こういう機会をいただいたので、ラブコールいたしました。
橋本:ありがとうございます。それにしても、知らない間に期待値が高まりすぎていて、正直僕に受け止められるかどうか(笑)。
光谷:いや、受け止めてください(笑)。
薬局単位ではなく町単位でアプローチする時代へ
川野:佐渡市と大阪市で生活環境は大きく違います。まず離島の医療について、光谷さんに教えてもらいましょう。
光谷:離島ならではの部分は非常に多いです。
たとえば、物資。天候が悪くて、船が欠航してしまうと、島への物資は一気に止まってしまいます。当然、島にある約25軒の保険薬局のどこにも置いていない薬が医療機関から処方されたら、患者さんに薬を届けることができません。医者も薬剤師も、患者さんも、ある程度現実として受け入れつつありますが。
もうひとつは、薬剤師の年齢構成。うちには薬剤師が約20名働いているのですが、8名は60歳以上です。当然、20〜30代もいますが、中間層が少ないですね。そのあたりは、本土の薬局と大きく違う点だと思います。
川野:橋本さんは地域医療についてどのように考えていますか?
橋本:個人的には、町単位で取り組んでいくべきだと考えています。ポリファーマシーのような問題を解決する際も、自分の手が届く範囲だけでアプローチしていては、患者さんが入退院を繰り返すことで、結果として併用する薬が増えていくだけになりかねないので。
僕自身、大学時代の実習先が徳島の山奥にある薬局でした。まさに僻地医療で、医師1人に高齢の薬剤師1人のような状況だったのですが、いずれはこういう限界集落的な土地が増えていくわけです。薬剤師単位・薬局単位ではなく、町単位でアプローチしていくべき時代はすぐそこまで来ているのではないでしょうか。
光谷:ありがとうございます。今お話しいただいた内容、noteにも書かれていましたよね。実は、今日事前に橋本さんのnoteを徹底的に読んできました。今日の有料記事の売上はだいたい僕です(笑)。
橋本:そうなんですか?「誰だろう!?気持ち悪いな」と思ってました(笑)。
光谷:僕も橋本さんも平成元年生まれで、2008年ぐらいに薬学部に入学した世代だと思います。薬局業界はよく「17年周期」という話がされていて、2008年頃は薬局が成長期から成熟期に変わるタイミングと言われていました。
当時は薬局見学に行っただけでドンと交通費を支給してもらえたり、在宅医療などを一切やっていないのに儲かっている薬局があったりして、正直「なんだ、この世界は!?」と戸惑いも感じました。橋本さんはどのように受け止めていましたか?
橋本:学生時代は何も考えていなかったですね(笑)。薬剤師になりたいわけでもなかったので。むしろ「受け身の仕事なんだろうな」とあまりいいイメージは抱いていませんでした。たまたまハザマ薬局の仕事をみて「学んだことを活かして、人の役に立っている!」と感動して、勉強に本腰入れ始めたタイプです。
薬剤師がインターネットを駆使して情報発信する意味
光谷:それが今やnoteやTwitterで積極的に情報発信したり、講演したりとすごく積極的かつクリエイティブな活動をされていますよね。そもそも、薬剤師の仕事には、正確性は求められても、クリエイティビティは求められないと言われています。なぜそういう活動に至ったのでしょうか?
橋本:先ほどお話ししたように原体験が僻地医療だったので、新卒の段階で「現状を変えるために、まずは自分が在宅医療における薬剤師のロールモデルになろう」と思っていました。情報発信を検討し始めたのは、減薬に関する論文を出して、「在宅療養支援認定薬剤師」の資格を取得したタイミングですね。
当時も今も、社長の狭間が多くのメディアで情報発信しているのですが、いつも共通のメッセージがあるんですよね。でもなかなか現実は変わっていかない。それは現場の薬剤師としては「理屈はわかるけど夢物語でしょ」とか「社長で医者という立場だから言えるんでしょ」みたいな空気を感じていました。
「じゃあ、現場の人間が社長と同じビジョンを発信したら、どうだろう?」と思い、社長にMessengerで「今までやってきたことや学んできたことを、SNSで全部発信していっていいですか?」と直談判したら、2分後ぐらいに「楽しみにしてま〜す」って返事が来て(笑)。SNSでの情報発信に力を入れ始めたのは、それからです。講演については、なんとなく喋るのが得意な気がしていたので、その流れで。
光谷:めちゃくちゃいい話ですね。一方、情報発信し始めて目立つようになると、社内から「あいつなんなの?」という見られ方をする可能性もあると思うのですが……。
橋本:ありがたいことに、ハザマ薬局ではそういう空気感はないですね。「俺にはできひんけど」みたいな反応はありますが、ネガティブな意見はありません。だから、気恥ずかしさもなくやらせてもらえている感覚はあります。
川野:ハザマ薬局さんは、橋本さんや社長の狭間先生以外にも、多くの方がSNSでの発信に力を入れていますよね。最近特にTwitterがすごいです。
橋本:理由は2つあります。ひとつは、僕が後輩に声をかけているからです。僕は「1日3ツイート」と決めているのですが、アウトプット前提で暮らしていたら、日々の業務の見え方も変わります。後輩との面談の際に「意外と楽しいからやってみたら?」と話をすると、みんな素直にその場でアカウントをつくっていますよ。
もうひとつは採用面です。今ハザマ薬局の見学に来てくれる薬剤師の方の8〜9割が僕のTwitter経由なのですごくありがたいのですが、反面、もし僕がTwitterを辞めたら導線がなくなってしまう。Twitterを始めた後輩の中から数名を選抜して、頑張ってもらっています。
川野:光谷さんもTwitterを始めましたよね?
光谷:僕も最初は乗り気じゃなかったのですが、橋本さんや川野さんのような方たちのツイートを見て、「僕もやってみようかな」と。地域柄、認知を拡大していくことは大事ですので。
令和4年度調剤報酬改定を受けて
川野:少し話題を変えますが、2022年4月からの調剤報酬改定についてはどのように考えていますか?
光谷:正直なところ、医療過疎地なので「在宅医療はできていない」「トレーシングレポートを書いたことがない」という薬局もまだまだ多いです。その中で、うちはもちろん規模としては小さいけれど、改定に向けて、在宅案件を増やしているような状況です。
また、佐渡市の入院病床が減り、地域全体で在宅医療に力を入れ始めているタイミングだったこともあり、「在宅医療に積極的に取り組む立場として、伝えられることを伝えよう」と、先日偉い人たちが出る会議に飛び込んで、偉そうに発言しました。「お前は誰なんだ?」という雰囲気はありましたが、空気を読まずに(笑)。
橋本:そのくらいでないと、地域で存在感は発揮できませんからね(笑)。
川野:橋本さんはいかがですか?
橋本:所感としては2つあります。1つは一包化加算が、いわゆるお届け在宅医療では取れなくなったことへの衝撃。本気で切り分けにかかっている強い意志を感じました。
もう1つは服用薬剤等情報提供料3です。本来、在宅医療では必要なので、うまく育てながら、いわゆるフォローやアセスメントで価値を出せるように取り組んでいきたいと思います。
オンライン時代における薬剤師の働き方とは
光谷:「オンラインが普及したら、全国で薬剤師が選ばれる時代になる」という話もあります。お2人はそのあたりどう考えていますか?
川野:オンラインによって、どこにいてもどんな薬剤師とでもつながれるようになったら、薬剤師自身の人間力が問われるようになると思います。
今までも在宅医療の現場で「薬剤師の顔を見るだけで安心します」と言われる場面もたくさん見てきましたが、一人暮らしの方だとより「薬剤師として」ではなく「人として」付き合う傾向が強い。たとえオンラインでもちゃんと顔を見せて話すことが大事だと思いますし、薬剤師の薬の知識プラスアルファの部分が評価される時代が来るのではないでしょうか。
橋本:おっしゃる通りですね。フォローやアセスメント、フィードバックにおける薬剤師の一人ひとりのキャラクターが大事になってくると思います。むしろフォローやアセスメント、フィードバックをやり切ったことのある薬剤師の方であればキャラクターの大切さを感じているのではないでしょうか。
光谷:サラッと言ってましたが、いま全国の薬局薬剤師で「アセスメントにキャラが出る」という意見に共感できる人は正直少ないと思います。やはり「薬を渡すまで」の仕事ではない発想だし、「ハザマ薬局さんはやはり先いってるな」「橋本さん恐るべし」と思いました(笑)。
薬の知識プラスアルファが求められる時代へ
光谷:先程の話ですごく気になったのが、橋本さんがご自身以外の方がどうやったら上手くできるようになるか?と考えていたことです。すごく経営者的視点だと思ったのですが、なぜその思考に行き着いたのでしょうか?
橋本:2〜3年目の頃に、自分の限界を知ったからです。当時は「俺は超人だ」と思い込んで、薬薬連携のための病院訪問などにも1人で積極的に取り組んでいたのですが、8病院ぐらいが限界なんですよね。「自分だけできても意味がないぞ」と強く感じ、成功パターンを後輩に伝承していく方向にシフトしました。そもそも「ロールモデルになりたい」という気持ちがあったわけですし。
光谷:川野さん、経営者としては橋本さんのような存在はすごくありがたいんじゃないですか?
川野:めちゃくちゃありがたいです。薬剤師の中でも特に職人肌の方は、薬の知識には長けていても、会社としての持続性にまで考えが及びづらいので。橋本さんのキャリアでそこまで考えられている点は本当に立派だと思います。
光谷:橋本さんは将来的に独立を考えているんですか?
橋本:最近「5年後どうなりたいですか?」と聞かれる機会が増えたのですが、何にも考えていないです(笑)。「薬剤師を変えて、地域医療を変える」という考えに軸足を置きつつ、自分が最大限コミットできるポジションで楽しく働けたら嬉しいですね。
ただ、少しずつリーチできる範囲は広がってきている感覚はあるので、より広くリーチできるように自分も成長する必要性を感じています。やる気のある方や意識の高い方にお声がけいただくことが増えてきたので、きちんと期待に応えられるように。
川野:最後に今後の展望を聞かせてください。
光谷:僕も狭間先生の話に感銘を受けたタイプなので、橋本さんのように話ができる薬剤師を自分以外に1人でも増やしたい。それだけでも、佐渡市の地域医療はかなり変わると思います。ぼんやりとしたビジョンですが、自分を信じて突き進んでいきたいですね。
橋本:やはり次の世代を育てていきたいですよね。今後10〜20年先を考えると、僕らだけでは限界があるので。とはいえ、同世代で頑張っている方の話を聞けて、すごく刺激を受けました。ありがとうございました。
川野:熱量の高いお2人の話が聞けてよかったです。今日はありがとうございました。