日々全力で前に進むjustInCaseTechnologiesの社員たち。この企画では、メンバーが当社にジョインするに至るまでのストーリーを、彼ら自身が語る言葉でお届けしています。今回は、この企画を担当している広報の浮ヶ谷の回となります。 justInCaseTechnologies わたしの、ここから。
プロフィール:浮ヶ谷紗織
大学を卒業後、国内生命保険会社に入社。その後、13年にわたり保険業界紙記者を経験しました。新しいことに挑戦しようと、2024年4月にjustInCaseTechnologiesに入社。プレス対応やイベントの企画・運営、社員インタビュー等、広報という新たな領域で模索する日々を送っています。今回は、僭越ながら私のこれまでの道のりをご紹介させていただきます。
職種:広報
趣味:読書、映画鑑賞、旅行、生け花、周遊型謎解き
何でもやってみようと飛び込んだ保険業界
大学時代は、放送学科で脚本を専攻しました。映像制作や脚本制作などの創作活動自体もやりがいがありましたが、それ以上に、好きな作品について真剣に話せる友人や先生に恵まれたことが本当にありがたく、幸せな時間でした。就職活動の時期になると周囲は制作会社や各地の放送局を受験していましたが、私自身はメディアで働くイメージが持てず、何でもやってみようと、職種を絞らずに思いつくままいくつかの会社を受けた中でご縁をいただいた国内生命保険会社に入社しました。どう見ても保険とは縁の無さそうな学部出身の私に対して、当時は、周囲からも、なんなら入社した保険会社の上司や先輩からも「なぜそこ(ここ)に?」と不思議がられましたが、入社が決まったことに私自身が一番驚いていた気がします。
社会人としてのスタート
入社後は、法人営業部に配属され、主に企業の団体保険の保全を担当しました。上司や先輩について都内各所の担当先を回る経験は刺激的でしたし、各社の窓口担当の皆さんには本当にたくさんのことを教えていただきました。団体先での制度説明会の際には、大勢の人の前で話し始めた途端に記憶した言葉が飛んでしまうこともありましたし、保険営業ならではの難しさも多少は経験しましたが、どれもこれも今となっては得難い経験です。私にとって、社会人としてのスタートを生命保険会社で切れたことは本当に幸運だったと思います。
生命保険会社には丸3年お世話になり、その後は大学院に入る選択をしました。社会人人生をすごろくに例えるなら「休み」の2年間でしたが、年齢的にも環境的にも「行くなら今しかない」という思いで飛び込んだこともあり、その2年間は大学の4年間に匹敵するほど密度の濃い時間を過ごすことができました。
保険業界との2度目の出会い
人生2度目の就活を始めようかという頃、世間では就職氷河期が到来していました。出版社を希望していましたが、中途採用、しかも未経験では、受験資格すら無い状況でした。
「とにかく働き口を見つけなくては」と探す中で出会ったのが、その後13年8ヵ月お世話になる保険業界紙の記者の仕事でした。生命保険会社にいたとはいえたった3年間、しかも個人保険には触れたことが無く、損害保険にいたっては何も分からない状態でしたから不安もありましたが、保険会社時代に社内で閲覧していた新聞だったことと、子どもの頃から漠然とあこがれていたモノを書く仕事ができることに惹かれ入社を決めました。
実際に入ってみると、保険の世界は想像以上に広く、深く、保険会社で自分が触れていた業務がほんの小さな一面に過ぎなかったことを痛感しました。「世の中に保険につながらない産業はないのでは」と思われるほど、環境保護でもオリンピックでも宇宙開発でも地方創生でも働き方改革でも、「保険×○○」というキーワードを検索すれば何かしらの接点が見つかります。さらに、新しい技術や挑戦にも保険は常に紐づいているため、取材先で思わぬ最先端の情報に触れることも数多くありました。
金融の中でも銀行や証券に比べて少し地味な印象を持たれる保険ですが、その歴史は古く、近代保険の歴史だけでも約300年に及びます。保険は、損保にしても生保にしても、日常に潜む避け難い災いから暮らしを守るために多くの人々が知恵を出し合い、挑戦と洗練を重ねてきた、いわば人類の英知の結晶です。業界紙記者の立場で、その結晶が今なお成長を続ける姿を見られたことは大きな財産にほかなりません。
なにやら仰々しく言いましたが、要するに、私にとっての保険は「多くの人の願いが込められた血の通った金融商品」であり、そこに関わるさまざまな(本当にさまざまな)世代・立場の人から取材という名の生の授業を受けられた13年間はとても贅沢な時間だったということです。
業界紙記者の仕事を教えてくださった諸先輩方はもちろん、知識の浅い私に懇切丁寧に応えてくださった保険業界関係者の皆様には感謝しかありません。
取材時にいつも持ち歩いていたMOLESKINEのB5ノートとJETSTREAMの多色ペン、デジタルカメラ、ボイスレコーダー↓
業界紙記者からインシュアテックの広報へ
justInCaseTechnologiesのことは、祖業であるjustInCase(少短)が取材先であったため、設立当初から知っていました。2017年12月、当時オフィスの入っていた半蔵門のコワーキングスペースに取材に伺った際に、代表の畑から、当時はまだ日本に存在していなかったP2P保険の話を聞いた時には「日本でそんな保険が販売できるのだろうか?」という素朴な疑問を抱くと同時に、成熟した業界と言われる保険の世界で新しい挑戦をしようとしている業界人がいるということに少しワクワクしたのを覚えています。当時は自分がそこで働くことなど夢にも思いませんでしたが、2016年頃から盛り上がり始めたインシュアテックが記者としてのメインテーマの一つになり、各社の取材を続ける中で、保険業界に風穴を開ける存在としてインシュアテックへの関心が高まっていったことは確かです。
今後の抱負
今回の転職の一番の動機は、「これまでの経験を生かしつつ、人生の可動域を広げたい」というものです。業界紙記者の仕事は好きでしたが、取材を続ける中で保険業界が大きな変化の時代にあることを感じ、このタイミングでスキルや知識の幅を広げることは、この先の人生の選択肢を増やすことにつながるのではと考えるようになりました。
これまで、生命保険会社、保険業界紙、インシュアテック企業と身を置く場所こそ変わっていますが、新卒のときからお世話になり続けている保険業界の発展に少しでも寄与したいという思いは変わりません。
過去には、業界紙記者として多くの広報担当者の方と接してきましたが、立ち位置が変われば見える景色は180度変わります。社会人になって約20年が経ちますが、広報としての私は駆け出しにすぎません。まだまだ視野も狭く、やるべきことに手が追い付いていない反省ばかりの日々です。
ただ、ありがたいことに、これまで関わってくださった広報担当者の皆さんから学んだ仕事の姿勢や、ここにきて新たに関わることになった他社の広報の先輩方からのアドバイス、何より社内のメンバーの温かい支えによって、なんとか丸1年を迎えることができました。
広報は非定型な業務が多く、その時々に合わせて視座を変化させられる柔軟性と、受け手の気持ちを量る想像力、タイムリーに動ける瞬発力が求められる仕事です。どれも私にとっては高いハードルですが、一方で、広報が本来の機能を発揮すれば、企業にとって大きな推進力になるということもまた、この1年で学んだことです。かつての上司に教わって以来信条としてきた「仕事で受けた恩は仕事で返せ、目上から受けた恩は次の代に還元せよ」という言葉を少しでもここで実現できるよう、日々精進していきたいと思います。