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「イントレプレナー思考」のエンジニア求む!~営業会社から「テックカンパニー」へ〜#3

たったひとりから始まった
エンジニア組織の設立と拡大、そして再構築

こんにちは、エンジニアの中村です。

今、私たちは“優秀なリードエンジニアの方”を求めています。
その背景と詳細を「4回の連載」に渡って紹介していまして、この記事はその第3弾です。

この記事では、なぜ僕がエンジニア第1号としてイノベーションに入社したのか、そしてなぜその6年後にエンジニア組織の再構築をするという決断をしたのかを、お話したいと思います。


バックナンバーはこちら
#1 リクルートのトップ営業がつくった、イノベーションという会社の成功と挫折
#2 SalesGrowthの限界 ~営業は大事だけど営業だけがすべてじゃなかった~

中村 瑞基(なかむら みずき)
2013年イノベーション入社。現在Development Technology Unitのユニット長。


「やればできるは学生まで」を実感した、社会人の始まり

イノベーションに入社した経緯の前に、自己紹介も兼ねてちょっとだけ僕の経歴から紹介します。

僕は小さい頃から図工とかものづくりが大好きでした。あとは、高校の時にちょうどWindows95が出てインターネットとかITに興味を持ったんですよね。それで、大学も工学部の情報系に入って、新卒でエンジニアになりました。当時は今みたいに人気の職種っていうわけではなかったけど、どんどんIT化が進んでいく中で需要は高まっていたような気がします。

当時は「これがやりたい」「これやっていきたい」というのは特になかったですね。今思うと甘い考えでいたのかもしれませんが、「30までに見つければいいかな」くらいで、そんなに深く考えてなかった。そんな社会人の始まりでした。

そんなこんなで1社目に入った会社は、1年で退職しました。年功序列の強い『THE 昭和』な会社で、接待みたいな飲み会ばかり。お酌ひとつで「へぇ、お前はその順番で注ぐんだな」みたいにちくちく言われる会社で。社風とか考え方が合わないと思って、退職を決意しました。

その後は接客に興味をもってダーツバーの店長をやってみたり、その後またエンジニアに戻ってみたりしてたんですけど、激務で体調を崩したりプライベートな事情で辞めたりで、2社目も3社目も、1年も続きませんでした。

↑ 当時の写真。こうみると若いですね。


3社目を辞めた後に転職活動で壁にぶつかりました。長続きしない経歴のせいか、なかなか転職先が決まらなくなったんです。

周りの友達は会社で大事なプロジェクトを任されたりして輝いて見えるし、仕事の話には全然ついていけないし。ニートの僕にむしろ気を使ってもらってるのがわかって、それが申し訳なくて。その時は実家に暮らしてたんですけど、家でも肩身の狭い思いをしてました。あの時は正直しんどかったですね。

それまではそこそこ順調に生きてきたんですよ。高校は学区で一番のところに行けたし、ある程度何でも器用にこなせたので、「やればできる」っていう自信もあった。でも、なかなか仕事が決まらなくて、友達にも置いていかれて、自分に自信がどんどん無くなっていったんです。

とにかく就職しなきゃって、就職先のラインを下げたりとか、ハローワークにも行きました。3ヶ月の転職活動の末に、ようやく仕事が決まったんですけど、それが本当に嬉しくて。採用してもらえたことに本当に感謝の気持ちでいっぱいで、頑張って恩返しをしようって誓いました。それに、自分を変えなきゃいけないっていう気持ちも強かったですね。それからは、人が変わったように頑張りました。


ビジネスの楽しみを知った前職時代とイノベーションとの出会い

ようやく入れた4社目の会社では、ほんとうに多くのことを学ばせてもらいました。開発スキルはもちろんなんですけど、僕の今の仕事に対する考え方が醸成されたのもこの時期でした。

その会社は受託開発をする会社だったので、「〇〇を作って欲しい」みたいな要望をもらうんですけど、言われた通りに作っていたら、自分の存在価値ってあまりないなって思って。

なので、自分なりに考えて工夫して「こうしたらもっといいんじゃないか」みたいなものを提案するようにしてました。もちろんそのためには相手の事業とかを理解していないといけないので、それはそれで大変だったんですけど、喜んでいただけることも多かったですし、結果としてお客さまの事業が大きくなっていったりとか、僕を信頼して「また中村さんにお願いしたい」って言ってもらえたりとかして、嬉しかったしやりがいも感じました。

ただただ開発をするのではなく、『ビジネスを理解して、同じ目線でより良いものを創り上げていく』、それがとても楽しかったんです。頑張った甲斐もあってどんどん仕事や案件を任せてもらえるようになっていったのですが、そのなかの1社がイノベーションでした。

イノベーションの第一印象は、「若くて勢いがある」でした。会社に訪問すると、エントランスで待っている間にみんながあいさつしてくれるんですよ。とにかく元気で礼儀正しい。これから成長していく会社なんだろうなーって感じました。それに、僕たちのことを業者ではなくパートナーとして接してくれていたんですよね。

取引が大きくなる期待もあって、会社としてもイノベーションを重要顧客と捉えていましたし、個人的にも「この会社の成長に貢献したい」という思いが強くありました。

それからイノベーションに転職するまでの約4年半、たくさんのサービスの開発に携わらせてもらいました。


自身の成長を目指して、エンジニア絶頂期での転職

転職の一番の決め手は、『オフショア開発へのチャレンジしたい』という気持ちでした。イノベーションの当時の取締役から「うちで働きませんか?」って誘っていただいたんですけど、今後の構想の中にベトナムにオフショア拠点をつくるっていう話があったんです。前職では海外進出はまず考えられなかったし、チャレンジしてみたいと思いました。

前職には辛い時代に採用してもらった恩もあったし、もっと会社に貢献して大きくしていきたい気持ちもありました。ただ、組織の成長には30人の壁があるって良く言われると思うんですけど、そこをなかなか乗り越えられなかった。そんなに『会社を大きくしたい』って思っている人が多くなかったのもあるんですけど、自分の求める成長と会社の成長やそこで得られる経験にギャップが出てきていたのも事実でした。そういう背景もあって、イノベーションへの転職を決めました。


オフショア事業の立上げと失敗、そして学んだこと

イノベーションに転職してすぐ、ベトナムのオフショア開発に関わることになります。すでにベトナムオフィスは立ち上がっていたので途中から関わることになるんですけど。

ベトナムでは当初、Webサイトの構築とかをやっていたんですよね。なので、採用していたエンジニアも、HTMLが得意な人が多かったんですよ。そんな中で、サービス開発も走るようになりました。

エンジニアであれば、HTMLが書けたってサービスの開発はできないって当然のようにわかると思うんですけど、経営陣は『エンジニア』ってひとくくりに見てたんです。

ここからの話はもう、当時の僕が未熟だったって話に尽きるんですけど、その状態のままでサービス開発を進めてしまったんですよね。実際のスキルと求められるスキルのギャップと言語の壁、そして物理的な距離。クリアすべきことはたくさんあったのに。今思えば、開発をストップすることもできたし、しばらくベトナムに行って組織を立て直すこともきっとできたんですけど、それをしなかった。

組織を作ることよりもその場を回すことを優先してしまって、みんなの失敗や遅れを、みんなが帰ったあとで自分で対応していました。しばらくはどうにか間に合わせてたんですけど、そんなのが長続きするわけがない。

「一緒に事業を大きくしたい」そう思っていたのに、いつの間にか開発のスピードが遅くて、事業成長の足を引っ張ってしまっていました。どうにかしなきゃと思っていても、目の前の開発にいっぱいいっぱいで、どうにもできない。そんな状況がしばらく続いた後に、ベトナムでのサービス開発を諦めることにしました。

エンジニア組織を作るということ、オフショア開発を行うこと。経営陣も事業部も僕自身も、圧倒的に経験も思慮も足りなかった。転職の決め手になった『オフショア開発』は、いろんな意味で大きな経験になったことは、間違いないと思います。


エンジニアみんなで考えた「理想のエンジニア組織」を目指して

僕がイノベーションに入社した後、オフショア拠点の立ち上げと並行して、日本でのエンジニア採用もおこなっていました。僕の1ヶ月後には新卒メンバー、続いて中途メンバーも増えました。

今でも覚えていますが、僕が入社して約1年後、3人目に入った中途社員の方が入社してすぐに言った言葉が、「エンジニアの組織をつくろう」でした。

彼は、事業部にエンジニアが所属する現状を変えてエンジニア組織をつくるために、社内でいろいろ立ち回っていましたし、「こういうことをやっていきたい」という構想と意志、行動力がありました。一方僕は組織を作った経験もほとんどなかったし、ベトナムのこともあって、自分にできるかどうかもわからなくなっていた。そういうこともあり、改めてメディアの開発業務にフォーカスすることになったんです。

彼が進めていた「エンジニア組織をつくる」という構想は、会社への提案や交渉の末に実現しました。

そこからは、エンジニア組織を作るための議論が本格的にスタート。『どんなエンジニア組織にしたいか?』をエンジニア全員で何度も合宿を重ねて考え、行動指針もつくりあげました。みんなの理想とする組織にするために、一歩を踏み出した瞬間でした。



約2年で数人から20名体制へ、そして・・・

エンジニア組織ができてからというもの、採用は更に加速していきました。約2年で数人から20名体制くらいになったと思います。

↑エンジニアの人数の推移


当時の取締役が話していたのが、「これからはITでどんどん伸ばしていく。イノベーションは生まれ変わる」ということ。『新しい技術習得にどんどん投資もしていくし、そういう会社にしていく』というのが大方針でした。

もちろん僕も技術習得は必須だと思いますし、そのための投資も必要だと考えています。しかし、技術選定の軸には「個人のスキルアップや新しい技術に挑戦したい」ということよりも「プロダクトの安定稼働や事業の成長」を真っ先に考えて選定する必要があると僕は考えています。

技術選定の方向性が、事業や顧客よりエンジニアの興味を保つための選択がなされていると気づいたとき、それはエンジニア本位な考えではないのか?と違和感を覚え、会社や事業、経営やビジネスサイドとは目線が違うエンジニア組織が出来上がってしまいそうだと僕は健全な危機感を覚えました。

結果は案の定、次第にビジネスサイドとエンジニアの間で考え方の違いが目立つようになり、

エンジニア組織の内製化に踏み切った3年間でイノベーションのエンジニア組織は「エンジニアリングの力で事業を成長させたい」という組織状態の理想とはどこか異なる方向へ進んでいました。

「このままじゃだめだ」そう思った僕は、エンジニア組織の在り方を大きく変える決断をしました。その話は次の回で詳しくお話したいと思いますので、もう少し僕の話にお付き合いください。

次話はこちら↓
#4 理想のエンジニア組織への挑戦 ~本当のテックカンパニーを目指して~

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