2020年、新型コロナウィルスによる世界的な危機により私達の生活様式や働き方が様変わりし、歴史に残る1年となりました。イードでも在宅勤務制度の導入やオフィスの移転など、新時代に適応するために大きな変化を求められた1年となりましたが、イード代表の宮川はこの激動の時代をどう捉えているのか?2020年の振り返りと、2021年の戦略を訊きました。宮川自身がコロナ禍の中でどう自身をアップデートしていったか?「パラノイア(極度の心配性)でなければ生き残れない」、という言葉の真意は?ぜひ最後まで御覧ください。
宮川 洋
1965年生まれ。1988年、中央大学文学部史学科西洋史専攻卒業。大学時代はテニスの体育会で練習に明け暮れ、卒業と同時に株式会社アスキー(現:KADOKAWA)に入社。出版部門にて、PC関連誌の刊行ラッシュの中、12年間マーケティング責任者を務め、「今後、メディアとしてのインターネットの時代がやってくる」と確信。インターネットの世界に飛び込むべくインターネット総合研究所(IRI)に転職。2000年、株式会社イードの前身となる株式会社アイ・アール・アイ コマースアンドテクノロジー(IRI-CT)創業。
ー激動の2020年を振り返ってみていかがですか?
新しいやり方を模索する1年でした。ニューノーマル(新常態)への適応が求められる時代になったと感じています。私のような昭和世代のビジネスマンだと、基本的には直接お会いして打ち合わせをし、昼夜の食事を供にするコミュニケーションが一般的でした。イードはこれまでM&Aを繰り返し拡大してきましたが、主力メディアであるレスポンスの買収も知人との「久しぶりに食事でも」という何気ないコミュニケーションからスタートしています。現在21ジャンル66のサービスを運営するイードですが、最初の接点はそういった人と人との縁で繋がったものが多くあります。
コロナ以前は「毎日お客様のもとへ通って受注しました!」、「顔を覚えてもらうことが大切だ」という意見がありましたが、ここまで物理的に人に会えなくなると、30分オンラインで打ち合わせをするだけでも「会ってもらえる理由」が必要になってきますよね。ですからwithコロナの時代には「相手のことを理解し、いかに有益な情報を提供できるか?」が重要になってきますし、新卒もベテラン社員も、もちろん私も含めて深く幅広い知識を身につけることがより求められていると感じています。
常々社員の皆さんに伝えていますがチャールズ・ダーウィンの言葉「唯一生き残ることができるのは、変化できる者である」。自分の生き方+戦い方をアップデートし、そのノウハウを共有することで各人の平均点を上げていく、そうすることで一人一人の見える景色が変わってくると思っています。
ー宮川さんはどのように自身をアップデートされていったのでしょうか?
これまでは「幅広くいろいろな方に会う」というのが私のスタイルでしたが、コロナ禍になりインプットの時間を増やしましたね。オンラインセミナーのアーカイブやビジネス系のYouTubeを見るようになりました。YouTube Premiumを契約し、登録チャンネルも30を超えています。この状況下で、YouTubeはあらゆるコンテンツの集合体になり有益な情報が10倍は増えたなと。ポッドキャストも使っていますが、こちらも質の高い情報が手に入るので重宝していますし、音声メディアの時代が必ずやって来ると思います。
若手、ベテランに関わらず「自ら情報を取りに行く」姿勢は、朝起きて朝食を食べて会社に行くのと同じ感覚で習慣化していくことが求められるでしょう。
ー失礼ながら宮川さんがYouTubeを見ている、というのは意外でした(笑)。どういったチャンネルを見ているのでしょう?
ニュース系はもちろんですが、世の中のトレンドを押さえるチャンネルを見ていますね。「テレ東NEWS」、「シバタナオキの決算情報」、「石川 温のスマホ業界ニュース」、「世界は今 -JETRO Global Eye 」、「GLOBIS知見録」といったチャンネルから情報をインプットしています。なんとなくテレビをつけて流れてきた情報を見るのではなくて、自分で情報を取捨選択し、今は何がトレンドなのか?そういった情報を発信しているキーマンが何を見ているのか?を気にしています。
情報収集の形も、昭和から一気に令和に飛んだなと感じています。令和10年くらいだったらこのリモート全盛の形も珍しくはなかったでしょうが、令和2、3年でこうなるとは誰も予想がつかなかったでしょう。
ー誰も予想がつかない1年でしたが、宮川さんから見てイードのここが変わった、というところはありますか?
リモートで出社しなくてもビジネスが成り立つということですね。昨年3月の緊急事態宣言以降、在宅勤務が当たり前になり出社率は2割程度となりましたが、去年と同等程度の業績を収めています。これは社員の皆さんの創意工夫の賜物です。「どこでも働ける」という状態になると、イードの採用も変わってくる可能性がありますね。例えば、遠隔地に住んでいてもやり取りはオンラインを基本とし、コミュニケーション力と行動力で仕事をどんどんこなせる人材も出てくるのではないかと感じています。
ー2020年に入社した新卒メンバーも、在宅勤務で会社メンバーやお客様と直接お会いできない中でしっかりと成果をあげてくれています。
新卒の皆さんにも、自分の人生の景色が変わる場を提供したいなと思っています。ここで言う景色が変わる、というのは「自分が熱中する何かを見つける」ということです。例えば、「映画が好きだ」というメンバーが映画監督のインタビューに同席したとして、「映画の別の側面が見えてきた」と言ったふうにグッとその世界にのめり込むことがあります。
これまでは1~3年目の新卒入社の皆さんには「徹底してハマること」をじっくり探してもらいたいという想いがありましたが、この状況下においてより早くそれを体験してもらうためには、自身が成長してお客様を含め、いろいろな方とオンラインミーティングしてもらえる状況を作り出す必要があります。そのためには、社内のメンバーそれぞれが持つベストプラクティスを共有しながら全員で成長をしていかなければなりません。
ーイードはM&Aを積極的に行い拡大してきましたが、コロナ禍ではいかがでしょうか?
M&Aに関しては、らしさをとことん追求していくことだと思っています。これまで様々なメディア・サービスを買収してきましたが、車とゲーム、といったふうに一見「関係あるの?」と思われるものがシナジーを発揮してきました。現在、自動車の自動運転プラットフォームにはNVIDIAが用いられていますが、もともとはゲームの激しい動きを制御するGPUだったわけですよね。それが今や、AIの世界の中心銘柄になっています。NVIDIAの歴史を知れば、ゲームも自動車の歴史も語れるようになるわけです。意外性のある掛け合わせがコントラストになり最終的に繋がりますから、コロナ禍においてもご縁の中からご一緒できる方々と手を組みたいですね。
ー2021年、イードはどういった戦略をとっていくのでしょう?
この状況下においてどうやってビジネスを拡大させていくのか、というのは常に考えていますが、人口減少社会における成長戦略は必須です。例えば、いまレスポンスを見ているコアな読者が10年経てばほとんど閲覧しなくなる、ということがあるかもしれません。その中で、どうやってビジネスポートフォリオを構築していくかが鍵です。メディア事業が厳しい時にはメディアコマース(EC)事業が良い、といったふうに事業の多様さと柔軟性によってこれまでも何度も危機を乗り越えてきました。
イードは専門メディア・専門サービスの集合体ですから、メディアを見に来てくれるコアな読者、理由がなくても打ち合わせをしてくれるお客様、そういったファンの皆さんを大事にしたいですし、ファンを増やすことこそが我々が生き残る道だと信じています。
ーファンを増やし、コミュニティを大切にしていく、と。
例えばメディアで言えば、GoogleやYahoo!などの検索エンジンからサイトに入ってきたカジュアルな読者を、どうやって何度もリピートしてくれるコアなファンになってもらうか、ということですね。そのために昨年から取り組んでいるのが良質なコンテンツを届けるためのプッシュ通知、各業界の有識者を招いたオンラインセミナー、メディアの定期購読(サブスクリプション)…その他にも、各事業部のみなさんが様々な施策に注力してくれています。
こういった仕組みでファンを増やす方法もある一方、誤解を恐れずに言うと、私は各メディアの編集長がパラノイア(極度の心配性)であってほしいと願っています。「 ”Only the Paranoid Survive” (オンリー ザ パラノイア サバイブ)」、これはインテルを世界的企業に成長させたアンドリュー・S・グローブ氏の言葉で、当時の同社はメモリーチップ事業で日本勢力にシェアを奪われ転換を余儀なくされました。グローブ氏は類まれなる危機感でメモリーチップ事業から撤退を決め、マイクロプロセッサー事業へと注力しインテルの建て直しを成功させます。
何が言いたいかというと、常にパラノイア(極度の心配性)なみの危機感を持ち時代の転換点を見極めながらメディアの舵取りをしていってほしい、ということです。メディアの原動力となるファンを増やし生き残るためには、ファンが何に共感するかを定点観測し、転換点を見つけたなら強力に推進する熱量が必要です。その分野にどっぷりと浸かった編集長だからこそ見えてくる変化の時を見逃さず、「これまで通りのやり方でよいのか?」と自問自答しながらメディアを作っていってもらいたい、と思います。
ーありがとうございました。