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人生は「できるできない」ではなく「やるかやらないか」だ
毎日のように雑誌が創刊していたネームバリューが必要なのは、自分にはまだ実力がないとわかっている時25歳で上京したてころ、朝日新聞出版のブライダル雑誌を編集するプロダクションで、編集者として働いていた。朝日新聞社は、東銀座にあったが、確かマガジンハウスは、朝日新聞社から、そう遠くないところにあったから、入稿の度に、何度か前を通った様に記憶している。まだ、バブルが崩壊する前だったかと思うので、当時は、毎日の様に、あまり中身のなさそうな雑誌が、今日はコレ、明日はアレというめまぐるしさで、次から次に創刊されていた。広告を出したいスポンサーが、目白押しだったからだと思う。雑誌は、記事の魅力を感じた...
結婚式の新しいサービスの予感
ピンチはチャンス!窮地に立ってる人こそがイノベーションを起こし、新しいマーケットを創造できる先日は、所属しているグループのズームミーティング?飲み会があった。困窮の度合いが、財務体質別で、余裕のある会社と、そうでない会社によって、おそらく、結構違うのではないかな。残念ながら、これを機会にもっとお客様の求める、withコロナの時代にあった商品やサービスを創造しなければと思っていたのに、そういうディープな内容を話すという感じにはならなかった。今の(自粛)間に、商品を見直そうというよりは、自社の商品やサービスには、コロナ時代にあっても、結構みんな自信があるのかなあという感じで、ちょっと、という...
火事の1週間後に振袖のお見直し会を開催、お一人を除き全員に選び直してもらいました
どんな困難な状況でもお客様を第一に考える、企業理念の一つ「お客様第一主義」2年ほど前だったか、成人式の当日に衣装を借りたお店と連絡が取れなくなって、振袖が着られない人が続出した事件があったのを覚えている人も多いと思う。成人するご本人が、楽しみにしていただけでなく、両親や家族にとっても、悔やんでも悔やみきれない事件だったと思います。決して安くはない買い物である振袖に、たくさんのお金をかけてでも、やっとここまで大きくなった喜びを両親が噛みしめる、成人式は、儀式というよりは、「振袖を着る」、「晴れ着姿を見に焼き付ける」という行為そのものが、家族(両親や、おじいちゃんおばあちゃん)にここまでなん...
ピンチはチャンス!総勢45人のモデルが出場、それは日本最大規模の和装のショーだった
火事で和装は壊滅的なダメージを受けたなんでも、やり続けるということは、気がついたら一番になっていたりするものなのだと気がついたのはショーの後だった。隣接していた実家の漏電で、店舗と実家ともに全焼した2000年の火事で、ほとんどのドレスが消失したのは、今から、もう20年ほど前のこと。和装のほとんどは、煙で黒く変色し、水に浸かって色が落ち、貴重な和装のほとんどが使い物にならなくなりました。数十箱分のそれらの和装をクリーニングに出したら、確か、クリーニング代は数百万円にもなったように記憶している。ところが、クリーニングから帰ってきた和装は、金箔が全て鉛色に変色し、本当に二度と使えなくなった。そ...
着物は、キモノという形をした一つのドレス。
◆新しいコーディネートへの挑戦、最初は心配で夜も眠れないほど火事で店舗が全焼してから、新店舗がオープンして5年経った頃、オリジナルの着物のコレクションがかなり溜まってきたので、和装のショーをすることにした。オリジナル和装コレクションを中心に、新生ブライダルコア伊谷が進むべき方向性を、お客様と、社員の皆さんへショー形式のメッセージイベントとしてプレゼンテーションするという企画。着物でできるありとあらゆるコーディネートを試すことにして、その中の一つに、個人的には、着物+パニエって、それなりにかっこいいと思うのだが、果たしてそんなことをして、下手をすると、チープな仕上げりで学芸会的な素人芸と取...
結婚式に関する全ての不満を解消する形で、商品設計やサービスは始まった!
自分の欲しいものに溢れている場所、社会の課題を解決する店でありたい<創業ストーリーその1>思えば、ウエディング雑誌の編集の仕事をする以前からずっとそうだったけど、いつか結婚式をする立場に立って消費者の目線で思えば、衣装も、料理も、オリジナルウエディングのプロデュースも、ヘアメイクやヘッドアクセサリーや靴、撮影も、プログラムも、結婚式の料金も、その時業界に存在する全ての商品やサービスの、何もかもが納得いかなかった。ウエディング雑誌の仕事をするようになり、それがやがてなんとなくはっきり見えてきてからも、「どうして?」さらにその疑問は深まった。もちろん、そうではないお店もあったのだろうが、素敵...