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人生は「できるできない」ではなく「やるかやらないか」だ

毎日のように雑誌が創刊していた

ネームバリューが必要なのは、自分にはまだ実力がないとわかっている時

25歳で上京したてころ、

朝日新聞出版のブライダル雑誌を編集するプロダクションで、編集者として働いていた。朝日新聞社は、東銀座にあったが、確かマガジンハウスは、朝日新聞社から、そう遠くないところにあったから、入稿の度に、何度か前を通った様に記憶している。まだ、バブルが崩壊する前だったかと思うので、当時は、毎日の様に、あまり中身のなさそうな雑誌が、今日はコレ、明日はアレというめまぐるしさで、次から次に創刊されていた。広告を出したいスポンサーが、目白押しだったからだと思う。

雑誌は、記事の魅力を感じた読者が支えているのではなく、スポンサーのおかげで、成り立っていた?

当時私は、ファッションから情報誌まで、勉強のために、何誌も定期行購読し、それぞれの雑誌が、同じ様なテーマをどう切るのか、調べたり、トピックス記事に取り上げてあるということは、もしかしてこの会社の広告が、後ろの方に出ていたりしないかしら、とか、撮影で衣装を借りているということは、この衣装メーカーは、雑誌のスポンサーで、この特集はペイドパブ?などと、広告上での雑誌の仕組みを発見したりするのが楽しかった。小さい文字のクレジットなどを読んでは、広告との関係のない、純粋な、記事が本当に存在するのか、探すのが半ば趣味の様になっていた。

しかし、流石に、広告がなければん雑誌が成り立たないという事実を知った時には、ちょっと衝撃だった。「暮らしの手帳」みたいに、広告をもらわずに成り立つ雑誌があれば、お目にかかりたい。

東京で雑誌の仕事をしているという、ファッションが必要だった私

東京まで来たのだから、どうせなら、もう少しメジャーな出版社もしくはプロダクションに、あわやくば、転職してやろうと思っていたので、夜、あまり好きではない名前だなあと思いながら、「女性のための編集者学校」なるものに通っていた。

なぜ、この「女性のための」という言葉が必要なのか、よくわからなかったが、確か講師陣が、割とメジャーで豪華だったのに対して、金額があまり高くなく、だから、飛びついた様な気がする。できるだけ早く勉強して、早く自分をデビューさせるためには、要は中身であって、名前はどうでもよかった。

「男子にできることは女子にもできるでしょ」という持論で持って生きてきているので、学生時代も、飲食店に『男子アルバイト募集』と書いてあっても、普通に面接に行ったりしていたし、かなりの確率で、結果的には雇ってもらったし、実際に女子でも大丈夫だった、と今でも自分では思っている。

せっかく講師を最大限に活用させてもらうために、質問小僧であれと

その日は、五味太郎という、絵本作家さんの講演の日だった、必ず、講演の後には、質問すると決めていた。質問の質はともかく、何でもいいから、聞くことに意義があると「はい」と手を上げた。「編集者になるにはどうしたらいいでしょうか?毎日忙しくて、なかなか勉強することができません、いったい私はどうしたらいいか」という様な、今から考えたら、残念な質問をした私に、開口一番五味太郎さんは言った。

「君はまだスタートラインにも立っていないよ。あのね、人生は、できるできないじゃないんだ、やるかやらないかなんだ」

やるって決めたら、どうやってやるのか、いつまでにやるのか、何から始めればいいのか、今やることが見えてくる。本当にやるということは、やるって決めることから始まる。それを決めれば、いつまでに成し遂げるのか、その期日を決めて、ゴールへのたどり着き方を、プルダウンで考えていく。そうしないと実行できるわけがないではないか。

スタートラインにも立っていないってどういうこと?

「だって、だって、できないんだもん」と言い訳の気持ちが頭を占領していましたが、もっと深いところで、実は「その通り、おっっしゃる通りでございます」って思っていた。誠にもって、他の授業は覚えていないが、この言葉を聞くために、当時の私は、ここに導かれたと言っても過言ではないと思っている。そういう意味でも、五味太郎さんには、とても感謝しています。

仕事にやりがいを持てば、メジャーかどうかはあまり関係がない

その後、ニュージーランドに新婚旅行の取材で言った折に知り合った、その頃から結構メジャーだった旅雑誌「るるぶ」の当時の名物編集者(今となっては友人だが)に、六本木の寿司屋に呼び出され、彼女の所属するプロダクションの社長と一緒に、「うちに来ないか」と誘われたことがあった。「スカウトじゃない?」と一瞬興奮したが、嬉しかったが、少し迷ったけれど、丁重にお断りした。期待されると、期待に応えられなかったら、ちょっとしんどいな、と思ったのと、マイナーであっても、ブライダル雑誌の仕事、結構面白くなっていたからだ。もちろん、あの時断ったことは、今でも、後悔はしていない。

今でも、同じような言い訳を、正々堂々としてくる若い人たちに出会うたびに、この五味さんの言葉を活用させてもらっている。時々、自分に対しても自問自答する。できないということをやることを決められない言い訳にしていないか、やると決めたら、期日はいつなのかと。ブライダル雑誌、なんかで、働いていたから、出会えた言葉であるのかもしれません。

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