当館は昭和30年、学校の先生だった母がひとりではじめた小さな小さな山小屋でした。母は父と出会うまでの7年間、まだ道もなかったような山奥の山小屋でひとりで旅館をはじめたそうです。その状況だけ考えても、母はかなりの変わり者だったと思います。
建て替えの為、工事に来た建築士の父との出会い、結婚。私は兄と弟と3人兄弟の真ん中として生まれ、このくじゅうで中学校まで暮らしました。
近くに家もないため、遊ぶといえば、ひとりか兄弟と自然の中で。遊ぶのは自然の中でしかありませんでしたし、当初は家族だけでやっている旅館でしたので、皿洗いや弁当作りなどお手伝いすることも普通にでした。
高校で家を離れ、大分市内へ。大学進学を期に上京。
卒業後は東京に残りメーカーのシステムエンジニアとして10年ほど働きました。人が苦手でしたので、コンピューターが相手の仕事が自分には向いていると思っていましたし、故郷【くじゅう】にも【自然】にも全く関心はなく、東京で一生暮らすつもりでした。
エンジニアとしての仕事は順調でしたがある時ふと、会社が求める人物と自分自身に乖離があるように感じ、未来を描くことができなくなり、会社を辞め九州に戻ることを決意しました。その時もまだ「自然豊かなところで暮らしたい」と思ったわけはありませんでした。
会社を辞めて2年後、実家のホテルに就職。この仕事についてすぐの頃、「ここにいて何ができるだろう」と考え悩み、夢や希望を持てないまま、日々の仕事をこなすだけの時間・時期がありました。
しかし、戻って時間が経つにつれ、地域のいろいろな人たちと交流をするようになり、保護活動を日常の生活の一部としてごくごく当たり前に暮らしている地域の人や、自然保護に関わる仕事をしている人たちに出会い、お話しする機会を重ね
〇くじゅうという場所が素晴らしい場所である
〇ここで暮らすことが自然を守ることに繋がる
〇自然は手を加えなければ損なわれていく
ことを改めて知りました。
また、コロナ禍を経て気づいたことがあります。それは
人にとって自然は必要不可欠なものである
私たちの施設はこの自然があるからこそ成り立っている
ということでした。
人はどんなに便利な場所に住んでいても「自然と触れ合いたい」「自然の中に身を置きたい」と思う時があると思います。街中に住んでいればなおのこと。そして美しい自然の中に身を置けば誰にが「綺麗だ」「気持ち良い」と感じます。
その自然の中で「宿泊業」を営んでいる私たちは「宿泊業」を通してこの自然を未来に繋げていくことがミッションだと思いました。
こんな素晴らしい場所を知ってもらい、くじゅうが好きだという人だけに来てもらいたい。宿泊することで自然を五感をフルにつかって感じてもらいたい。もっともっと自然を楽しんでもらい興味・関心を持ってもらいたい。この自然を守るため地域の人々や関係者が、どのような取り組みをしているかをできるだけ多くの人たちに知ってもらいたい。そして最終的には「ともに自然を守る仲間」になってもらう。
人と自然の架け橋となり、自然と共生する持続可能な社会の実現を行うために「ホテル」ではなく「施設」として運営を行っていくことを目指そうと思い2018年代表取締役になり、ここを受け継ぎました。