はじめまして、ヒトカラメディア26卒新入社員のあんじゅです!
ヒトカラに興味のある方、海外に住みながら日本の企業にアプライしている方に向けて、私の就職活動中のこと、なぜヒトカラに入社を決めたのかお伝えできればと思います!
目次
プロフィール
就活 in Malaysia
自分とにらめっこ期
暗黒地獄期
プロフィール
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名前:羽生杏朱 (はぶあんじゅ)
出身:北海道倶知安町
大学:Monash University Malaysia (半年 University of Hawaii at Manoa)
ヒトカラメディアの自己紹介ページにも詳しく書いていますのでこちらもぜひチェックしてください!
就活 in Malaysia
就活スタート
私が本格的に就活を始めたのは、2024年の夏ごろだったかと思います・・・。
元々大学一年生からIT企業でマーケティングのインターンをしてたこともあり、常に就職については意識していましたが、「大学院進学」や「ワーホリ」などの選択肢を消すに消せず、就職活動は先延ばしにしていました。私の大学では、留学生は授業の出席率が80%を切るとビザの更新や手続きに支障が出るということもあり、課題や日々の授業にヒィヒィ言いながら就活をしていました。
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まず初めにやったことは、就活サイトへの登録。
これが結構大変でした。Indeedやタウンワーク、LinkedInしか知らなかったので、マイナビ、リクナビ、Wantedly、OpenWorkなど手当たり次第に登録して、メールボックスが爆発寸前になる日々を過ごしていました。あくまで入り口なので相性がよいサイトを見つけて絞るのもメンタル安定のためにおすすめです!海外大生だとビズリーチキャンパスやボスキャリ関連のサイトからも情報をゲットできると思います!海外在住の方で日本の電話番号がない方は、サイト登録時に本人確認ができない場合もあるのでお気をつけください!
その後、SNSの就活情報やサイトの記事などを見て、就活の軸を決めたり業界を絞ったりしていました。
最初の軸と見ていた業界は最終的には全く違うものになっていたので、自分で決めたことに縛られすぎず、フレキシブルに幅広く見ていくのが大事だと感じます。
そんな私の最初の就活軸:日本と世界の架け橋になれる仕事
留学生・海外志向の人あるあるのやつです。漠然と日本の良さや文化を世界にもっと広めていきたい!と感じていたんだと思います。
見ていた業界はアパレル・商社(繊維・本)でした。
理由は服、本が好きというだけで特にこだわりなく決めました。見様見真似でESや履歴書を書いてみたり、面接内容を調べたり、SPIって何?みたいな感じでしたが、大手のアパレル企業、商社、出版社などの説明会や1Dayインターンなどに積極的に参加していました。
コミュニケーションが好きな性格や海外大生という経歴的にも比較的相性は良かったと思いますが、なんか違うな、ここで長く楽しく働いてる想像ができないな〜という感覚がいつもありました。
自分とにらめっこ期
モヤモヤしていても変わらないので、一週間くらいとにかく自分と向き合って好きなもの嫌いなものから自分が将来歩みたい人生まで、とことん考えて紙に書き出す作業をしていました。本来なら最初にやるべきですが、思い悩んでいた時期にやって良かったと思います。
留学して人生が変わった!なんてよく耳にしますが、私は留学して人生が変わったからこそ変わらない部分がすごく濃くなっているような気がして、自分が変わらずに持っているもの・大切にしているものはなんだろう?と考え始めました。
そこから自分の生い立ちがどこにいても変わらない自分のコアという気づきを得ました。
今では世界有数のスキーリゾートの倶知安町で、温泉付きのホテルを営む家庭に生まれ育ちました。いわゆる裸の付き合いを幼い頃から近所のマダム達としていたり、常連のおじさんにジュース買ってもらったり、友達やいとこと露天風呂で雪だるまを作ったり、家族だけじゃなく街の人やお客さん、従業員の方にも育てていただいて大きくなりました。
その影響もあって、人と話すことが好きだったり、みんなが集まって和めるような居場所を作っている家族へのリスペクトが今の自分を作っているなと感じました。
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そこからコミュニティ・居場所を作るという仕事に興味を持ち始め、ディベロッパーやコミュニティ運営という分野で就活を再スタートしました。
当時の就活の軸
①人:ロールモデルにしたい人がいるかどうか
②自分の影響力やパワーを社会をより良くするために使えるか:常に良い影響を社会に与えようと考えたり行動できる会社かどうか
また、当時、マレーシアやハワイに住んでいる中で観光客と現地民の摩擦を経験したり、地元の発展がバブルで終わってほしくないという思いもあり、「持続可能なまちづくり」についても興味を持ち始めたので、「新しいものを作りながら文化継承すること」にも注力している企業を探していました。
暗黒地獄期
ハワイから帰国したタイミングで、ビザの更新で色々あって25卒に間に合わず、26卒として就活していました。周りの友達が大手外資系企業に内定が決まったり、やりたいことを見つけて進んでいる中で、私はまたスタートラインに戻っていました。就活の軸や業界が決まったのはいいものの、既にインターンや説明会の募集が終わりつつある時期だったので、焦って就活をしていました。
これまで以上に就活の早期化が問題視されている現代では、就活生の皆さんも焦ったり悩む時間もないほど忙しいかと思いますが、SNSで発信されている大体の就活情報は、焦らせるためのものだと就活中に出会った人事の方に教えていただいたので、時間をかけて自分の納得いく答えを見つけていってください。他人やSNSに人生の主導権を握らせない!と口に出してみましょう。そうすると下記の私のようにはならないと思います。
マレーシアにいると当然OB訪問などはできないですし(そもそも訪問するOBが日本にいない)、日本のように就活支援をしてくれるような部門もなく、手探りで就活していました。SNSでは、ここは勝ち組だの何だの言っているような就職先Tier表が流れてきて、その投稿の隙間には説明会の広告。大学の課題や週3日のインターンと並行して苦手なSPIの対策・ESや面接のブラッシュアップをして、日々疲弊していましたし、途中から「内定をもらって就活を終えること」が目標になっていました。日本に帰国していた時期もある企業の1Dayインターンにいく前に嘔吐したり、布団から出られなくなったり、就活浪人になるか迷った時や登録したサイトからメールやオファーが届くのが怖くてメールの確認をできない時もありました。
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(就活本コーナーで立ち尽くしていた日もありました。。。)
紆余曲折あり、飲食から宿泊施設まで幅広く「場の企画・運営」をされている企業から内定をいただき、就活を終えようと思っていましたが、病みながら、焦りながらした決断で本当にいいのか?と自問自答の日々でした。その企業のプロジェクトやカルチャーにも共感していたので、「ここもいいけど、やっぱり他の企業もみてみたい!」と思った矢先に、OpenWorkで一通のメッセージが届きました。
それが、ヒトカラメディアとの出会いでした。
今回は、ここまでです!次回の記事で、ヒトカラの選考フローや面接の様子について詳しくお話しさせていただければと思います!