こんにちは!Gunosy採用広報です。
今回は、1月に入社した緋田高大(あけだたかひろ)さんのインタビュー記事をお届けします。車椅子バスケットボールチーム「千葉ホークス」でプレーし、日本代表メンバーに選抜されている緋田さん。なぜIT業界に興味を持ち、Gunosyへの入社を決めたのか。その理由や今後の目標についてお話を伺いました。
―いくつかの会社からオファーがあったなかで、Gunosyを選んだのはどうしてですか?
僕が車椅子バスケに専念できる、一番素晴らしい環境を用意してくださったからです。2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、車椅子バスケの認知度もどんどん高まっていて、地方の小さい大会でも観にきてくださる方が増えています。車椅子バスケを知って、興味を持ってくださる方が多くなっているからこそ、ほんの一握りのトップアスリートだけじゃなく、僕みたいな若手選手にも期待を込めて、支援していただけるようになったのかな、と思っています。そういう意味で、今とても恵まれた状況を作ってもらっていますね。Gunosyとしては、僕が初めてのアスリート雇用なので、コミュニケーションをとりながら、より良い関係性を築いていきたいです。
―互いに手探りな面もあるかもしれませんが、会社に新しい風を吹かせてくれそうですね! ちなみに入社前、Gunosyにどんな印象を持っていましたか?
勢いがすごいな、と感じていました。Gunosyという会社に興味を持ってから、内定をもらうまでの間にも、会社がぐんぐん成長している印象を受けました。というのも、周りにGunosyの話をしていると、「あぁ、聞いたことある」「知ってる」といった反応だったのが、内定をもらう頃には「あのニュースアプリの!」とGunosyを知っていて、身の回りでも使っている人が明らかに増えていて。会社やサービスがすごいスピードで、世の中に浸透していってるんだなと驚きました。
―入社して1カ月弱経ちましたね。思い出に残っていることはありますか?
入社初日にランチ会を開いてもらったのは嬉しかったです。同じ大阪出身の人もいて、東京で関西弁を聞けて、少し心強く感じました(笑)。車椅子バスケに興味を持って、気さくに質問してくれる人もたくさんいましたね。
―まだ車椅子バスケを生観戦したことがない人に対して、その面白さをどういうふうに説明するんですか?
激しいぶつかり合いのスポーツなんです、と説明しています。試合中、車椅子のタイヤがどんどん消耗されて、体育館内にゴムの焦げたにおいが広がるんですよ。パンクしたり、衝突した末に壊れることもあったりします。
―普段の生活で使う車椅子ではなく、競技用に作られた頑丈な車椅子にもかかわらず、壊れることは珍しくないそうですね。
障害の重さや種類は選手によって違うので、みんな自分に合う車椅子に乗っています。ただ、体が大きく、重たい選手たちが座っていて、彼らが激しく衝突するので、フレームがバキッとなったり、タイヤをはめる軸が動かなくなったりすることもあるんです。ひどく壊れてしまうと修理にも時間がかかって大変です(笑)。
―学生時代までずっと地元の大阪で暮らしていて、今年から千葉へ引っ越してこられました。初めてのひとり暮らしはいかがですか?
料理に苦労しています。大阪では家族4人で暮らしていて、料理をしたことがなかったんです。父と「ある程度、料理勉強したほうがええんちゃう?」「そやな〜」みたいな会話をしてたんですが、結局何も勉強せず、一回も料理をしないまま千葉に来ちゃいました……。
―「初めてのひとり暮らしあるある」ですね(笑)。自炊してるんですか?
体のことを考えた食事をしたいので、スマホでレシピを見ながらなんとかやっています。最近はシチューや豚キムチを作りました! ただ、最初はレシピを見ても、食材の名前を知らなかったり、「大さじ1杯の大さじって何なん?」みたいに何もかもわからなかったです(笑)。
■Gunosyに載るような、活躍できる選手になりたい
―ここからは車椅子バスケのお話を詳しく伺っていきます。始めたきっかけは何だったんですか?
小学校低学年のとき、両親に車椅子スポーツの体験教室に連れていってもらったんです。バスケとマラソン、テニスがあって、一番楽しかったのがバスケでした。実際はマラソンの方で周りから期待されていたんですけど、僕としてはチームプレーが楽しいバスケに惹かれていましたね。遊びとしての感覚も面白くて。、マラソンは自分との戦い、という要素が大きいですが、バスケは常に目の前に“倒すべき相手”がいて、それが僕にとっては面白くてたまらなかったんですね。小学5年生からはバスケに専念するようになりました。
―約12年もの長い間、競技を続けてきて、気持ちの波や変化はありましたか?
中学のときは、周りの友だちが普通に遊んでいるのを見て、羨ましく感じたこともありました。車椅子バスケは楽しくて好きだけど、僕も遊びに行きたいな、って(笑)。向き合い方が変わったのは高校2、3年生のころ。男子U23の大会や合宿、日本代表の合宿に呼ばれるようになってから、車椅子バスケを本気でやっていくぞ、と自分のなかで気持ちが固まったんです。昔は単純に「勝った! やった! 嬉しい!」みたいな感覚でしたが、期待されたり、応援してくれる人たちが出てきたりしてからは、徐々に「勝たないといけない」と、代表に選ばれていることの重みや責任を感じるようになりました。
―勝つために、個人としてはどんな努力を重ねていますか?
トレーニングですね。「外国人選手と比べると、日本人選手は体が小さいぶん、技術で補って勝とう」と考える人もいますが、僕はそうは思っていません。技術でも体でも勝ちたいので。高校生のときにU23代表として参加した国際試合で、外国人選手と戦ったとき、完全に当たり負けしました。国内試合では社会人選手に勝つことも多かったのに、そこでは外国人選手のパワーや体の使い方のうまさに歯が立たなくて……。あまりにも悔しくて、それから筋トレを本気でやるようになりました。ずっと続けてきたおかげで、最近は外国人選手にもだいぶ通用するようになってきました。トレーニングで作った体は僕の武器のひとつになったと思っています。
―パワーのある強い体のほかに、緋田さんが武器だと思うものはなんですか?
ディフェンス力、でしょうか。車椅子バスケには、障害の重い人から軽い人まで一緒に試合できるようにする「持ち点制度」(*)というルールがあります。そのなかで僕は障害が一番重いクラスなので、シュートをバンバン決める、みたいな華のあるプレーはできません。障害が軽い選手にシュートを決めてもらえるよう、チャンスメイクをする役なんです。
―花形ではないかもしれないけれど、この人がいないとまわらない「縁の下の力持ち」といった役割なんですね。
車椅子バスケをあまり知らないと「目立たない選手だな」という印象を受けるかもしれませんが、シュートだけではなく、ディフェンスをする選手にも着目したり、障害の程度を示す「持ち点」にも目を配ったりすると、車椅子バスケ独自の面白さを感じられると思いますよ。
―緋田さんのディフェンス、この目で見てみたいです!
正直、障害が重い=プレーには不利です。でも、僕は誰でも止められる自信があります。自分の障害や自分が勝手に「壁」だと思い込んでいるものは、頭を使えば超えたり崩せたりできるんだよ、と自分のプレーを通じて証明したいです。ディフェンスで最も貢献できる選手、ディフェンスで試合の流れを変える選手を目指して、東京パラリンピックに向けてがんばっているので、ぜひ試合を観ていただきたいですね。さらにもっと活躍できる選手になって、グノシー内にデカデカとニュース配信されたいなと思っています。
(*)クラス分けをして各選手の障害の程度に応じた持ち点を決める制度。最も重いのは1.0で、0.5点刻みで上がっていき、最も軽いのは4.5。コートに立つ選手5人の持ち点の合計を14点以内にしないといけない、と定められています。障害の軽い選手だけでチーム編成はできず、選手交代の際も、入れ替えた後の合計が14点以下になる必要があります。
以上で、緋田さんのインタビューは終了です。次回の社員インタビューも、どうぞお楽しみに〜!