2022年に誕生した博報堂Gravityは、ファッション・ラグジュアリー・ライフスタイル領域のブランディングを得意とする広告会社です。博報堂グループ内にあった博報堂マグネットとコスモ・コミュニケーションズの2社が統合し、ノウハウ、スキルを融合することで、ブランド起点の統合コミュニケーションをワンストップかつ、高クオリティで提供しています。
そんな博報堂Gravityを支える社員へインタビューを実施。今回は、仲良し同期3人による、初の座談会です。お話を聞いたのは、2019年4月に旧コスモ・コミュニケーションズへ新卒入社した、現在コミュニケーションプランナーを務める宮瀨緑さんと、ビジネスプロデューサーの佐藤帆乃香さん、井上宏介さん。
新卒入社した3人に、大学時代のことや、入社の動機、大変だった時期など、丸5年を振り返ってもらいました。
▼プロフィール
宮瀨緑(みやせ・みどり) / 職種:コミュニケーションプランナー / 2019年4月 入社
旧コスモ・コミュニケーションズの新卒採用で入社。営業部門で活躍後、プランナー職に転向。旧博報堂マグネットのプランナーと早くから協働、経験を積み、現在はコミュニケーションプランナーに。
佐藤帆乃香(さとう・ほのか) / 職種:ビジネスプロデューサー / 2019年4月 入社
旧コスモ・コミュニケーションズの新卒採用で入社。入社直後から営業として急伸中のクライアントを担当。難易度の高いクライアントでの経験が長く、どんなクライアントにも対峙できるビジネスプロデューサーへ成長。
井上宏介(いのうえ・こうすけ) / 職種:ビジネスプロデューサー / 2019年4月 入社
旧コスモ・コミュニケーションズの新卒採用で入社。営業職としてキャリアを積む。同期新卒入社唯一の男性としてリードするだけでなく、社内でも周りを巻き込むムードメーカー的な存在に。
同期3人、入社の動機は?
───今回は初の座談会形式です。みなさんは、新卒同期入社なんですよね?
佐藤帆乃香(以下、佐藤):はい、そうです。
宮瀨緑(以下、宮瀨):みんな2019年入社ですね。
井上宏介(以下、井上):めっちゃ仲良いっす。
(左から、佐藤帆乃香、井上宏介、宮瀨緑)
───どんな学生でしたか。
井上:僕はバレーボールばかりしていましたね。小学生の頃に始めて以来、進学はいつもスポーツ推薦だったんです。練習に時間を使いたかったので、勉強はあまりしてこなくて……。5段階評定で「5」をもらえるように、80点とるための勉強だけして、「ここまでやったら80点とれるだろう」と思った時点で勉強をやめちゃうような学生でした。
佐藤:こんなこと言っていますけど、彼、ジュニアオリンピックや春高バレーにも出場したアスリートなんですよ。
井上:そういう帆乃香も学生時代は柔道やランニングとかしていたんでしょ。
佐藤:うん、今でも趣味で走ってるよ(笑)。
佐藤:私、周りの影響で、柔道以外にも小さいころから茶道、花道、書道など、「道」のつくものを複数やっているんです。高校の頃にはオーストラリア留学もしているので、学生時代から、漠然とですが日本や海外の文化に興味がありました。
───おふたりとも体育会系だったんですね。もしかして宮瀨さんも……?
宮瀨:いえ、私は違います。政治の勉強をしたかったので、法学部の政治学科に進みました。大学時代は所属していたサークルにコミットしていて、国際問題の現場へ視察に行き、雑誌やプロダクト、ドキュメンタリー作品を製作することで啓蒙する活動をしていました。
───それぞれ、なぜこの会社に就職しようと思われたんですか?
井上:僕は地方出身者なので、東京に残りたいという一心で、広告会社の仕事がどんなものなのか全然知らず、おしゃれなオフィスで働けるし、東京にあるからっていう理由で応募しました。結果として、いい会社だったからめちゃくちゃ運が良かったのですが、当時の自分には、「働く会社についてちゃんと調べろよ」って言いたいです……。
佐藤:そんな理由だったんだ(笑)。私は大学時代、大手スポーツブランドで学生トレーナーのインターンをしていたので、そのまま就職することも考えましたが、周りから会社員になるよう勧められまして。ゆくゆくはトレーナーになりたかったので、その業界のまわりにいたかったという思いがあったんです。
就職先を検討するなかで、当時、スポーツブランドのイベントを担当していたのがコスモだったので志望しました。スニーカーショップでのアルバイト経験があり、スポーツウエアやスニーカー、ギアのことなら詳しかったですし、自分の知識も活かせるかなと思ったんです。
緑ちゃんはファッションが好きで志望したんだよね?
宮瀨:そうだね。私はおしゃれ好きなおばあちゃんの影響で、幼い頃からファッションが大好きでした。でも、2013年にバングラディッシュの縫製工場で起きた崩落事故をきっかけに、ファッション業界をとりまく環境に疑問を抱くようになったんです。
宮瀨:サークル活動の一環で現地を視察し、児童労働の環境も目の当たりにしたので、日本に戻ってからは、事故についての啓発や、フェアトレードの考えを広める活動に力を入れました。国際問題は重く捉えられがちなので、バッグやポーチを作ってファッションに落とし込んだり、制作している雑誌の誌面でデザインを工夫したりして、シリアスになりすぎないように、表現に葛藤する経験をしました。
重く見られがちな課題も、クリエイティブを掛け合わせることで、世の中を変えていけるかもしれないと思うようになり、ファッションのクリエイティブに携われる仕事がしたいと考えました。
───ファッションのクリエイティブというと、真っ先にブランドが思い浮かびますが、会社はどう選びましたか?
宮瀨:「このブランドで働きたい」という決め手がなかったので、さまざまなブランドに関われる広告会社に的を絞ることにしました。そこで広告会社の先輩たちをOB訪問したところ、「ファッションをやりたいならその分野が得意な広告会社へ行った方がいい」とおすすめされたんです。同業他社もありましたが、コスモのCI(コーポレートアイデンティティ)をアンディ・ウォーホルが手がけていたのに惹かれて、決め手になりました。
私は好きなことや、面白いと思えることじゃないと続かないタイプなので、自分が一番いきたかった会社に就職して正解だったと思っています。
入社してからの日々
───最初はみなさん営業職についていますよね。入社してからはどのようにして配属が決まりましたか?
井上:希望をヒアリングされて配属が決まったと思います。入社してすぐに博報堂本社で研修があり、グループ会社の新卒の人たちと一緒に研修を受けたり、システムの使い方を学んだりしました。今はそうした研修もオンラインになっていると思うんですが。
佐藤:そのあとはゴールデンウィーク明けくらいから自分たちのオフィスに戻ったのかな? 1か月くらいは3人で研修を受けたよね。
井上:外苑前にあったオフィスの小さな部屋にずっと3人で一緒だったから、こんなに仲良くなった気がする。
宮瀨:そうそう。優しい先輩が覗きに来てくれて。めっちゃ楽しかったよね。
───みなさんの仲の良い空気感が伝わってきます。入社2年目にはコロナ禍になり、さらにそのあとは博報堂マグネットと統合するなど、転換期を経験された3人ですよね。
佐藤:そうですね。入社してすぐにコロナ禍になってしまい、仕事がリモートになって会えなくなったり、予算が縮小されたりして、ちょっと大変な時期でした。
井上:そのあと、2022年に会社が統合したから、激動の日々でした。統合したタイミングは、営業組織も大きく改変があったので、僕は営業としての環境が変わりました。それ以上に変わったのが緑だよね。
宮瀨:私はそのタイミングで営業職からプランナーになったのですが、転職まではいかないにしても、環境がガラリと変わりました。
───自ら希望してプランナー職になったのですか?
宮瀨:入社したときから、最初の数年は営業として働いて、その後プランナーをやりたいという話をしていたんです。本音を言うと、もう少し営業を経験したかったのですが、統合するタイミングでちょうど声がかかったので挑戦しました。
Gravityにはどんな人が向いている?
───みなさんどんなブランドを担当されているのでしょうか。
佐藤:私は入社したときからずっと担当しているシューズブランドがあります。Gravityになったタイミングで、スキンケアのブランドや、ファッションブランドもやるようになりました。
井上:僕は全部ファッションで、スーツブランドをはじめ、ハイブランドからカジュアルまで担当しています。
宮瀨:私が今担当しているのはコスメブランドが多くて、他にはスポーツ系ブランドとお酒ですね。
───あれ、宮瀨さんの入社の動機は、ファッションの仕事がしたいというお話でしたよね。
宮瀨:今はライフスタイルやビューティーのアカウントも大きくなっているので、その需要もあるのではないかと。ビューティーの文脈って、女性のエンパワーメントや、ジェンダーレスな美の価値観を提唱しているクライアントもあるで、そういうところでは共感しながら仕事が進められるのかなと思っています。
───井上さんは志望動機にファッション関連の仕事がしたいとは話していませんでしたが、担当しているクライアントはファッション系が多いんですね。
井上:高校生の頃はファッションに興味がなかったのですが、大学時代は好きな古着屋に入り浸っていましたね。今はもちろんファッションが好きだし、興味もあるんですけど、すごくブランドに詳しいわけではないです。
───Gravityのみなさんはファッションにとても詳しいのかと思っていたのですが、そうじゃなくても目指してもいいのでしょうか?
佐藤:もちろん詳しいに越したことはないですが、私もファッションに詳しいわけじゃなかったですし。でも、私は走るのが好きだったので、スニーカーやギアに興味があって、ユーザーとしての目線は人一倍持っていたと思います。
ジュエリーやウォッチ、スポーツ、コスメなど、どこかに特化したかたちでもいいと思いますし、生活者の目線を持っている人、もちろん広告業界に興味がある人でも目指してほしいと思います。
宮瀨:クライアントとお話しするとき、興味がないとそれが滲み出てしまうので、やるからにはそのジャンルに興味を持って、クライアントのことをクライアントと同じレベル、もしくはそれ以上に知っていることが大事ではないかと思っています。
それぞれの大変だった時期。どう乗り越えた?
───入社して6年目になるということですが、一番大変だった時期はありますか?
佐藤:5社くらい関わるような大きな案件を、初めて一人で任されたときですね……。大御所のクリエイターがたくさんいるなかで、経験の浅い自分が一番前に立つのは怖かったですし、板挟みになるような経験もしました。
でも、乗り越えられたことで自信に繋がりましたし、タフな案件を前にしても、「あれ以上に大変なことはないはず!」と思えるようになりました(笑)。助けてくれる先輩もいたので、今は私も大変な状況の人がいたときに必ず力になれる人でありたいと思っています。
宮瀨:はたから見ても、あれは大変そうだった……。私は2回ありましたね。1回目は、2年目か3年目くらいのとき。ある程度、仕事にも慣れたタイミングで、コロナ禍になり予算が縮小され、仕事がかなり限定的になってしまったとき、「自分の仕事の幅が広がっていないんじゃないかな」と思い悩んでしまうことがありました。
2回目に大変だった時期は、職種が変わったタイミングです。自分のスキルが追い付いていない状態で「プランナー」を名乗らなければいけなかったので、力不足を感じていました。
───大変だった状態から、それぞれどうやって抜け出したんですか?
宮瀨:1回目は、自分からアプローチしました。私のトレーナーだった先輩は、「自分で資料を作りたいです」とか、「こうしたいです」と言うと、挑戦させてくれる人だったんです。任せるところは任せて、その裏のコントロールはしてくださっていたので、ありがたかったです。
2回目の時期は、自分の力不足が原因なので、がむしゃらにやるのみでした。先輩から学んだり、フィードバックを受けたりしているうちに私一人で担当する案件も出てきて、自分のワークスができたことでちょっとずつ自信に繋がってきているかなと思います。
───井上さんは、大変だった時期はありますか?
井上:僕はほぼないんですが、しいて言うなら入社1年目のときですね。僕、大学を卒業して社会人になるまでパソコンを触ったことがなかったんですよ。だからパソコンは両手の人差し指で打っていたくらい。
佐藤:そうだったかも(笑)。
井上:今でもブラインドタッチできないし。
宮瀨:親指とか小指も使えなかったの?
井上:使えん。でも、この2本はめっちゃ早い(笑)。こんな調子だから、敬語もわからないし、「おつかれさまです」と「お世話になっております」の使い分けもわからなかったし。
今でこそ、こうやって素を出せていますけど、最初は気持ち悪いくらいに猫をかぶっていたんで、その状況はきつかったですね。自分自身の問題なんですが。
───いつから素が出せるようになったんですか。
井上:先輩の主催で、若手交流会を開いてくれたんですよ。それがきっかけで、「せっかく面白いんだから、それをみんなの前で出しなよ」って言ってもらえて。
宮瀨:そうなんだ。確かにそこからすごく仲良くなったもんね。
井上:会社でもその先輩がよく昼ご飯に誘ってくれたんです。今でこそ友達みたいに仲が良いんですけど、一生、頭が上がらないですね。あの人が積極的に声かけてくれなかったら、会社を辞めてたかもしれないです。……まぁ多分辞めてないと思うんですけど。
佐藤:辞めてたって……ちょっと盛りすぎるところがあるよね。
宮瀨:ずっと楽しそうだよね、井上くん。
井上:楽しいね。
前編はここまで。後編では、会社のカルチャーや制度、仕事を続けるモチベーションなどについて、話が展開していきます。【後編】へ続く。