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【社長インタビュー】メンバーに背中を見せながら前に進む!Z世代女子向け事業の創業秘話!

こんにちは!株式会社ジェネリー(兼 Lafary編集部)の採用広報の中原です!

今回は社長インタビューとして、代表取締役CEOの榊原洵社長にお話を伺いました。
起業の経緯からスタッフとの関わり方まで、様々なことを詳しく聞きましたのでぜひ最後までお読みください!

▼過去のインタビューはこちら

【社員インタビュー第1弾】「やりたい仕事」のために転職!かわいい商品を生み出すチーフデザイナー! | 株式会社ジェネリー (wantedly.com)
【内定者インタビュー】インターンからの社員登用!理系女子大生がアパレルD2Cを新卒で選んだ理由とは? | 株式会社ジェネリー (wantedly.com)


ー榊原社長、本日はよろしくお願いします。まず自己紹介をお願いします。

株式会社ジェネリーの代表取締役CEO、榊原洵です。
本日はインタビューよろしくお願いします!

ー最初に、これまでの経歴を教えていただけますか?

特待生で大学を卒業後、大手メイド喫茶運営企業へ就職。大学在学中から新店舗立ち上げメンバーに抜擢され、入社後は採用からPL管理までマネジメントを行いました。
退職後、2014年10月に株式会社ジェネリーを設立。メイド喫茶就業時より構想があったラファリー事業の立ち上げを実現。D2C事業への本格着手後、SHIBUYA109渋谷店へ店舗出店し、臨時店舗など含め全国で店舗展開を実施に至っています。現在はインフルエンサー事業の事業責任者も兼務しています。

ー現在のジェネリーの事業について簡単に教えてください。

ジェネリーでは主にEC事業、店舗事業、広告代理事業を行っています。”ときめきを届けるかわいいの教科書”をキャッチコピーに、Z世代の女性に向けたブランド「Lafary」をメインとし、カルチャーを知り尽くした運営チームで、WEBサイト制作 / サービス開発 / コンテンツ制作 / 販路開拓 / 販促プロモーションなどのプロジェクト開発を手掛けています。
新規事業としてインフルエンサーのマネジメント事業を行うなど、常に新たなことへの挑戦もしています。

ー起業を志した経緯を教えてください。

祖父が自営業者だったため、幼少期からサラリーマンとして働くよりも自分で大きな環境を作っていきたいとぼんやり考えていました。高校から大学進学を決める際に学費や奨学金の高さに絶望し、これは一撃当てないとと思い、受験後には経営者になるための本を沢山読んだりしていて。大学ではエンジニアになってお金持ちになろうかなと情報学部に通っていましたがそれもあまり面白いと思えなくて、じゃあ将来目指したいのって何なんだろうと考えていた時に、母から「中学生の頃からずっと経営者になりたいって言っていた」と助言され起業を目指すことを決めました。

ーなぜ若い女性向けの事業を選んだのでしょうか?

元からアニメや漫画・ゲームが好きで、日本のサブカルチャーに携わる仕事がしたいと考えていました。就職先にメイド喫茶運営を選んだのもそれが理由です。
メイド喫茶の運営として多くの女の子と関わる中で、自分の常識と女の子たちの常識にギャップがあることに気がついたんです。面白いなと興味を持ったと同時に、それをビジネスとして成り立たせている会社はないなと。当時は女の子たちの間でゆめかわが流行していたので、ゆめかわを対象にしたウェブメディアから事業をスタートさせました。

ーメイド喫茶運営では大学在学中から新店舗立ち上げメンバーに抜擢されたとお伺いしましたが、具体的に取り組んだことを教えていただけますでしょうか?

実は就活の面接時から、社長に直接「名古屋で店舗を立ち上げたい」と伝えていました。その社長は新卒や若い世代の意見を尊重してくださる方で、良いものは採用するからと内定者6人でプレゼン大会が開催されました。結果的に優勝することができ、大学在学中から物件を探したり時にはテレビ取材を受けるなど、新店舗の立ち上げに尽力しました。
そのため店舗立ち上げが主な業務でしたが、他にも様々な経験をしました。それこそ、秋葉原の既存店でオムライスやうさちゃんパフェを作ったり。出来上がった環境の中で、10日間で店舗の全てを理解して覚えなければいけなかったため、当時はかなり苦労しました。

ーメイド喫茶運営にて働いた中で、現在の業務に生きている経験はありますか?

特に店舗事業の経験が生きています。ジェネリーで初めて常設店を出店したのは2021年3月でしたが、当時従業員には店舗経験者はほとんどいなかったんです。しかし、メイド喫茶での店舗運営の経験から、予算計画やマニュアルを上手く作ることができ、それが店舗事業の成功にも繋がりました。
大学で情報学部だったことからプログラミングや情報分析なども得意だったため、広告事業やBtoBの事業以外は取り組む前からイメージが付いていたという形になります。

▼今年8月にオープンした梅田店の様子。現在はSHIBUYA109渋谷とHEP FIVE梅田に常設店舗を展開しています。


ーそうだったのですね。ウェブメディアから事業がスタートしたとのことですが、軌道に乗ったのはいつ頃だったのでしょうか?

正直、メディアの調子がいいことは一回もなかったです。当時はウェルク事件があってメディアのあり方が問われていた時期で、いい加減なことはできないと一つ一つに多くの工数をかけていて。メディアだけではやっていけない状況になり、メディアをやりたくて集まっていたメンバーの多くが辞めてしまうこともありました。

ーその状況を乗り越えたきっかけは何だったのでしょうか?

当時大学1年生だったインターンのメンバーが一人でSNSを伸ばしてくれたことです。同時期に、友人からEC事業参入へのアドバイスをもらったことも回復へのきっかけになりました。
EC事業を立ち上げ、毎日「いくら稼がないと家に帰れない」など自分でルールを決め、稼ぐための努力を続けました。丁度流行り病と時期が被ったことで、ECの需要が増え売上が伸びるようになりました。その頃からは月100万円ほど稼げるようになり、メンバーと喜んでいた記憶があります。
ECの伸び悩みを感じ始めた頃にSHIBUYA109から声をかけて頂き店舗事業に着手。今では全体的に安定した運用ができています。

ー現在はどのような形でメンバーと関わっているのでしょうか?

自分の仕事は働くメンバーの才能・個性を開花させて導くことだと思っています。そのため、細かい何かを決定するというよりも経営者としての仕事をメインにしています。主力メンバーのサポートをしながら、手が回っていない部分に取り組んでいる感じです。
段ボールにモノを詰めたり、みんなの環境のために働くことも多いです。経営者である自分が一番努力していないと人はついてこないし、会社の向かう方向が一致しません。マラソントレーナーのように、メンバーに背中を見せながら前に進むことを意識しています。

▲毎年誕生日には富士山に挑むという榊原社長。

ージェネリーで働く人に求めることを教えてください。

可能性がある人と一緒に働きたいです。オール4でそこそこ優秀な人よりも、どれかが5でどれかが1のような、個性的だけど世の中からは認められない人など、個性のある人が集まると良いですね。
また、ジェネリー・Lafaryが好きな人よりも、将来こうなりたいという理想像がある人の方が向いていると思います。元々メイン事業だったウェブメディアが今メインではないように、今取り組んでいる事業もいつかはなくなるかもしれません。その時々に合わせて、新しいことに挑戦できる人と高め合っていきたいです。私も、メンバーが個性を生かして様々なことに挑戦していける環境を作っていきます。

ー最後に、応募を考えている人に伝えたいことを教えてください。

Lafaryというブランドはゆめかわから量産型・地雷系と時代の変化とともに変わってきました。私は10年前から、女の子の”かわいい”が世の中の価値観を決めると考えていて、かわいい文化はこれからも形を変えながら続いていくと思っています。これからはその時々のカルチャーに合わせた事業を行うだけではなく、カルチャーを作っていけるような会社にしていきます。
ジェネリーは個性のある人が個性を生かせる会社を目指していきます。共に面白いことをやっていける仲間が増えることが、何よりの喜びです。

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