みなさんこんにちは!
「驚きと感動を作る制作会社」ジーアングルの広報担当、柴藤です。
今回は、ジーアングルという制作会社がどのように生まれ、どんな想いとともに成長してきたのか。
ジーアングル創立者の髙橋(代表取締役社長)と寺田(副社長)の二人へのインタビューを通して、会社のルーツから今後の展望までお伝えしていきます!
目次
■ふたりの出会いからジーアングルが出来るまで
■ある一言で広がったクリエイティブコンテンツ
■今までを振り返ってみて
■ジーアングルが目指す未来
■「ダントツ」であるという言葉に込められた想い
代表取締役社長 髙橋 一誠(タカハシ カズマサ)
取締役副社長 寺田 権太( テラダ ゴンタ)
【ジーアングルについて】
2002年3月 大田区・蒲田で起業
2012年6月 本社オフィスを恵比寿に移転
当時は、主に着信メロディの制作とデータ配信を主にした、音楽専門の制作会社でした。
その後、スマートフォンの普及をきっかけに、モバイル業界の変化を最前線で捉え、サウンド制作の他にもボイス収録、映像やイラスト、3DCG、アニメとどんどん横に広がり、集まるクリエイターも多岐にわたるようになりました。
現在では、札幌・福岡・フィリピンのセブ島の現地採用スタッフを含め、100名を超える クリエイティブチームに進化したのがジーアングルの概要となります。
■ふたりの出会いからジーアングルが出来るまで
――ふたりの出会いのきっかけは?
髙橋:中学のときから一緒で、まず同じバレーボール部だったんです。
1年のときは、帰る方向が同じでたまに一緒に帰っていて。
よく遊ぶようになったのは中3からかな。
当時は僕と寺田さん、身長が5ミリしか違わなかったんです!
いつの間にか寺田さんがどんどん伸びていって。牛乳嫌いなのに。。(笑)
▲中学時代の2人(左:寺田、右:髙橋)
――中学のときから仲が良かったんですね!
でもまさか一緒に会社を立ち上げることになるとは……
髙橋:もちろんこの頃は考えてなかったですね。
寺田さんとここまでの関係になったきっかけは、中2の時に一緒にバンドをはじめた事ですかね。
僕が鍵盤で、寺田さんがドラムで。
寺田:そうだね。それがなかったらこんなに長く付き合うことはなかったかなと思います。
――バンドも一緒でさらに専門学校も一緒のおふたり。なかなか歴史が深そうですね!
髙橋:そうですね。全部喋ってたら軽く2時間以上はかかります(笑)
寺田さんは、ずっとプレイヤー(プロドラマー)として活動していて、僕は、アレンジャーとしてプレイヤーから制作の方向へ進みました!
音楽では打ち込みというのですが、音楽を作るDTMのほうを評価していただけるようになり、それからカラオケや、着メロを耳コピして作るお仕事がどんどん増えていったんです。
そのお仕事を沢山いただけていたので、その時から寺田さんにも手伝ってもらっていました。
個人で受けるにしては金額が大きすぎるというタイミングになった時に、会社にしようかなってなったんですけど、最初、寺田さんは「ほーん」って感じで(笑)
寺田:そうそう(笑)
僕もプレイヤーをやりながら、趣味を含めてDTMもやっていたんです。
着メロ時代は、一気にあちこち色んな着メロサイトができて、「着メロ作れる人大募集!」みたいな時代だったから、そういうお仕事が半端なくありました。なのでしばらくは、ある程度チームを抱えてやっていたんです。
夜中に電話があったのを覚えてるんですけど、「会社としてやっていこうと思うけどどう?」って言われて、「いいけどよくわからんで!やるけど!」みたいな、その時点ではそういう返事をしてました(笑)
僕はやってること自体はあまり変わらないから、だったらいいよみたいな感じで。
でも実は、そのときから社長には野望があったんじゃないかなって思います。どうせやるからには……ってね。
髙橋:設立した当時は、既に着メロ制作の同業他社さんが約600社あったんですよね。
最後発の部類で法人化したので、600社のなかで日本一の制作会社になるためには、とにかく良いものを作るしかないって思っていたんです。
そこは今でも変わらないですけど。
まずは、クオリティ重視で自分たちが良いものを作っていれば買ってくれるだろうっていう考えで。お客様がどうみるかってところまでは当時はまだあまり頭が回らなかったんですけど。
4年目くらいだったかな。
着メロ制作のシェアがナンバーワンになりました。
■ある一言で広がったクリエイティブコンテンツ
――4年目でシェアナンバーワン……!更にそこからスマートフォンの普及をきっかけに、色々な制作コンテンツが増えていったんですよね。
髙橋:そうなんです。
まずイラストを始めたきっかけは、当時、僕が営業もやっていたのを寺田さんに引き継いだあと。
着メロで取引のあった、とある大きい会社さんのところに行って「ジーアングルさんってイラストも描けますか?」って聞かれたときに「描けます。やります!」って言って帰ってきたんですよ!
当時、描ける人なんて誰もいなかったのに。。(笑)
それから必死で知り合いをたどって協力者を募って。
それで一発目でとても大きな実績ができたので、その後は営業的にはかなりスムーズでした。
寺田:思わず「やります!」って言っちゃったけど、なんか出来そうな気がしたんです。
髙橋:もし出来なかったら大きく信用を失うので、会社ごとなくなってたかもしれないです(汗)
でも、みんなで頑張ってやりきって大きな実績になったので、寺田さんのその一言でだいぶ世界も広がったと思います。
寺田:まぁ実際、そのあとも結構無謀に営業していました。
意外とやれるんじゃないかって、いい意味で勘違いしてたので、手ぶらで営業にいくわけですよ。
「うちイラストも描けます!」って言ったら、「ではポートフォリオみせていただけますか?」って。
「わかりました、じゃあ次はポートフォリオを持ってきます。」って会社に帰ってから、「やばい。ポートフォリオっていうのがないと営業できないらしぞ!」って。(笑)
髙橋:ははは(笑)
寺田:でもそうやって、わからないからこそ体当たりが出来たんだと思います。わかってたら逆にできなかったですね、あんなこと。
髙橋:そうですね(笑)
寺田:大きな実績もできたし、あとはやる気さえあれば出来るんだみたいな感覚で仕事をしていて。
あとは何より、おもてなしを強化していった点がかなり大きかったと思います。
当時僕らも若かったので、結構なんでもがむしゃらにやっていたというか。そういう活気が一つになって、いい方向にいくぞ!っていう雰囲気で邁進出来ていたと思います。
■今までを振り返ってみて
――先日、ジーアングルは創立23周年が立ちましたが、この23年を振り返ってみてどうですか?
髙橋:長くもあり短くもあるけど、今の感覚としては一瞬だった気がします。寺田さんとずっとやってきているので、感覚的には当時と変わらずまだ32歳です(笑)
寺田:さすがに僕はもうそんな感じはしないですけど(笑)
でもそっか、そう考えると若かったですね。
髙橋:年齢を振り返るとびっくりするけど、気持ちは30代のままですね。たぶんこの先もずっと(笑)
もちろん経験は山ほどさせて頂いているけど、歳くったなぁみたいな感覚は全くないです。
寺田:普段は全然意識してなかったけど、改めて頭のなかで巻き戻してみると、だいぶ巻き戻し時間が長いなって感覚はあります。
髙橋:当時は、今より視野はだいぶ狭かったかと思います。
寺田:良くも悪くもそうでしたね。
20年以上かけて、色んな出会いやきっかけがあって、それが全部繋がったからこそ、今、色んな事をやってる会社になれた気がします。
改めて、恵比寿にこんなに綺麗で素敵なオフィスや、自社スタジオがあるのもいいなぁって、感じています。
こんな感動的な絵を当時は想像してなかったので、その「変化」は凄いなと。
髙橋:確かにこの変化には驚きますね。
最初のオフィスは、10坪8万円のオフィスでした。
そこに10人以上詰め込んで。ご飯を食べるときは床に座って、激安のお店で大量に買ってきた50円のカップラーメンをみんなで食べたりしてました(笑)
寺田:そういえば、さっき社長の若い時の写真みたけど、全然違うじゃんって思って(笑)それも改めてみたら変化ですね。だいぶ変わったんだぁって。
髙橋:ははは(笑)
▲2006年頃の髙橋
▲2012年本社オフィスを恵比寿に移転した当時の2人(左:寺田、右:髙橋)
■ジーアングルが目指す未来
――何か今後の展望があれば教えてください!
髙橋:そうですね。誰もが知っている制作会社で、ものづくりを目指す人たち、クリエイターさんたちが「ジーアングルに入りたい!」と思ってくれる会社にしたいです。
寺田:10人、50人、100人と同じ志をもつ仲間がだんだん増えてきて下さっていますので、数字上では、次は300名で100億の会社を目指していきたいです。
日本一の制作会社っていうのを掲げているけど、いろんな角度がありますからね。
「まずはジーアングルに応募してみよう!」とか、信頼や憧れなどが詰まって筆頭に話題に出てくることとか。
あとはもちろん、今まで以上にもっとしっかり稼げる会社になりたいというのが一つの目標としてありますね。
稼げるっていうのは単純に昔みたいに、とにかくガンガン作っていくような泥臭い感じとかではなくて、ちゃんと価値ある仕事をしてきちっと利益を得られる会社。
ここ最近では、オンラインで繋がりやすくなったというのもあり、世界中のお客様からのオファーも少しずつ増えていってます。
なので、日本に限らず世界中でも有名になりたいなと思っています。
海外のクリエイターさんたちからも、ジーアングルで働きたい!ともっと思ってもらえるような会社にしていきたいです。
■「ダントツ」であるという言葉に込められた想い
――これから入ってくる未来の社員さんも含め、今の社員さんたちへ、メッセージをお願いします!
髙橋:まずは何かひとつ「ダントツ」であってほしいです。
これだけは誰にも負けない!というものがある人は、強いです!
それが作品であっても、経理や挨拶や笑顔などであってもです。
「あの人にはかなわない」と思われる程の笑顔って充分凄いですからね。
そして「信用」と「信頼」って言葉ですかね。
「この人に任せておけば大丈夫」ってとても大切だと思うんです。
信用を得るためには、ダントツであることに紐づくと思います。
僕と寺田さんは意見が全然違うこともあるんです。
でも僕はどっちも正解だと思っています。
もしかしたら、そこに正解や不正解があるかもしれなかったとしても、彼に対しての信頼が厚いから、全く反対の意見だったとしても否定は絶対しません。
互いの信頼が持てなかったら、つまらないことにも時間を使わなきゃいけなくなりますど、しっかりした信頼が持てる人物であれば「あの人の言うことならそれも正解かも」って全てがスムーズにいくと思うんです。
僕らの会議は変な根回しのような無駄な時間は全くありません。
あ、無駄話はいっぱいしますよ(笑)
どんなことでも何かひとつダントツであれば、そこに対しての信用、信頼を勝ち取れます。
そういう人物、社員さんになっていただきたいです。
寺田:そうですね。みんな信頼しあって建設的な考えと心の平和を保ちながら、仕事をすればいい仕事ができるって思っています。
あとは、ただただ良いものを作るぞ!と、独りよがりのほうに走らないように、このお客様に何をしたら喜んでもらえるかを常に想像しながら仕事をする。
実際、社員さんのなかでも、お客様にものすごく喜んでもらっている人がいると、だったら他のお仕事もこの方にお願いしたいなってなると思うんですよね。
そういう社員さんは僕らの誇りですし、それが今の僕らのものづくりの原点。
おもてなしもその一環で、どうやったら相手がより良い気持ちになってくれるかを考えて動くことは、全く一緒だなと思っていて。
小さなことでも常に"驚きと感動"を自分から発信、提案できる人でいてほしいなって思います。
それを後世にずっと伝えて、常にあそこいったらなんか面白いよね、いつもちゃんとこっちをみてくれているよね、みたいな事が出来る会社、社員さんであってほしいなって思います。
髙橋:無謀無策にこれやれます!とはなかなか言えないと思いますけど、「挑戦なき所に発展はない」ので、ダントツのちからを身につけて、ぜひ寺田さんのように「やります!」って色々チャレンジしてほしいなと思っています。