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この仕事をしている理由

先日、ブックマークしてくれた◯◯さんへ、の続きで書きたかったこと。それはつまるところ、どうしてこの仕事をやっているのか、ということでした。弊社のミッションは「はたらく笑顔があふれる世界をつくる」ということです。どうしてそうなったのか、今日はそのことを書いておきたいと思います。

自分で立ち上げた事務所をパートナーに譲るきっかけになったのは、田舎へのIターン移住でした。移住先は名古屋の都心までならギリギリ通勤圏にある標高400mの山の中。田畑や炭焼き窯が点在し、ムササビや鹿やイノシシやリスやうさぎの数が人間よりもずっと多い里山です。弁理士の仕事をしながらそんな里山で自給的な暮らしを営むようになって、いろんな出会いを通じてコミュニティに関心を持つようになり、ひょんなことから身近なダム問題にも関心を持つようになりました。

よくある話ですが、コミュニティとほぼ無縁に育った私は、30歳にして、近所のおばあちゃん、おじいちゃんを始め、田舎の人たちのおおらかな優しさに大変な感銘を受け、コミュニティの大切さを知ることになります。そして当時、ある哲学者の著書をインデックスのようにして社会科学系の本を読み漁っていたので、大切さだけでなく、近代社会の中でコミュニティが壊れていく必然的な仕組みについても知るようになります。一方、ひょんなことから関わりを持つことになったダム問題では、水没予定地の方々からお話を聞き、環境問題についての本を読み漁り、いろんな団体の方と交流し、たどり着いたのが、またもコミュニティとコミュニティが壊れていく仕組みでした。

コミュニティが大切なのは、機能的に必要だというだけでなく、人間を人間ならしめている不可欠なものだからです。

それなのに、近代社会にあっては、そのコミュニティは淘汰される運命にあります。なぜならば。。。きちんと書くとどんどん長くなってしまうので、詳しくはカール・ポランニーなどを参照していただくとして、つまるところ、市場経済システムは、コミュニティが個人に分断されれればされるほどうまく機能するということと、現状の金融システムは成長が止まってしまうと障害が起きるシステムなので市場経済の拡大を止めるわけにはいかないということなのだと思います。

元来、仕事はコミュニティと共にありました。おそらく時間を遡れば、ある時点で、わずかな例外を除くすべての仕事がコミュニティの内部にあった、ということになると思います。しかし、現代でコミュニティと密接不可分の仕事がいったいどれだけあるでしょうか?今まさにこの時間、パソコンの画面を通して全世界市場を相手に誰の顔も見ることなく仕事をしている人もたくさんいるでしょう。全世界の人を相手に誰の顔も見ることなく仕事ができるのが現代社会。生産性は確かに高いのですが、そういう仕事にやりがいを見いだせなくなったり、心を病んでしまう人もあとを絶ちませんし、消費者に「最高にウケる」サービスが世界を席巻してしまうことによる弊害もあちこちで起きています。

働くことも、コミュニティも、豊かな人生には欠かせないもののはずなのに、現代社会では働くことがつまらなくなり、コミュニティは衰退する一方です。もちろん日本全国に、働くことを面白くしようとか、コミュニティを再生しようとか、そういう取り組みがあり、成果をあげているところもあるでしょう。だけれども、現状の経済システムをそのままにして、その経済システムの上で何をやったとしても、人間社会自体がそのシステムに埋め込まれてしまっている以上、成果は散発的で焼け石に水、私にはそう思えてなりませんでした。

現代社会で起きている様々な問題。格差、コミュニティ、紛争、環境、人権。それらを掘り下げていくと、同じ原因にたどり着くように思いますが、たとえその原因にたどり着いたとしても、根が深すぎて手がつけられない。だから今ある表層課題をなんとかしようと。それが普通のやり方だと思いますし、ある意味、賢明だと思います。でも、たとえ今目の前にある問題が一時的に改善したとしても、構造的にそれがまた生じてしまうのであれば、やはり結局のところ根源的問題をなんとかしなければならないのではないのでしょうか。

そうして始まったのがおむすび通貨だったわけです。ただ誤解されると困るのですが、根源的問題を背負って、日本全体あるいは人類の課題全部を背負ってやる、なんてことは微塵も考えたことはなく、ただ後先考えず、そうしなければよくならないならとりあえずそうしようよと、始めた時はただそれだけでしたし、今もそうです。自分としては「そうしなければよくならないならとりあえずそうしようよ」と、ただそれだけだったのですが、周りの人からはなかなか理解されませんでしたし、自分としてはどうしてみんなそうしないのかが理解できませんでした。

ただ、おむすび通貨やこども夢の商店街で、いったい何が解決できているんだと言えば、全然何も解決できていないわけです。それでも一つ言えることは、こども夢の商店街とおむすび通貨は、その根源的問題にまっすぐ向かっている、そういう確信だけはあります、ということです。こども夢の商店街を通じて、子供達は金銭対価だけではない働く喜びを知り、お米にしかならないおむすび通貨をお金として受け取る大人の事業所が増えています。その先、その蓄積の上にあるのは、ボーダレスなローカルマネーの電子決済システムであり、自然資本本位のお金であり、経済拡大を必要としないコミュニティ金融システムです。

今、こども夢の商店街で本当にイキイキと働いている子供達が、大人になった時に、今よりも働くことを楽しめる世の中にしたい。もしそうでなければ、こども夢の商店街はファンタジーにすぎません。

私が追い求めているのは、ファンタジーという夢ではなく、希望という夢なのです。

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