女性にとって、花束はpricelessですよね?
僕たち夫婦は今年結婚30周年を迎えました。今日は何の日か知ってる?といわれたことも何度かあるほどに、僕は結婚記念日に無頓着なのですが、30周年ということで、2人の子どもがちゃんと成人して、この先30年くらいの2人の時間を考えたりと、僕自身ちょっと感慨深いところもあり、今年はちゃんと準備しました。
メインイベントは、2人の共通の趣味である森作りの参考にするための軽井沢旅行でした。せっかくの30周年なので何かちょっとサプライズがあるといいなと思って、若い女性スタッフにアドバイスを求めたところ、「花束とかうれしいと思いますよ」ということでした。
なるほど花束ね。で、僕は聞きました。
「それって、花屋で買ったものでいいの?」って
そしたらその子は「なんで大さんがそこらへんでつんだ花なんですか?そんなのありえないじゃないですか!」っていいました。
「ふーん。」
僕は心のなかで思いました。
「金出せばいいんだ。変なの。ま、その方が簡単だからいいけど。」
僕が女性だったら、自分の好きそうな花を考えながら野山を歩いて、ひとつひとつ花を摘んで、それを花束にして渡してくれるなんて、考えるだけでも素敵だなと思うんですけど、みんなそうなんじゃないんですか?
いや、絶対そうでしょ?
いや、ホントはきっとそうなんです。
でも、この資本制市場経済システムにどっぷりつかってしまった女性たちも、ついうっかり、貨幣量で表された価値にとらわれてしまい、本当の価値を見過ごしてしまうんです。そう、花屋で買う花束には価格がついているから価格相当の価値があるけれど、相手に思いを馳せながら花を摘むのにお金はかからないから無価値だと。
こうして女性に限らず、ほぼ全人類が資本制市場経済システムにとらわれてしまっていて、本当の価値を見失ってしまっているがために、人間関係はどんどんめんどくさく希薄なものになるし、氷河も崩落するんです。そして2070年頃には、もう暑すぎて完全空調管理された地下住宅が人気になったり、昆虫とかをぐちゃぐちゃに加工した食べ物が中流家庭の標準タンパク源になって、火星でのレアアースとかの採掘を競ってロボット戦争が行われるようになって、そのとばっちりを心優しい人たちがこうむって泣くんです。きっと。
多くの人が価値だと認識しているのは「交換価値」つまり市場でいくらで売れるかという価値であって、「使用価値」つまり僕たち「ひとりひとり」にとっての機能的な効用でも情緒的な効用でもないんです。僕たちひとりひとりの幸せというのは、ひとりひとり違う環境とか感性とかによって異なるひとりひとりの機能的な効用とか情緒的な効用によって構成されています。
でも交換価値つまりモノの値段というのは市場で均衡した価値でしかないので、交換価値の総和は決してひとりひとりの使用価値の総和ではないのです。それにそもそも、市場で売り買いされない価値、たとえば家事労働とかには価格はついていないから交換価値の総和の中に含まれていませんし、そもそも商品として生産されたものではないモノ、たとえば空気とか水とか土地とか魚とかにはもともと価格はついていないのでこれらを含めた使用価値の総和を市場経済システムで計量することは不可能なんです。このことは経済学の基本中の基本ですが、政治家も経済学者も猫も杓子も、市場価値のことしか考えていないというのは一体全体世の中どこまで狂ってしまっているんだろう、狂ったまま人類は滅亡しちゃうんだろうなと、僕は毎日ひとり気が晴れないのです。
かといって不平不満の人生を送るのはいやなので、せめて僕自身が希望のもてることをしようと思ってはじまったのが米本位制の「おむすび通貨」でありどこまでも自由な「こども夢の商店街」です。
こども夢の商店街ははからずも全国に広がって、それにともなっておむすび通貨も広がってはいるものの、しょせんは年間数億円の社会的インパクトをもたらす程度の取り組みで、人類を覚醒させるようなものじゃないです。だからそれだけで終わる未来が確定してしまったなら、僕の気が晴れることはもうなくなるのですが、いよいよ氷河も崩落するし、トランプもプーチンもいなくならないし、メディアもぜんぜんどうでもいいことばかり報道しているので、だんだん憂鬱になっています。
でも一方で、おむすび通貨をもっと本質的にして電子マネーにしたエフマネーならもしかしたらもしかするという希望を持って、このエフマネーをいっしょに立ち上げて世界的にスケールさせてくれるバディの登場を心待ちにしている結婚30周年の今日このごろ。
ということで、pricelessな花束の価値をわかってくれる本物のバディの登場を心待ちにしているというストーリーを最後まで読んでいただき、ありがとうございました!