WEBや人材、海外医療、M&Aなど多角的に事業を展開する株式会社DYM。
創業から22年経つ現在まで、GoogleやYahoo!、Meta、Indeedなどからもその実力を認められ、右肩上がりに急成長を遂げてきました。
今回の記事は、そんな当社の代表取締役を務める水谷に設立の経緯や事業内容、そして今後の展望について聞いてみました。
プロフィール
水谷 佑毅(みずたに ゆうき)
株式会社DYM 代表取締役
1980年 東京都生まれ。私立武蔵高校卒業後、杏林大学医学部医学科入学。
2003年 有限会社DYMを設立。
2007年 私立杏林大学医学部医学科を卒業。医師免許を取得したものの、医療現場のIT化が著しく遅れている現状を打開すべく、経営者としての道を選ぶ。
2007年 株式会社DYMに名称変更。
2017年 医療法人社団MYメディカル 理事長就任。
医師を志していた水谷が、DYMを創業するまで
ーー水谷代表がDYMを創業された経緯を教えてください。
水谷佑毅社長:創業当時、私は医師を志していたので私大の医学部に在籍していました。
しかし医学部は学費が非常に高かったので、高校時代まで親から貰えていた小遣いが廃止されてしまったんです。飲み会や旅行など大学生活をそれなりに楽しむためにはお金が必要だったので、そこは自分で稼ごうと考えました。医学部生は多忙なので、時給1万円くらいの効率性を求めないと十分に必要な金額を稼げないと気づいたものの、誰かに雇われている状態では到底無理だと思いました。
そして、自分ひとりで仕事をしようと思ったのが最初のきっかけです。
当時はiモードというサービスがリリースされた頃で、今までパソコンでしかできなかったインターネットが携帯電話でもできるようになっていました。そこで待受画像をダウンロード出来るサイトや無料HPスペース等をつくって運営し、純広告の広告料で収入を得たところ、週1、2日の作業で年収4000万円を超えたんです。それが大学1年のときでした。
個人事業主として携わっていましたが大学3年の時に法人化し、医学部の水谷佑毅ということで「Dr. Yuki Mizutani」の略で『DYM』という名称にしました。その時点ではまだ医者になるつもりでしたが、いろいろな研修や実習、視察で病院を回っているうちに、医療現場のIT化が著しく遅れていることに気づき、それなら自分がひとりの医師として働くよりも、医療現場のIT化を進めるような会社をつくったほうが、医師何千人、何万人分の社会貢献ができるのでは、と考えるようになりました。
幸い学生時代に稼いで貯めていた資金があったので、それを資本金にしてDYMを株式会社化しました。WEB広告市場がドンドン伸びていた頃だったので、その市況に乗ることができ、右肩上がりに急成長してきました。
ーー株式会社化した後、なぜIT×医療事業ではなくWEB事業を?
水谷佑毅社長:医療業界は参入障壁が非常に高く、いきなりマネタイズしてベンチャー企業で成功するのはほぼ不可能な分野だと感じていました。倒産してしまえば何も成し遂げられない。
私は “負けない戦いをする” のが信条で、そのためには、まずは参入障壁が低く、スピード感を持って拡大していける事業を多角的に展開して会社の基盤をつくってから、本格的に医療に参入するという方針を立てていました。そして、学生時代に強みを持っていたフィールドでまずは事業を興こそうと思い、WEBマーケティング事業をスタートしました。
DYMの強み
ーー現在展開している事業について、教えていただけますでしょうか。
水谷佑毅社長:創業時からの売上の柱であるWEB事業、新卒紹介やエグゼパートなど多様なサービスで貢献する人材事業、求人の運用代行などを行うHR Tech事業、海外で日本人をメインターゲットとする海外医療事業、事業や会社の売り買いをマッチングするM&A事業、その他 不動産事業やスポーツ事業など幅広く展開しております。
WEB分野においては、2022年にYahoo!マーケティングソリューションにて4つ星、またMeta Business Partnersの認定パートナー最高位「バッジ取得パートナー」を獲得し、2023年にはGoogle Partner PREMIER* に認定されました。HR Tech分野では、2023年よりIndeed認定パートナーの中で日本最高ランクとなる「プラチナムパートナー」に認定されました。
また最近では、当社運営のYouTubeチャンネル「内定チャンネル」も急激に登録者数が伸びており、好調です(2024/12/13現在 チャンネル登録者数19.9万人)。
* 毎年参加代理店の上位3%に付与される Google Partnersプログラムで最上位のステータス。
ーー経営において、大切に考えていることを教えてください。
水谷佑毅社長:当社は「1000年後にも存続する会社」を目指しています。
ベンチャーというと常に攻める事だけを優先的に行う会社と思われがちですが、私達は「絶対に潰れない戦いをする」をテーマにしています。そのため、どんな不況や環境の変化があっても会社が継続できるように最大限の努力を行っています。
その戦略としては、主に四つ。
一つ目は、成長市場を厳選して事業を展開していくこと。やはり衰退縮小するマーケットで戦うのはセオリーではありませんので、とにかく伸びる市場、成長する市場で戦うことを徹底しています。
二つ目は、会社として事業の柱を増やしていき、経営を安定化させること。事業というものは、遅かれ早かれいつか必ず衰退するものです。『事業の衰退=会社の衰退』とならないためには、事業ドメインをいかに分散させられるかを重要視しています。500億円の事業2本で1000億円の会社よりも、10億円の事業100本や5億円の事業200本で構成されている企業の方が不況にも強く安定と言えると考えています。
三つ目は、立ち止まらずに変化をし続ける『適者生存』の原則を生き残りの条件と考えて経営すること。ベンチャー企業が生き残る条件は、とにかく変化し続けることだと思います。新しい事業を行う、人材を採用して拡大する等、現状維持は衰退と同じですので、立ち止まらずに変化し続けることが重要です。「強者生存」でなく「適者生存」… つまり、環境の変化に適応できる企業だけが生き残れると考えています。
四つ目は、組織力の強化を行うこと。会社の知名度が上がるにつれ、優秀な人材を採用できるようになってきました。しかしどれほど優秀なプレイヤーであっても、個人の能力だけでは競争に勝っていけません。会社をワンランク上のステージに移行させていくためには、個人の能力以上に組織力の強化は重要なテーマであると考えています。
ーー社員とのコミュニケーションは?
水谷佑毅社長:実は私自身すごくさびしがり屋な性格で、ドライよりウェットな人間関係が好きなんです。そういったこともあり当社では、社員旅行や運動会などの社内イベントで交流できる機会を豊富に作っています。多忙なスケジュールの中でも、月に一度開催される社員との交流会(社長でナイト)や運動会、社員旅行といった社内イベントには積極的に参加し、なるべく社員と交流する機会を確保するようにしています。
DYMが実現したい未来
ーー今後の展望について、教えてください。
水谷佑毅社長:これからの日本は少子高齢化が進み、日本のGDP及びマーケットは必ず縮小していくと考えているため「外貨を獲得する」事をテーマに積極的に海外展開を図っています。
具体的には、国内はもちろん海外医療にも注力し、インドネシア、韓国、マレーシア、フィリピン、その他諸外国において日本人の駐在員や旅行客の多い様々な地域にも進出予定です。
また、医療分野以外の各事業においても、今後益々海外展開を加速させていく方針です。
今後も国内外ともに事業を立ち上げ続けていきます。
とにかく「新しい価値観を創造する」という事に取り組んで、今世界に存在しない事業の創造をこれからも行っていきたいと考えています。
ーー最後に、本記事を読んでくださった方へメッセージをお願いします!
水谷佑毅社長:株式会社DYMという会社は優秀な人材がたくさんいる人財会社です。向上心や志が非常に高い人間がとても多い会社です。そしてそのような人間たちがお互いをリスペクトし合い、切磋琢磨し競うように仕事に没頭しています。また、当社は採用(特に新卒)に非常に力を入れているので、ありがたいことに毎年とても優秀な新卒の方に入社して頂けております。採用にあたって、求める人材は前向きで素直であり、何事も一生懸命という面を持っている人材です。まだ若い組織のため、さまざまなお客様から勉強させていただくような素直さや前向きさを私は評価します。主体的な人材は株式会社DYMに向いていると考え、主体性をもった方を見抜くことも重要な人材戦略の1つです。
また、物事に対して誠実に真摯に取り組める人を求めています。当社のビジョンや目標は高く、どの目標も本気で向き合って初めて達成が見えてくるものです。そこに向かい一緒に諦めずに戦ってくれるような方と仕事がしたいと考えています。
同じ志を持っている方はぜひ弊社で一緒に働きましょう。
※記載内容は取材当時のものです。