3年ぶりにオフラインで「D&I 18期キックオフ」を開催いたしました。
第1部の目玉企画として行われた「D&Iスピリット体現発表会」
各部門の発表を経て行われた参加者投票の結果、見事グランプリに輝いたのは、テラコヤキッズの取り組みでした!
当日は語られなかったエピソードをご紹介します。
「D&I 18期キックオフ」の詳細はnoteよりご覧いただけます。

「超、感謝」を胸に。D&I 18期キックオフで見えた、笑顔とリスペクトが溢れる一日【D&Iのリアル#2】|株式会社D&I 公式 - 誰もが挑戦・活躍できる社会へ
インタビュアー:安部桐子(人事・採用担当)
インタビュイー:石塚さん(ゆめ気球教室)、庄山さん(現・川崎教室責任者。勝さん担当当時はゆめ気球教室に在籍)
(本記事では、お二人の発言をまとめて「職員」としてご紹介しています)
放課後等デイサービスが乱立する昨今、テラコヤキッズが大切にしているのは「その場限りの支援(点)」ではなく、「卒業後の人生まで見据えた継続的な伴走(線)」です。
2023年春、一人の高校生がテラコヤキッズの教室に通い始めました。勝さん(仮名)です。当時は口数が少なく、家庭にも複雑な事情を抱えていました。それから3年——2026年春、勝さんは物流関連の企業への就職を果たし、親元を離れて自立への一歩を踏み出しました。
今回は、勝さんの3年間に現場で寄り添い続けてきた職員に話を聞きました。単なる成功ストーリーとしてではなく、「テラコヤキッズだからこそできる療育とは何か」という視点から、等身大の言葉をご紹介します。
目次
勝さんの3年間
2023年:テラコヤキッズの利用を開始。周囲の刺激に敏感で、口数も少なく静かな日々を過ごす
2024年:教室でリーダー的な役割を任されるようになり、少しずつ心を開いていく
2025年:住まいを失う「退去危機」に直面するも、自らの意志で自立への道を選択
2026年:一般就職を果たし、親元を離れて新生活をスタート。精神障害者手帳の取得、グループホーム入居も実現
1. 出会いと初期の葛藤(2023年〜)
それは【待つ】から始まった
―勝さんと出会った当時の様子を教えてください。
定時制高校の担任の先生からの紹介で、教室に通い始めてくれました。最初の頃は、他の生徒への注意の声にもすごく緊張してしまうくらい、周りの刺激に敏感でしたね。口数も少なくて、表情も硬かったです。正直、最初の一年は、かなり暗い印象でした。教室で誰かと話すこともほとんどなくて、静かに過ごしている日々でしたね。
―ご家庭について、当時どのように受け止めていましたか。
実は、勝さん本人からではなく、学校の担任の先生との情報共有で分かったことが多かったんです。経済的にかなり厳しいご家庭だったこと、そしてお父さんの就労状況も安定していなかったこと。お父さんは周りには「働いている」と話していて、勝さんはそれを知りながら、周りにはお父さんの話に合わせていたんですよね。家計を助けようとアルバイトをしていましたが、お金のことで心配になる場面もあって……。それでも勝さんは、お父さんが作ってくれたお弁当への愛着を語ったりして、複雑な思いを抱えながらもお父さんのことを慕い続けていました。だからこそ、こちらから根掘り葉掘り聞くことはしませんでした。本人からのSOSがない限りは待つ。その代わり、学校を情報共有の窓口として一本化して、学校からすべて共有してもらう体制を作っていましたね。
無理に踏み込まず、待つ。本人のペースを尊重しながらも、学校と密に連携して安全網を張っておく。この二段構えの姿勢こそ、テラコヤキッズが大切にしている支援方針そのものです。
―その後、何かきっかけはありましたか。
通い始めて2年目に差し掛かった頃、たまたまゆめ気球教室で、小中学校時代に仲の良かった同級生と再会したんです。それがきっかけで、少しずつ表情が和らいでいきました。あの再会がなかったら、もっと長く暗いままだったかもしれません。
2. 成長と関係性の変化(2024年〜)
【役割】が成長に・・・
―教室での他者との関わりの中で、どのような変化が見られましたか。
2年目に入ると、勝さんはぽつり、ぽつりと家庭のことを話すようになりました。それでも、お父さんのことを悪く言うことは一度もなかったんです。勝さんにとって、お父さんはただ一人の家族ですから。愛情自体はちゃんと受け取れていたんだと思います。今でも大好きなんですよ、お父さんのこと。勝さんは感情、特に喜びや不満を表に出すのが苦手なタイプでした。発達の特性もあって、感情表現に苦手さがあったんだと思います。だからこそ、なおさら言葉にするまでに時間がかかりましたね。
そこで私たちが意図的にやっていたのが、勝さんに教室の中で「陽気なお兄さん」というキャラクターを担ってもらうことでした。冗談を言い合えるようになって、年下の子どもたちからも頼られる存在になっていって。実習の準備で場をまとめる役割や、最終チェック係、「リーダー」の役目を任せるようにしていったんです。役が人を育てるんですよね。最初は「僕でいいんですか」って戸惑っていた勝さんも、最終学年になる頃には自然とリーダーシップを発揮するようになっていました。
この時期、勝さん自身がこう言っていたんです。「テラコヤに通ったことで、僕は人に頼れるようになりました」って。困っている年下の子に声をかけたり、友人関係の間に立って助言したりする姿も見られるようになりましたね。「助けてもらって当たり前」ではなくて、「自分から助けてと言えるようになったこと」。そこの違いが大きいんです。与えられた環境に甘えるのではなく、自分から発信できるようになったこと。そこに大きな成長を感じました。
一人ひとりの特性を見極めたうえで、あえて役割を与えて背中を押す。この関わり方の積み重ねこそ、テラコヤキッズが実践してきた「本質的な療育」の一場面です。
3. 自立への試練と「伴走」(2025年〜)
【チーム】だからなしえたこと・・・
―「退去危機」という大きな壁に、どう立ち向かいましたか。
2025年に大きな転機がありました。住まいに関わる事情が重なって、それまで住んでいた場所を離れなければならなくなったんです。引っ越し先がなかなか見つからなくて、勝さんは初めて私たちの前で涙を見せました。「引っ越さなければいけないことは分かっていましたが、行き先が決まらなくて不安になって……」あのとき初めて泣いたんです。
そして勝さんは、自分の意志で「施設に行きたい」と決断しました。この決断の裏には、学校・行政・テラコヤキッズが密に連携して、スピーディーに動いた背景があります。学校の先生からは「明日すぐに役所へ行ってみたほうがよい」と背中を押されて、区の担当者やケースワーカーも交えて具体的な手続きが進んでいきました。
お父さんは新しい住まいがなかなか見つからなくて、行政が用意した施設への入居にはあまり気が進まない様子でした。でも勝さんは「僕は嫌じゃない」と自分の気持ちを穏やかに伝えて、一人で歩み出す道を選びました。最終的には、4月からの就職と1か月の研修を見据えながら、期間を区切ってお父さんとしばらく一緒に過ごすという、無理のない形に落ち着きましたね。
生活面では、テラコヤキッズだけじゃなくて学校の存在もすごく大きかったです。勝さんの就職や修学旅行に向けて、担任の先生が、費用の準備や計画づくりを何年にもわたって親身にサポートしてくれたんです。本当にいい人に恵まれていました。
学校、行政、テラコヤキッズがそれぞれの役割を分担しながらも、一つのチームのように動けたこと。庄山さんが後に川崎教室の責任者となったことで、教室をまたいだ連携はさらに深まっていきました。この機動力こそ、一つの機関だけでは実現できない「線の支援」の真骨頂です。
4. 社会人としての第一歩と未来(2026年〜)
【行ってきます】その言葉の意味・・・
2026年4月、勝さんは物流関連企業の常勤職員として一般就職を果たしました。就職先は10月頃の実習を経て、比較的早い段階で決まっていたんです。研修先の千葉のホテルでは、親元を離れた1か月間を無遅刻で完走しました。
卒業の日、勝さんは誰よりも先に涙を見せていました。川崎教室でもゆめ気球教室でも、最後まで前に立って泣いていましたね。卒業式では、利用者一人ひとりが在籍中の思い出やこれからの決意を語るメッセージ映像を流す時間があったんですけど、そこで勝さんは「さようなら」ではなく「行ってきます」という言葉を選んだんです。すごく印象的でした。
「行ってきます」って、出かけてもまた戻ってくることが前提の言葉ですよね。勝さんにとってテラコヤキッズが、通過点じゃなくて「帰ってくる場所」であり続けているんだなって、あの一言から感じました。実際、その言葉は約束で終わらなかったんです。今も月に1回ほど教室に顔を出してくれています。研修が終わってから初めて教室を訪れた時は、「約束は守るんだな」って、こちらが驚くくらいの成長ぶりを見せてくれました。
2026年6月には精神障害者手帳の申請手続きを自分で完了させて、7月にはグループホームへの入居に向けた調整も進みました。当初予定していた体験入居も、相談支援員さんや関係機関との日頃からの連携のおかげでスムーズに進んで、結果的に8月から本入居することになったんです。関わってきた人たちの情報共有と信頼関係があったからこそだと思います。
今は、お父さんとの関係についても、月2回程度の帰省というルールを決めて、金銭面での約束事を明確にしながら、適度な距離感を保っています。大好きな気持ちは大切にしながらも、自立のための線引きは、支援者側からも伝えるようにしていますね。
「行ってきます」から始まった約束を、勝さん自身の足で果たし続けている——それこそが、テラコヤキッズが目指してきた「卒業後も続く伴走」の形です。
5. グランプリに輝いた、一通の手紙
一通のサプライズレター
「D&Iスピリット体現発表会」には、サプライズがありました。勝さんが、庄山さんに内緒で手紙を書いてくれていたのです。当日、壇上で石塚さんがその手紙を代読することになりました。読み進めるうちに石塚さんは大泣きし、それを聞いていた庄山さんも涙が止まらなくなる——そんな場面に、会場中が心を動かされました。
手紙には、こう綴られていました。
庄山さんへ
まずはたくさんサポートしてくれてありがとうございます!庄山さんはぼくが初めてテラコヤに来た時からいっしょに活動してきた大人の人の一人ですが、ぼくがテラコヤに来ていちばん最初に印象に残ったのはT先生、A先生といっしょに見学に行った時に庄山さんが見せてくれたハンカチマジック(笑)でした。テラコヤキッズという場所がどういう環境なのかも、どういう人がいるかも分からなくて不安だらけだったのが、おかげでその不安もすぐに和らいで平日と土日で通い始める事が出来ました。だけどぼくは人見知りがかなりはげしくて中々自分の事について話しませんでしたが、庄山さんたちが面白おかしく関わり続けてくれたおかげで自然と自分の事について共有するようになっていました。事情が事情なだけに学校の先生に相談していた事をテラコヤの人にも言えるようになりました。色々ありつつも実習に行ったり、パーティーをしたりとたくさんの事を経験しながらあっという間に4年という月日が経っていました。
正直、庄山さんとS.さんが川崎教室に移動してからも生活面で大変なことが色々とありましたが、それでも庄山さんたちがそれでもかとはげましてくれたり、時には学校の先生とも協力してくれたおかげでそんな事も乗り越える事が出来て、今ではシェアハウスでくらしながら会社に通っています。今後もE.さんとテラコヤの人にお世話になることが多々あると思いますが、自分の意思も強く持ってがんばっていきたいと思います!応援よろしくお願いします!
勝より
テラコヤキッズの「本質」について
―勝さんとの3年間を振り返り、テラコヤキッズならではの療育の本質とは何だと思いますか。これから入社する方へのメッセージもお願いします。
大切なのは、一人ひとりの個をちゃんと見ていくことだと思います。ただ手を差し伸べるだけじゃなくて、待たなければいけない場面もあります。手を差し伸べすぎない。本人がお父さんを思う気持ちも尊重していく。何かを教えるということだけじゃなくて、その子自身の軸となるものを育てていくのが、療育なんだと思うんです。
グレーな部分は、グレーのまま認めていく。「こうでなければいけない」って決めつけないで、勝さんが見せた変化——ぽつぽつと言葉が出てきたこと、内心を否定せずに見守られてきたこと——それを何より大切にしてきました。福祉の仕事をしていると、どうしても手を差し伸べたくなってしまうんですけど、そこをぐっとこらえて、本人が必要としているものだけを差し出す。それが今回、勝さんが自分から助けを求められるようになったきっかけだったのかもしれません。
学校、行政、テラコヤキッズという複数の機関が、それぞれの役割を全うしながら、誰も勝さんのことを諦めなかった。そのすべてが重なり合って、今回の結果につながったんだと思います。まずはやりきってから諦める。しょうがない、では終わらせない。それが本質に近いのかなと思います。
これから一緒に働く方には、一緒に楽しめる人に来てほしいです。「教えなきゃ」って気負うんじゃなくて、一緒に遊べる人。なんでこの子は今こうしているんだろう、って考えられる人。子どもと同じ目線に立って、どうやったらこの子が楽しんでもらえるか一緒に考えられる仲間と、これからも歩んでいきたいと思っています。
「点」の支援ではなく、「線」の支援を。テラコヤキッズが3年間かけて紡いできたのは、一人の青年の人生に寄り添い続けるという、シンプルでいて簡単ではない姿勢でした。そしてそれは、特別な誰かにしかできないことではなく、一人ひとりの子どもと向き合う覚悟さえあれば、これから入社する仲間にも引き継いでいける姿勢です。
テラコヤキッズでは、勝さんのように人生の岐路に立つ子どもたちに、じっくりと伴走できる仲間を募集しています。この記事を読んで少しでも心が動いた方は、ぜひ一度お話ししましょう。