簡単な経歴
【経歴】
1996年:東京都生まれ
2006年〜2015年:小学校4年生〜高校3年生まで吹奏楽・マーチングバンドを続ける
2015年4月〜2019年3月:都内私立大学 文学部在籍
2019年4月〜2019年12月:新卒でウエディングプランナーとして京都にて勤務
2020年3月〜2022年11月:デザイナー会社の総務事務として都内にて勤務
2021年7月:副業Webライターとして活動開始
2022年11月:専業Webライターとして独立
2023年6月:ディレクターとしてユニークキャリアにジョイン
生い立ち
1996年に3人姉弟の長女として生まれました。幼い頃から自己主張が強く、女の子らしさは皆無。兄弟の中でダントツ手のかかる子どもでした。(母は弟が生まれた時、赤ちゃんってこんなに育てやすいんだと思ったそうです笑)
小学4年生の頃、課外クラブのマーチングバンド部に入部。腕が長いからという理由だけでトロンボーンを担当していました。
入部したものの、楽譜が全く読めず足を引っ張っていたので、当時の先輩からはいじめられていました。それでも辞めなかったのは「音楽が好き、トロンボーンが好き」だったからです。
また好きなことに関しては努力できる性格だったので「上手くなってこいつらを見返してやる!」という一心で練習を重ねました。結果的に、6年生のときには曲中でソロをもらえるようになり、他校との合同バンドのオーディションではトップ通過できるようになるまで上達しました。
マーチングバンドの超強豪校で青春のすべてを捧げた中学時代
【全国大会での演技】
「強い学校でマーチングをやりたい」という理由で、越境して公立中学校の吹奏楽部に入部しました。中学では先輩に恵まれ、毎日練習が楽しくて仕方なかったです。
入学当時は全国大会4連覇中の超強豪校だったため、平日は7時からの朝練と放課後練習、土日は9時〜18時、大会前は21時頃まで練習に明け暮れていました。(今考えると超ブラック企業)
「もっとっもっと上手くなって、先輩たちに追いつきたい」という思いでめちゃくちゃ努力し、中1からレギュラーとして大会に出場していました。
しかし私の学年はいわゆる「問題児」。中3で部長になったものの、くせ者ぞろいの同期や後輩たちをまとめることができませんでした。皆は練習しているのに私だけが別室で顧問に怒られる日々が続き、部活に行くのが怖くなり、途中で部長を辞めてしまいました。
そんな学年だったので最後の最後まで団結できず、中3の全国大会では金賞は獲れたものの、7連覇を逃してしまいます。自分たちの代で歴史を止めてしまったことは辛かったですが、この経験が後の人生に影響をもたらすとは、当時は思ってもいませんでした。
0→1を作る辛さと楽しさを知った高校時代
【高3全国大会後の集合写真】
高校もマーチングを続けるために、都内の私立女子高に進学しました。しかし本当に行きたい学校ではなかった上、マーチングバンド部のレベルの低さにショックを受けたことを覚えています。
当時全国大会への出場経験はあったものの、銀賞止まり。練習も楽しくなく、毎日辞めたいと思っていました。
しかし高2のときに全国大会に進めなかったことが、私の転機になります。全国に行けなかった原因は色々ありましたが、全員が真剣に練習に取り組んでいないこと、視座が揃っていないことが一番の理由でした。
中3のころの悔しい経験を思い出し「二度とあんな思いはしたくない。そのためには私がリーダーになって部活を変えよう。自分たちの代では絶対に全国金賞を獲ろう」と決意。高3ではドラムメジャー(指揮者)として、練習メニューの改善から部員の意識改革まで行いました。
正直しんどいことだらけでしたが、それよりも新しいチャレンジをするワクワクと達成感のほうが大きかったです。また自分が今まで身につけたスキルを後輩に共有した結果、できないことができるようになったり、積極的に相談をしてくれるようになったりしたことがとても嬉しかったのを覚えています。
そして迎えた全国大会。結果は…【金賞!!!🥇】さらに創部50年の節目で、マーチングバンド部に名称を変えてからは初の金賞という快挙でした。
今ディレクターとして働いている理由を考えたとき、高校時代の経験が大きかったなと思っています。それは後で詳しく話しますね。
燃え尽き症候群だった大学時代
【バイトの同期と誕生日ディズニー】
一般入試で、第一志望の私立大学に入学。高校時の部活は12月が全国大会、3月に定期演奏会があったので、本格的に受験勉強をしたのは入試前の1ヶ月間だけでした笑(大学の偏差値は平均くらい、勉強は大の苦手だったので、よく受かったなと今でも思います)
9年続けたマーチングバンドは高校卒業と同時に辞め、今まで遊べなかった分を取り戻すかのように、バイト(ミスドとカフェ)や友達との遊びに明け暮れていました。
また新しいことを始めようと、アメフト部のマネージャーやフラダンスサークルに所属しましたが、長続きしませんでした。今思うと、マーチングを超える楽しさを見いだせなかったのだと思います。
結局燃え尽き症候群のまま4年間を過ごし、卒業しました。
ウエディングプランナーとして京都で働き始める
【同じ店舗の同期と平等院鳳凰堂に行ったときの写真】
大学卒業後は、新卒でウエディングプランナーとして働き始めました。理由は「1つのものを作る大変さや、喜びを感じられる仕事がしたい」と思ったからです。(これはマーチングバンドでの経験が大きかったです)
最初の配属先は京都。22年間東京で暮らしてきたのに、いきなり知らない土地に放り込まれました。もちろん友達は一人もおらず、すぐにホームシックになります。
また覚悟はしていたものの、仕事は激務。休日も勉強で休むヒマはほぼありませんでした。なんとかプランナーとしてデビューしたものの、仕事ぶりはポンコツ。学生時代は自他ともに「できる人」の認識だったため、自分のできなさにショックを受けたのを覚えています。
激務やメンタル面などが重なって体調を崩すようになり、わずか9ヶ月で退職して東京へ帰りました。
デザイナー会社の総務事務に転職
【事務職時代に行ったディズニーランド】
転職活動を経て、都内のデザイナー会社に総務事務として入社しました。事務を選んだのは「ワークライフバランスが取りやすいから」。プランナー時代の激務で疲弊していたので、とにかく楽な仕事を選びました。(事務は決して楽な仕事ではありませんが、当時の私はそう思っていました)
先輩方は優しく働きやすい環境でしたが、ここでも私のポンコツぶりは健在。全く仕事ができず迷惑しか掛けていませんでしたが、根気強く教えてくれた先輩方には本当に感謝しています…。
また入社直後に新型コロナウイルスが流行った関係で、ほぼリモートで働いていました。本来は社内イベントや飲み会が活発に行われていた会社だったため、今も働いていれば参加したかったですね。
2021年7月に副業WEBライターとして活動開始
【副業時代に参加したライターオフ会】
総務事務として働く傍ら、副業でWEBライターを始めました。事務はホワイトな働き方ができますが、どうしても給与が低い傾向にあります。「少しでも収入を増やしたい」と考えた結果、文章を書くのが好きだったので、WEBライターを選びました。
ちなみに今WEBライターを初めようとしているのであれば、独学ではなくきちんと教材で勉強したほうがいいです。私も独学でやろうと思っていましたが、知人から「将来的に稼ぎたいなら、初期投資をしてプロから学ぶべきだ」と言われ、有料教材で勉強しています。
好きなことに関しては努力できる性格のため、勉強はあまり苦ではありませんでした。ライターデビュー2ヶ月で、教材費7万円をペイアウト。月5万円〜10万円ほどの収益を得られるようになりました。
WEBライターとして独立
【仕事スペース】
2022年11月に専業ライターとして独立。当時はまだ20万円稼げるかどうかでしたが、背水の陣でフリーランスに挑戦しました。
やむを得ず独立した感じはありましたが、結果的にフリーランスは私に合っていたと思います。好きな時間に好きな場所で仕事ができる、会いたいときに会いたい人に会える働き方は、ストレスフリーです。
今では継続的にお仕事もいただけるようになり、安定した収入を得られています。もう会社員には戻れません笑
ユニークキャリアでライターからWEBディレクターへキャリアアップ
【母娘ともにフィギュアスケートファン。フリーランスになったお陰で、好きなときに試合やアイスショーに行けています♡】
ユニークキャリアを知ったきっかけはX(旧Twitter)でのライター募集です。当時案件を探しており、条件が良かったので応募したところ、採用していただきました。
1ヶ月ライターとして活動した後、ディレクターの清水から「ディレクターとして弊社にジョインしないか」と声をかけてもらったのです。当時ディレクター経験はほぼなかったものの、キャリア目標としていつかやりたいと考えていたのでお引き受けしました。
現在はユニークキャリアでディレクションをしつつ、フリーランスとして外部のライター案件もゴリゴリ受けています。
私は優等生なキャリアを歩んではいません。特に社会人になってからはポンコツで「仕事は楽しくないもの」と思っていました。しかし今はライターの仕事が大好きで、毎日が充実しています。
またディレクター採用の際に、弊社代表の岸田との面談時に経歴を話したところ「ユニークなキャリアでうちに合っている」と言われました。自分のキャリアに劣等感があった私にとって、この言葉はかなり救われました。
「私を求めてくれる環境があるのなら、ここで頑張ってみよう」と思い、今に至ります。
ディレクターは、ライターさんとのコミュニケーションやFBの仕方などで難しいと思うことはありますが、それ以上にやりがいを感じています。
ディレクターをやりたいと思った理由はキャリアアップもありますが、高校時代に感じた「自分の培ってきたスキルを、誰かの成長につなげたい」という気持ちを体現したかったからです。
実際に今担当しているライターさんには、自分の持っているスキルを惜しみなく提供するようにしています。その結果記事の質が上がったり、積極的に相談してくれるライターさんが増え、嬉しく思っています。私もまだまだスキル不足なので、もっと上を目指していきたいです!
また学生時代から憧れがあった採用にも関わらせていただいています。ユニークキャリアはやってみたいと伝えれば、基本的にやらせてくれる環境なのもありがたいです。
今後の目標は、ディレクター1本に絞れるようにしてきたいなと思っています。またもっとライターさんの成長を支援したいので、講師などにも興味があります。そのためにはもっともっとスキルを磨いて、必要とされる人材になりたいです!