ぼくの名前は小川忠洋。
大阪でダイレクト出版という会社を経営している。
退屈だったらここは読み飛ばしても構わない。
「ってか、おまえは誰だ?」
「なんでおまえの話を聞かなきゃいけないんだ?」
と思うのなら、騙されたと思って読んでみてほしい。
◇ ◇ ◇
ぼくは栃木県の田舎で生まれ、フツーに育ち、フツーの高校に行き、大学進学で大阪に来た。
中学生くらいのころに、天体観測が趣味のおじさんから聞いた宇宙の話に憧れ、アインシュタインの話なんかを読んで、「オレも科学者になろう!」と思った。大学受験の時、「宇宙系のことを学べる大学ってどこかなぁ」と赤本で調べると、東大と京大と阪大しかなかった。
当時の成績は学校でも最下位クラスだったので、「じゃあ阪大かな」なんてノリで志望校を決めた。絶対に受かるわけないと自分も担任の先生も思っていたが、なぜか受かってしまった(浪人生活に憧れていたので、最初から浪人しようと思っていた)。
ラッキーと思って、大阪大学物理学科に入学。期待に胸を膨らませて大学に行くも、そこで挫折した。大学の先生は全然教える気ねぇーし、その割には量子力学とか意味不明なくらい難しいし……。田舎から都会に出てきたため、「ウヒョー」って感じだったし……。
まぁ、自分が悪いんだけど、ダメダメの大学生活だった。結局、2回ダブって、1回休学。合計で7年間も大学に通ったことになる(一応卒業はした。当時、阪大には宇宙地球学科というのがあったのだが、それがあまりうまくいかなかったらしく、「閉鎖したいが、おまえが最後の生徒としているから閉鎖できない、はやく卒業しろ!」と言われた覚えがある)。
ちなみに、今でも見る悪夢はこの時のことだ。「単位が足りなくて卒業できない!」という夢を見て、ハッと目が覚めて「あ、オレ社会人だ……」と安心する。会社経営をしていたら、フツーは「金が回らなくて会社が潰れる……!」的な夢を見ると思うんだが、どうやらその時代のことがよほど嫌だったようだ。
◇ ◇ ◇
さて、大学に7年も行っていると、すでに同級生は誰もいない(涙)。
就職活動のやり方も誰も教えてくれない。もともと科学者になりたかったので、就職するイメージもつかず、何をやったらいいのかわからない状態だった。
友達に誘われて「一緒にビジネスを始めよう!」という話になったのは、そんなときだ。自分の人生の目的みたいなものを見失っていた世間知らずのぼくは、「ビジネスで金が儲かる」という世界を友人から見せられ、あっさりそういう価値観に染められてしまった。
もちろん、社会を何も知らない、何のコネもない、何の能力もない学生が、今の言葉で言えば「起業」したからって、うまく行くわけがない。
最初の何年かは朝から夜中まで働いて、生活費もなく、毎晩「なか卯」の牛丼を食べて寝る……という生活をしていた。「来月の家賃、払えるのかなぁ」というような心配ばかりしていて、消費者金融でカネを借りたりもした。当時は利息が30%くらいあった時代だから、一歩間違えば本当にヤバかった。
ある時に、実際に借金やらローンやらを返済する計算をしたら、当時のペースでは20年くらい返済にかかるという衝撃の事実が発覚して、絶望したこともある。
同期の友達は一流企業で働いていて、合コンとかに邁進しているなか、ぼくは借金と牛丼生活。合コンに呼ばれても、なんだか恥ずかしい感じがして、積極的になれなかったのを覚えている。もちろん田舎の父親にあわせる顔もなく、疎遠になっていた。
◇ ◇ ◇
ぼくはとにかく目の前の仕事をなんとか成功させるために、いろんな本を手当たり次第に読んでいった。そこには、今までまったく知らなかったビジネスの知識がたくさんあった(物理学科なので、当然といえば当然)。
そして、ほとんどのビジネスが上手くいかない主な原因は、お客さんを上手く獲得できないからだということがわかった。どんなに料理がうまい店でも、お客さんが来ない場所にあったら、儲からなくて潰れてしまう。
そんなわけで、ぼくは「顧客獲得」とか「マーケティング」の世界と出会うことになった。なかでも「ダイレクト・マーケティング」はバリバリ理系のぼくにピッタリ合った。
「ダイレクト・マーケティングって何やねん?」と思うだろうから、ちょっと補足しよう。簡単に説明すると、ダイレクト・マーケティングというのは顧客と直接やり取りするマーケティング手法のこと。対照的なのは、コカコーラが出すようなCMだ。コカコーラのCMではブランド・イメージを伝えるだけで、実際に商品を購入するのはコンビニやスーパーだったりする。こういうのをイメージ広告という。CMで何度もコカコーラのイメージを刷り込んで、実際にお店に行った時にコカコーラを買ってもらうという手法だ。一方、ダイレクト・マーケティングというのは、「電話をかけろ」とか「資料請求してくれ」というアクションを相手に求めて、アクションしてくれた人と直接コミュニケーションをとって商品を売る手法。
◇ ◇ ◇
なぜ、ぼくのような理系にダイレクト・マーケティングがピッタリ合うかというと、ダイレクト・マーケティングでは、上手くいったことと上手くいかないことの「実験」や「検証」が簡単にできるからだ。
たとえば、「女優を使った広告」と「動物を使った広告」を同時に流して、どちらのアクションの数が多かったかという実験をすれば、簡単に判定できる。そして、次からは反応の高かったほうを使っていけばいい。これを繰り返すことで、どんどん改良することができる。
しかし、イメージ広告の場合は、最終的にコカコーラが買われても、それがどのCMのおかげなのかが判定できない。
たまたま近くのコンビニにペプシがなかったからか?
たまたまその日が暑かったからか?
店員さんがオススメしたからか?
いろんな要素が混ざり合ってしまうのだ。
実験、検証ができるほうが「科学」には近い。結果を論理的に解明できるからね。そのため、理系のぼくにはピッタリだったのだ。
自分には、何かを売るためにお客さんに気に入られようと媚びを売ったり、気合と根性で体育会系の営業をしたりというのは向いてないと思っていた。それよりも、毎回、何かをやった結果を検証して、新しい仮説を立ててまた検証して、改善を繰り返すほうが、よっぽど肌に合っている。すべて数字で結果が出るため、とても合理的に成功や失敗の判断ができる。
実際、やればやるほど「科学」に近いと感じる。適切な「仮説」を立てて、それを検証するために「実験」を繰り返す。成功したものにはもっとお金を投資して、大きく展開していく(想像がつくかもしれないが、インターネット上にある広告ってのは、大抵が「クリック」、それから「登録」や「購入」というアクションを求めるものなので、ほぼすべてがダイレクト・マーケティングだと言っても過言ではない)。
◇ ◇ ◇
話は戻って、ダイレクト・マーケティングを学んでいったことで、それまでどれだけ一生懸命やっても上手くいかなかったビジネスが、ちょっと良くなってきた。牛丼生活とはおさらばして、金もそこそこ儲かるようになってきた。
ところが、お金の悩みはある程度なくなったのに、そのせいでもっと大きな問題が出てきてしまったのだ。ご多聞にもれず、ぼくも「金を儲けて女遊びをするぞ」という低俗な欲を持っていたため、キャバクラとかに行ってみた。だけど、たいして面白くもなかった。自分で数千円のモノを売って稼いだお金が、意味不明な「唐揚げ3,000円」とかに消えていくのを見ると、“微妙感”が半端なかった。大切なのは、そんなことじゃなかったのだ。
― 今でも覚えている。それはある朝のことだった。
起きると体が重かった。体がだるくて布団から抜け出す気力がない。
どうやら熱があるようだ。体温計を取り出し、布団の中で熱を測る。37.8度。普通だったら「あ、まずいな」と思うんだろうけど、その時のぼくはこう思った。
「やったー。これで会社に行かなくてすむ」
心の中でそう思ったと同時に、強烈な自己嫌悪に陥った。
なぜなら、その行きたくない会社は、友達に誘われたとはいえ、自分で始めた会社だったからだ。自分で作った会社に行きたくないがために、熱が出ればラッキー、もっと言えば「大きな病気にでもかからないかな……」と思っていたのだから、自己嫌悪に陥るのも無理はない。
「オレの人生、こんなんでずっと続くのかなぁ」
1DKの部屋で一人、布団の中で天井を見つめながら、「あぁ、オレ腐ってんな」と自分でも自覚したのが、この朝だった……。
なんでそんな風に感じるんだろう?
― 原因は明らかだった。
何も考えずに、「金が儲かるかも」くらいの気持ちで始めた会社だったから、大切な選択を間違えていたのだ。そして何年かの時間を無駄にして、自己嫌悪と後悔で腐っていっていた。
何が問題だったか? 何を間違えたのか?
簡単だ。「自分の仕事」と「お客さん」だ。
◇ ◇ ◇
当時、ぼくは自分の仕事が嫌いだった。お客さんのことも好きじゃなかった。
仕事で成功したいと思ったら、どうすればその仕事が上手くできるかということと、毎日毎日、向き合わなきゃいけない。お客さんのことも常に考えなきゃいけない。ある意味、恋人みたいなもんで、24時間、相手のことを考えるくらいじゃないと、仕事はうまくいかない。嫌いな人のことを24時間考えなきゃいけない状況を想像してみてほしい―
地獄だろう。
人生のほとんどの時間は、寝ている時を除けば、大半が「仕事をしている時間」だ。いくら金があっても、それが嫌な時間だったら、結構きつい。頑張れば頑張るほど嫌になっていく。負のスパイラルだ。
その日、ぼくがベッドで考えたのは、今いくら収入があったとしても(ダイレクト・マーケティングを導入して事業が上手くいきだしたので、同年代の何倍もの収入があった)、これをあと5年、10年と続けていくことは不可能だろうということ。だったら早めに辞めようと思った。
お金で苦労しているうちはそんなこと考える余裕はなく、お金さえ稼げれば成功してハッピーになれると思っていた。……が、お金の苦労がなくなったら、逆に精神的にキツくなってしまったのだ。
◆ 自分が10年続けられる仕事は何だろうか?
◆ 自分が好きになれて、その人のことを年がら年中考えられる顧客はどんな人だろうか?
そんなことを考えた結果、ぼくは一緒に始めた友達にすべて話し、何もかも彼に全部譲って、ゼロから再スタートすることにした。
もう嫌な仕事はやめて、一人でやれることを探そうと思った。そして、自分のことを振り返ってみると、ダイレクト・マーケティングは大好きで、いくら勉強しても学び足りないくらいだったから、ぼくはこの分野で日本一になろうと思った。ダイレクト・マーケティングでは広告コピーを書く技術が極めて重要なので、その分野を攻めようと思った。それでフリーの広告ライターにでもなろうかと考えたわけだ。
◇ ◇ ◇
そう思って始めたのが、今の会社である。
「社会を変えてやろう」という大志があって今の会社をやり始めた、と言いたいところだが、残念なことに、最初からそんな大志を持っていわけではない。最初は特に強い理由もなく、「一人で自由に仕事したい。んで、できれば収入も人より多く欲しい。それに仕事するなら会社がないといけないな」……くらいのノリだった。
そんな感じで始めた会社なのに、今度は最初からうまくいった。
なぜなら、それまでにダイレクト・マーケティングをかなり学んでいて、どうすれば顧客を獲得できるのかということがわかっていたからだ。ぼくは海外の情報を学んでいたので(マーケティングに関して、米国は日本の3~5年先を行っている)、最初から他の人とは違ったことができ、ヒットさせられた。
事業がトントン拍子に上手くいくので、最初の数年は面白くて面白くて仕方なかった。何となくゲームをやっているような感覚……。自分の考えたアイディアなり、やったことが、スグに反応として返ってくる。「ダイレクト・マーケティングは面白いなぁ~」という感じだった。
会社はどんどん成長して、人も増えた。ぼくの収入も以前より何倍にも伸びた。いろいろな人に評価もされた。しかし、ハッピーな気分で満たされるかと思ったら、現実はその逆だった。高級車を買って、いいところに住んで、一皿8,000円もするような美味しい料理を食べても、ハッピーどころかフラストレーションが溜まる一方だった。
「何なんだろう、これは……」
そのころには、自分が頑張らなくても、それなりに会社が回る状態になっていた。よく言われる言葉で言えば、“働かなくても収入が得られる状態”。「それって夢みたいな状況じゃん?」と思うかもしれないが、現実にはちっとも夢みたいじゃない。
思い返せば、会社を始めたばかりで大変だったころは、毎朝、目が覚めると「さぁ、今日は何をしようか?」とやる気に満ちていた。朝起きるのが楽しみでしょうがなかったし、月曜日が楽しみで仕方なかった。
しかし、そのころには朝、起きる理由がなかった。寝坊をするようになった。
そして「これはヤバイ」と思うようになった。
今から振り返ると、仕事に慣れてきて「チャレンジ」がなくなったんだと思う。ほとんどの仕事は、必死で頑張らなくても、そこそこできるようになってしまった。10年続けられる仕事、自分が好きになれる顧客を考えて立ち上げたビジネスであっても、自分のキャパシティ以上の「チャレンジ」がなくなれば、モチベーションは下がってしまうのだ。
考えてみると不思議なもんで、人間は苦労している時のほうがモチベーションが高いのかもしれない(あなたもきっと、仕事に慣れて楽にこなせるようになるころには、同じようにモチベーション低下を感じると思う)。
◇ ◇ ◇
「これはヤバイ」と思ったぼくは、「何かないか?」といろいろ探しまくった。
そしてある人に出会った。
それは、世界企業フランクリン・コヴィー社の共同創業者、ロイス・クルーガーという人物。ぶっちゃけ、彼との出会いは手違いから始まった。しかしその後、何年間にも渡ってビジネスのアドバイスやら何やらを受けることになり、ぼくにとってのメンターみたいな人になった。
彼から教わったのは、本当に単純なことだった。「そんなことも考えてなかったのか、バカ」と怒られるような、とっても単純なことだ。それは、
「顧客への貢献は何か?」
ということだった。
「そんなこと、当たり前だろ!」と思うかもしれないが、それまでのぼくは、ビジネスを「ゲーム感覚」でやっていた。
自分がうまく広告を作ると、売上という数字が上がる ― そんなゲームだったのだ。
自分のやっていることが顧客の人生にどんな貢献をしているかなんて、真剣に考えたことはなかった。もちろん「良い商品を提供したい」くらいのことは考えていたが、その先まで真剣に考えたことはなかった。
ぼくは「自分ができる貢献は何か?」「自分が今まで身につけた能力を使って、どんな貢献ができるか?」「自社の築いた強みをもってどんな貢献ができるか?」ということを真剣に考えた。おそらく、3~4年は考えたと思う。
ぼくはマーケティングの実務的な技術を学んだことで、人生が変わった。学ぶこと自体が好きで、とても楽しかった。本を読むのが大好きだし、知識欲が強い。正直、カネを払ってでも学びたいことはたくさんあるが、カネを払ってまで欲しいものはあまりない。
テレビのモニターが100インチになっても、あまり価値を感じない。
フェラーリや高級時計も別に欲しいと思わない。
それよりもっと知識が欲しい。
専門知識が欲しい。
世の中を知りたい。
成長したい。
技術を高めたい。
そんな欲求のほうがはるかに強い。
そのため、うちがやってきた事業は自然と、書籍の出版であったり教育コンテンツの販売であったりした。「知識は力なり」というが、人の人生をもっとも変えるものこそが教育だと信じている。高級品じゃない。そして学ぶことは面白い。
そういうところから、ぼくらは会社の使命、目的なるものを見出した。
ぼくらは教育コンテンツを広げることが、今の日本だけでなく将来のためにもなると考えた。それこそがぼくらの役目ではないかと思ったのだ。
◇ ◇ ◇
それをどのレベルまで達成できるか? ― それが今のチャレンジで、新しい困難だ。困難があるため、仕事は忙しくなった。しかし、以前よりはるかに充実していてハッピーである。
死ぬまでの夢もできた。将来の日本のために、日本にスタンフォード大学みたいな教育機関を作りたいなぁ、と思っているのだ。
スタンフォード大学は、シリコンバレーの生みの親みたいなもんだ。
今、ITの世界を米国企業が牛耳っているのは、スタンフォード大学の影響が極めて大きい。ヤフー、グーグルを筆頭に、さまざまなIT企業の経営者がここから輩出されている。そしてITの世界を牽引しているから、米国は未だに強い。
そういう教育機関が作れたら、将来の日本を強くして豊かな社会にすることに貢献できるんじゃないか。もちろん、今の時点ではやり方もわからないし、何もかも知らないことだらけ。できるかどうかもわからない。
しかし、そんなことを考えていたら、スタンフォード大学フーヴァー研究所の教授と知り合い、クライアント契約をして、教授の講座を販売することになった(スタンフォード大学は世界ランキング3位、「東のハーバード、西のスタンフォード」とも言われる大学で、フーヴァー研究所はそのなかでも格上の機関だそうだ)。
そして昨年は、フーヴァー研究所に日本初の研究基金も作った。日本の近代の歴史を研究する講座だ。
ぼくにとって、自分が人生でやるべきことを見失って迷っていた時、自分の天命、使命を見出す時、もっとも役に立ったのが歴史の知識だった。
ぼくらが学校で習ってきたことは一体何だったんだ? と思う。もし、最初からきちんとした日本の歴史を習っていれば、もっと早く自分のアイデンティティや使命などを見出すことができたと思う。
米国は未だに世界を牛耳っている帝国だが、ほとんどの米国人は日本の情報を知らない。それがぼくら一般人の知らないところで、日本社会に多大な影響を及ぼしている。ならば、米国における最高峰の研究機関であるフーヴァー研究所から情報発信をすれば、インパクトがあるのではないか、と考えて研究基金を設立することにしたのだ。
基金の設立に必要な金額は400万ドル(約4億8,000万円)。その時、うちの財務の担当者から象徴的なひと言を言われた。
「小川さん、オーナー社長でしょ。だからこの400万ドル、自分のものにできたんじゃないですか……?」
確かにそうだった。しかし今までの経験から、ぼくの銀行口座に4億円だか5億円だかが余計にあったとしても、ぼくの人生は何も変わらないし、オモシロくはならないと学んできた。
死ぬ時に「あいつは年収いくらだった」なんて言われることはない。
それよりも、そのお金を使って何かオモシロイ、価値あることをやったほうがいい。そして社会に何がしかの良いインパクトを与えるほうがいい。
そのほうがぼく自身も圧倒的に充実した人生を歩めるし、ハッピーになるだろう。そして死ぬ時は、「こんなことをやったぞ」と子ども達に誇れるようなことを残して死にたいと思っている。
そんなわけで、そのためにも優秀な人材を集めたいと思っている。
◇ ◇ ◇
だらだらと長い話に付き合ってくれてありがとう。こんな話を聞いても何の役にも立たないだろうが、たいした人間ではないぼくでも、それなりの挫折や成功の経験を積んできて、10年以上の会社経営経験から学んだことが、少しはあなたの役に立つんではないか? と思ってもらえたら嬉しい。