八峰町→椎茸ではなかった
八峰町のことを調べていて、一番驚いたのは椎茸の話じゃありませんでした。
この町、もともと魚の町だったんです。
椎茸の会社にいる人間が言うのもなんですが、八峰町の歴史を追っていくと、椎茸より先にハタハタが出てきます。
しかもその歴史が、想像していたよりずっと重い。
八峰町の八森・岩館の海岸には、毎年11月の下旬から12月にかけて、ハタハタが産卵のために押し寄せてきます。
町ではこれを季節ハタハタと呼んでいて、この時期になると漁船が一斉に出て、港が一気に活気づく。
町の公式サイトには、ハタハタなしでは正月を迎えられないと言われるほどの魚だと書かれていました。
塩焼き、煮付け、しょっつる鍋、ハタハタずし。
淡白な身と、ブリコと呼ばれる粘り気のある卵。雪に閉ざされる冬の、貴重なタンパク源でもありました。魚を塩漬けにして発酵させたしょっつるという魚醤は、今も秋田の料理を支えています。
秋田の民謡の中でも、八森はハタハタの産地として名前が挙がります。
つまり、単なる特産品じゃない。暮らしの真ん中にあった魚です。
数字を見ると、その規模がよく分かるんですが、昭和38年から50年までの13年間、秋田県のハタハタ漁獲量は毎年1万トンを超え続けていました。
多い年には2万トンに届いたこともあるそう。
県全体の海面漁獲量の半分前後を占めていた時期もある。
町の経済も、暮らしのリズムも、この魚を中心に回っていたということになります。
その魚が、消えた。
昭和51年をピークに漁獲量は落ちていき、平成3年、ついに70トン。
全盛期の百分の一以下です。
原因については当時から議論があって、県の水産部は取り過ぎという見方を示していました。実際、豊漁に沸いた20年間の漁獲量は、それ以前の60年以上分の記録の二倍近くに迫っていたそうです。獲れる時に獲りすぎた。
そういう構造だったと考えられていました。
ここからが、この町の歴史で一番すごいところだと思っています。
平成4年の9月から、秋田の漁業者たちは3年間の全面禁漁に踏み切りました。
誰かに命じられたわけじゃなく、
自分たちで決めて
自分たちの生活の柱を
自分たちで止めた。
秋田県立大学の客員教授を務めた研究者によれば、国が禁漁を課すことは世界中にあっても、漁師が自主的に禁漁を選んだのは秋田だけだそうです。
世界で唯一。
それくらい、この魚を失うことへの危機感が強かった。
しかもこの禁漁、始める前から終わり方まで決めてありました。
3年で解除すること。
解除後は総資源量の半分までしか獲らないこと。
その半分を沿岸と沖合で6対4に配分すること。
船ごとに枠を割り振って、達したらやめること。
三年間、収入をどうしていたのかまでは資料から読み取れませんでしたが、当時の関係者は、県民が一体となって応援してくれたから続けられたと振り返っています。
魚屋も、料理屋も、食べる側も、三年間我慢した。
そして結果が出ます。
平成20年、漁獲量は2,938トンまで回復しました。
資源管理の成功例として、今も紹介されることがあります。
話はここで終わっていない。
2010年ごろから、また減り始めました。
今度の原因は乱獲ではないとされており、日本海の水温上昇。
県の水産振興センターは「近年は海水温の上昇がハタハタの再生産を阻害している」という見方を示していて、だから今さら禁漁しても効果は限定的じゃないかという声もある。
報道によれば、直近の漁期の水揚げは約6トン。
禁漁前の最低値だった70トンの、さらに十分の一以下です。
一度は自分たちで漁を止めて、何年もかけて戻した。ルールも作った。守り続けた。
それでも、海の"側"が変わってしまったら手の打ちようがない。
あれだけのことをやった人たちが、それでも届かない場所に問題が移ってしまっている。
この経緯を読んでいて、少し息が詰まりました。
もうひとつ、資料を読んでいて引っかかった点があります。需要の"側"の話です。
秋田県内でハタハタを食べる世代が高齢化して、人口も減って、県内の需要そのものが縮んでいる。
獲れる量が減っただけじゃなく、食べる人も減っている。
しかも、外に向けた加工品の開発や販路の開拓は、これまでほとんど行われてこなかったという指摘がありました。
近年になって、ハタハタずしの発酵臭を抑えた商品や、スモークしてオイル漬けにした商品が出てきているそうで、県外でも評判になっているらしい。
ただ、それが始まったのは資源が二度目の危機に入ってから。
獲れているうちに、外に届ける形を作っておく。
言葉にすると当たり前なのに、実際にはとても難しい。
目の前に十分な量があって、地元で十分に売れているうちは、その必要を感じないからだと思います。
ハタハタが教えてくれた私たちの宿題
ここまで調べて、椎茸のことを違う角度から見るようになりました。
屋内で温度と湿度を管理して、季節に関係なく育てる。
海の状態にも、その年の水温にも左右されない。
それは、この町が一度失ったものの、ちょうど真逆にある仕事です。
冬に港が活気づく光景と、雪の中でも一定のペースで椎茸が育っていくハウスの光景。
同じ町の中に、対照的な二つの働き方が並んでいることになります。
片方は自然が決める。もう片方は人が決める。
正直に書くと、うちが椎茸をやっている理由がハタハタの不漁にある、と言えるだけの裏付けは持っていません。
時期も違うし、そこを結びつけて語るのは後付けになります。
会社の歴史と町の歴史は、別々の線として動いてきた部分の方が大きいと思います。
それでも、この土地が「自然任せでは食べていけなくなった」経験を持っている場所だということは、知っておいて損はないと感じました。
海がだめなら山、山がだめなら次。
八峰町にはかつて銀山も油田もありました。
地面の下や森の中や海の中にあるものを、その時々で生業に変えてきた土地です。
そして、椎茸なら永遠に安泰かというと、それも違うと思っています。
資材の価格も、燃料費も、消費者の好みも変わる。担い手の年齢も上がっていく。
今うまくいっている形が、二十年後も同じ形で残っている保証はどこにもない。
ハタハタの歴史が教えてくれるのは、たぶんそこです。
そして、ハタハタの人たちが直面したもうひとつの課題、つまり「獲れているうちに外に届ける形を作っておく」という話は、そのまま自分たちへの宿題でもあります。
売れているうちに次を作る。
これは頭で分かっていても、日々の出荷に追われていると後回しになりやすい。
だから今、椎茸の次を考えるという話が社内で出ていることも、そんなに突飛な流れじゃない気がしています。
まだ形にはなっていませんし、専任で動く人もいません。
何をどう組み立てるかも、おおよそ決まってきた感じの段階。
ただ、この町は一度それをやったことがある町です。
全部が沈んでいく途中に、それでも次を選んだ人たちがいた場所で、また同じことをやろうとしている。
そう考えると、レンチナスがその先を作る理由もあって、レンチナスで働くのも悪くない話だと思っています。