- ソリューションセールス
- オープンポジション
- データアナリスト
- Other occupations (1)
- Development
- Business
- Other
Mediiでは患者さんへの理解を深めるため、実際の患者さんとMediiメンバーの交流の場「Medii Patient Voice」を定期的に開催しています。
今回お話を伺ったのは、視神経脊髄炎スペクトラム障害(NMOSD)という難病とともに生きる坂井田真実子さんです。坂井田さんは、音楽大学大学院を修了しヨーロッパへ留学後、オペラ歌手として国内外で活動。37歳のときにNMOSDを発症しました。リハビリを経て再び歩けるようになり、現在は体調と向き合いながら、ソプラノ歌手としての活動にも復帰。RDD Japanのアンバサダーも務めながら、NMOSDの患者会を立ち上げ、啓発活動にも尽力されています。
オペラ歌手としてのキャリア、発症当時の体験、リハビリの過程、そして患者会設立に込めた想い──病気とともに歩む人生と、その中で見出した希望について率直に語っていただきました。
オペラの舞台から病院のベッドへ──発症の衝撃
坂井田さん:
こちらは私がオペラ歌手として活躍していた頃の写真です。主要なオペラの舞台にも立ち、オーケストラと共演していました。ボローニャやウィーンへ留学もして、これからキャリアを本格的に築いていこうと考えていた──そんな2016年、私はNMOSDを発症しました。
この病気は、遺伝やウイルスが原因ではなく、自己抗体による自己免疫疾患に分類されます。再発率が高く、現在のところ根治治療は存在しません。また、患者の約9割が女性で、特に30代後半から40代前半に発症しやすいとされています。
NMOSDというのは、抗アクアポリン4(AQP4)抗体が脳や脊髄の神経細胞を攻撃して炎症を引き起こし、神経障害をおこす難病です。この病気にはまだ根本的な治療法がなく、再発率も高いとされています。
炎症が起こる場所により、さまざまな症状が起こります。私の場合、約1カ月間にわたって37度前後の微熱が続き、太陽の光がまぶしくてたまらなかったり、腕の後ろに電流が走っているようなピリピリした感覚があったり、倦怠感が強く出たりしていました。さらにはしゃっくりが止まらないという奇妙な症状もありました。
そんな日々が続いた末、あっという間に脊髄のC2からT10まで広範囲に炎症が及びました。あと5分遅ければ、横隔膜の神経まで障害されて呼吸ができなくなるところでした。
一人の医師の気づきと、不可能を可能にしたサポート
坂井田さん:
実はNMOSDは、診断に至るまで時間がかかったり、他の病気と間違われたりして、症状が進行してしまう患者さんが少なくありません。失明してしまった方や、適切ではない治療でかえって悪化してしまったという話も聞きます。私の場合は本当に運が良く、素晴らしいドクターに巡り合うことができました。
最初に痛みと熱で病院にかかった時は、帯状疱疹と診断されたのですが、次の日にもう一度同じ病院を受診したところ、専門医ではなかった主治医の先生が「これはNMOSDかもしれない」と気づいてくださいました。先生は常に様々な情報にアンテナを張っていて、NMOSDの可能性が高いと判断し、すぐに治療を開始してくださいました。そのおかげで、私は命を落とさずにすみました。
これは入院時の所見なのですが、痛覚過敏を起こした黄色いところは、まるで熱した剣山でガリガリと皮膚を擦られているような痛みがありました。四六時中、寝ている時も痛むのです。あとは温度が分かりにくくなったところや、麻痺をしてしまった箇所もあります。ソプラノ歌手としては戦力外通告を受けてしまう状態で、2ヶ月間の急性期治療をしました。その間は、生活の全てにおいて人の手を借りないといけないという状態でした。
しかし、全く起き上がれない状態だった時も、私の「歌の練習をしなければオペラ歌手としてのキャリアが絶たれてしまう」という切実な思いを主治医の先生が聞き入れてくださったんです。病院内でピアノのある部屋を探し出し、私を車椅子に乗せ、体がずり落ちないように縛り付けて練習することを許可してくれました。
患者が何を一番大切にしているのかを理解し、手を差し伸べてくださる医療従事者の方々が周りにいてくださったことは、本当に大きな支えであり希望でした。実は、急性期治療の最中にストレッチャーでコンサートホールへ向かい、車椅子で歌ってまた病院へ戻る、ということまでしたんです。それほど、私の大切にしているものを一緒に大切に考え、ケアしてくださる方々に恵まれました。
急性期が過ぎると、次はリハビリです。
「どうやってリハビリで歩けるようにしたのか」とよく聞かれるのですが、まずは足の裏に「自分の重心がのっている」ということを思い出させます。ただ感覚障害があるのでイメージを落とし込むしかありませんでした。また、理学療法士のための教科書を読んで、歩くという動作を分析して、どのようにすれば自分のイメージと動きが連動するかということを一つひとつ意識しながら、ひたすら訓練しました。
その結果、再び歩けるようになり、今では体調と相談しながらですが、ソプラノ歌手としての活動にも復帰しています。
難病ゆえの“理解されなさ”と孤独
坂井田さん:
今はオペラ歌手として活動し、患者会活動も行っていますが、こうやって皆さんとお話ししている、今、この瞬間も、肋骨のあたりに猛烈な痛みがありますし、体勢を長時間維持することにも体力を使います。
「完治するまで周りには言わない方がいい」。そう知人から言われたとき、本当に心に突っかかりました。NMOSDは、完治するということはまずない病気なので、元の体に戻ることはありません。だからこそ、その言葉は私にとって「舞台に立てる可能性」を否定されたような気がして、とても苦しいものでした。
他にも「普段の生活を送れるの?」「早く良くなるといいね」「いつ治るの?」など、おそらく難病というものを全く知らない人に言われました。やはり、NMOSDや難病はあまり知られていないのだなと感じました。
以前、NMOSD患者会でwell-beingに関するアンケートをとりました。30名の方にご協力いただき、一番楽しかったこと、元気を出す裏ワザ、一番笑ったことを回答していただきました。
例えば今年一番楽しかったことを思い出してください。という質問では、以下のような回答がありました。
私が好きなのは一番右の「ペット」に関することなのですが、『何も怖いものがなさそうな体重5キロを超える我が家のオス猫が、ヘアアイロンが苦手で見るたびに驚きビヨーンと飛び上がること』。多分これって皆さんが今年楽しかったと思っていることとほとんど変わらないことだと思います。たとえ難病を持って生活していても楽しいことは楽しいのです。
ただ一方で、13%の方が「病気の不安・痛みを抱えていて楽しいことはなかった」と答えました。
『去年の10月にNMOSDと診断され入院したので、とにかくリハビリと病院で心のゆとりがなく本来の笑いはなかった。身体の症状が少し良くなったと思ったら、今までなかった痛みが出てきて痛み止めの薬が増えた。』
この痛みは、本当にものすごく痛くて痛み止めを飲んでも何も変わらないんです。何もしなくても涙が出てくるような痛みと皆さん戦っています。
患者自身による“トリセツ”──寄り添うためのヒント
坂井田さん:
ここで私の『トリセツ』を、ご紹介したいと思います。
【普通の集中力を期待しないでね。】
この痛み止めのせいでどうしても感覚が鈍ってしまいます。なのでやったはずなのにやっていないとか、メール返したはずなのに返せていなかったなんてことが日常茶飯事に起きます。
【急に席から立ち上がっても気にしないでね。】
先ほど言いましたが排泄障害があります。とにかくお手洗いに行きたいと思ったら我慢できません。急に席から立って「ごめん」っと言いながらお手洗へ行きます。
【ハグをするならギュッとね。話す時は真っ正面に来てね。】
久しぶり〜なんて言ってわさわさと背中を触られると傷口に塩を塗られる様に痛いんです。もしするならギュッとハグして欲しいです。そして話す時は横を向くとバランスや頭の中がクラッとするので気をつけていただければ嬉しいです。
【冬眠時期があります。】
NMOSDの症状で過眠があります。例えば夜寝て次の日の夕方の6時ぐらいまで寝てしまいます。ミーティングをすっぽかしてしまうという申し訳ないこともあります。
視神経脊髄炎が取り残されない社会を目指して
坂井田さん:
2021年10月に日本視神経脊髄炎患者会を設立しました。そして翌年4月にNPO法人となりました。10月24日NMOSDの日を発案しました。
公式サイト:https://nmosd-japan.com/
私たちは「視神経脊髄炎が取り残されない社会~見えない痛みに耳を傾け 隠れている弱さに手を差し伸べる~」というビジョンを掲げています。現在全国で約6,000人のNMOSD患者がいます。視神経脊髄炎の為だけにフォーカスした患者会が日本に存在していなかった為、設立する事になりました。
また国指定難病の表示ですら「多発性硬化症/神経脊髄炎」と単独の表示がされていません。それ故に多発性硬化症という表示を見て、視神経脊髄炎は難病ではないのではないかという、大きな誤解をされることがあります。
現在会員は350名います。海外在住の方や、北海道から沖縄まで日本各地から参加してくださっています。Zoomを使ったNMOSDカフェや、製薬会社との共催セミナーなど、様々な企画を行っています。私たちの会は一切会費をいただかない会なので、常にお財布状態は危ないのですが、より良い情報を皆さんにお届けする為、日本初のNMOSDにフォーカスした患者会として頑張っております。
これからも、「視神経脊髄炎が取り残されない社会」を目指して、仲間たちと一歩一歩大切に歩んでいきたいと思っています。難病であっても、人生は止まりません。だからこそ、声を上げられる人が声を上げ、誰かの希望になれるような活動を続けていけたらと思っています。
Mediiとして
NMOSDという難病を「知る」ことは、その診断や治療に携わる医療者だけでなく、社会全体にとっても大切な第一歩です。
今回のPatient Voiceでは、坂井田真実子さんが語ってくださった日々の痛み、不安、そしてそれでも前に進み続ける姿を通じて、私たちは「見えない苦しみ」の存在と、それに向き合う強さをあらためて学びました。
Mediiは、こうした声を受け止め、医師が専門的な支援にすぐにアクセスできる仕組みを通じて、患者さんの早期診断・治療の最適化を支えていきたいと考えています。
同時に、医療者・患者・社会の垣根を越えて、「知られていないことを知る」「声なき声に気づく」機会を、これからも創っていきます。
「誰も取り残さない医療を。」
その言葉が一人ひとりの現実に届くように、Mediiはこれからも挑み続けます。
坂井田さん、貴重なお話を本当にありがとうございました。