第1回:父から学んだ厳しさと温かさ
私は昭和49年、福島に生まれました。父母と2歳下の妹、4歳下の弟の5人家族。いわゆる「長男」として育ちました。今振り返れば、この「長男である」ということが、後の私の生き方に大きな影響を与えているのだと思います。
父は学生時代、高校では柔道を、大学ではラグビーをやっていた体育会系の人でした。卒業後は〇〇〇という会社に就職し、その後は実力を認められ、着実に出世を重ねていきました。家では厳しく、特に私には人一倍きびしい態度をとっていました。当時の私は、父に近づくのが怖く、半径1メートル以内に入ることもできませんでした。
しかし、父が52歳で病に倒れ、あっという間に逝ってしまったとき、私はまったく違う一面を知ることになります。葬儀は社葬として営まれ、会場には会社の同僚や部下が大勢集まりました。父の遺影の前で、大の大人たちが涙を流し、肩を震わせていました。私が知っていたのは、家での厳しい父の姿だけでしたが、仕事の場では多くの人から信頼され、慕われる存在だったのです。
その時初めて「父は本当にすごい人だった」と気づかされました。そして、亡くなった後に母から聞かされたのは、父が私に厳しく接していたのは「長男としてしっかりしてほしかったから」だということでした。父なりの愛情の形だったのでしょう。
振り返れば、父から教わったのは「強さ」と「責任感」でした。子どもながらに理解できず、ただ怖いと感じていたことも、今ではありがたい財産として受け止めています。
そしてもうひとつ、父から学んだことがあります。それは「人から信頼されることの大切さ」です。人は一人では生きられません。周りの人に信頼され、支えられてこそ、自分の力を発揮できる。父の葬儀での光景は、私にその真実を強烈に刻み込みました。
翔空会を立ち上げるまでには、たくさんの出会いや転機がありました。その原点には、間違いなく父の存在があります。厳しくも温かく、そして人として尊敬される姿。あの父の背中を思い出すたびに、私は「人に信頼される仕事をしたい」と思い続けてきました。
この連載では、私自身の歩みを振り返りながら、翔空会がどのように生まれ、どんな存在意義を持っているのかをお伝えしていきます。どうぞお付き合いください。