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違和感を否定しない。自ら考え行動することで見つけた「私らしい」働き方
訪問診療との出会い、そしてときわへ私が訪問診療の仕事に興味をもったのは、大学を卒業後、7年間勤めていた住宅リフォーム会社での出来事がきっかけでした。その会社では営業のサポートをしていましたが、高齢のお客様が、将来的に病気で入院する可能性や自力での日常生活が難しくなっていくことへの不安から「ずっとここに住み続けることは難しいのかもしれない」と話されていたのを多く聞きました。そんな状況を耳にして「私にできることはなにか、どう関われるだろうか。住み慣れたところに少しでも永く居ていただくにはどうしたらよいか。」と考えている時に訪問診療の存在を知りました。その後、車で食事を配達する宅食業を経て、訪...
医療従事者ではない私も診療チームの一員に
転職のきっかけはまさかの「占い」でした接客が好きなので、製パン・製菓・レストランでの接客業を長年やっていましたが、一度産業廃棄物の会社の事務職に転職した時期がありました。事務は私しかいない小さな会社だったので全てのことを任される大変さもありましたが、調べたり工夫したりしながら会社の動きを管理する仕事はとてもやりがいがあり楽しかったです。しかし、新たに始めた事業が上手くいかず、稀にみるガソリンの高騰で勤めていた会社は倒産、その後住宅メンテナンスの仕事に転職しましたが、住宅メンテナンスの仕事は体力勝負でこの先長く続けられる自信がありませんでした。年齢等を考えると転職する勇気がなく諦めかけてい...
自らの夢を見つめながら、仲間の働きやすさを求めて日々邁進
自分と似た状況の子供達を助けたい、「訪問診療」の可能性に出会う私がときわに応募し、働き始めたのは「訪問診療」という医療の「かたち」に興味を抱いたのが理由でした。私は高校を中退し、金属加工工場での事務や、エンジニアを派遣する会社でエンジニアのような仕事をしていました。高校を中退したのは、端的に言えばうつ病と診断されたのですが、個人的には何だったのかよくわからず、ただその時の自分は「もう学校に行きたくない、行けない」という状態でした。その後、マイクロチップを製造する工場で働いている時に東日本大震災が起きました。震災による被害を目の当たりにし、「今自分にできること、やりたいことをやろう」と思い...
ひとつひとつステップアップ、憧れの認定看護師を目指して
新たな場所で「在宅医療」という新たな挑戦2022年4月に夫の転勤で高知から上京してきました。初めての土地なので生活基盤を整えて、と思っていたらあっという間に10月に…。やっと落ち着いたので仕事を探そうと思い、ネットで検索をしました。高知では4年間病棟の看護師として働いていましたが、在宅医療の経験を積みたかったので、東京で訪問診療を行なっているクリニックの求人を探しました。「訪問診療の看護師」の募集を見つけて、家からも近く、経験年数の規定がない点や「人に寄り添い、未来に挑む」という理念に惹かれ、ホームページを見て興味を持ち応募してみたのがときわでした。「訪問看護師」と「訪問診療の看護師」、...
「人のために何かしたい」その思いが繋ぐ、在宅医療への架け橋
自分と向き合い出した答え私が医療や福祉に興味をもったきっかけは、看護師をしていた母からよく仕事の話を聞いていて、医療が身近にあったことです。自分の将来を考え始めたときに、初めは看護師も考えていました。しかし、当時の自分の性格は、ハキハキしているところがあるものの結構ゆったりしている面もあり、看護師だと覚えることや動き回ることが多い印象だったので、自分には向いていないのではないかと思うところがありました。そこで、他の職種で人の役に立つ仕事はないか母に相談したところ、福祉の道を進められ、福祉を学べる学部のある大学に進学を決めました。大学1年次はソーシャルワーカーについて学ぶため、講義などの座...
「地域に根ざした医療を支えたい」相談員として在宅クリニックで経験を積む
実体験から知った福祉の仕事、地域医療に興味を持つ私のもともとの夢は保育士でした。しかし、大学受験の時に保育士に必要な音楽の教養について自分を顧みると、音痴であることと、ピアノが弾けないなど基礎が足りないことに気が付き、進路を考え直すことにしました。そんな時に思い出したのが、中学生の頃に祖父が入院した病院で出会った「ソーシャルワーカー」でした。祖父が入院するまで、病院で働いている人のイメージは、医師や看護師、理学療法士がいるくらいだと思っていましたが、病院の窓口になり患者家族をサポートしてくれる人がいて、その人が「ソーシャルワーカー」という職業であると聞き、初めてその存在を知りました。そし...
「わからない」を認め、患者一人ひとりに「寄り添う」相談員の仕事
身近にあった病気、医療を仕事にすると決めて医療に興味をもったのは、父が難病の脳の悪性リンパ腫を発症したのがきっかけでした。最初に志望していたのは教師でしたが、医療業界への興味を捨てきれず、大学受験のセンター試験3ヶ月ほど前に進路を医療業界へ変更しました。ただ自分は看護師には向いていないと思ったので、臨床検査技師という職業があることを知って目指すことにしました。しかし、臨床検査技師の学科を受けるための科目を高校で受講しておらずセンター試験が意味を成さなくなってしまい、進路変更をしても行ける私立の大学一校に絞って受験しました。結果として、4年制大学の臨床検査技師の学科に入学することができまし...
MSWとして退院支援をする側から在宅医療の相談員として“迎える側”へ
社会福祉士を目指すきっかけは先生との出会い私は大学を卒業後、全床急性期の病院でメディカルソーシャルワーカー(MSW)として、主に退院支援を行っておりました。3年目からは新人教育を任されスーパーバイザーとしてMSWの教育を行いました。自分自身のケースを抱えながらの教育は大変でしたが、新人の方と一緒に成長した日々でした。社会福祉士の存在を初めて知ったのは、大学のオープンキャンパスでした。その大学では精神保健福祉士を専攻すると社会福祉士も取得できる制度となっていて、そこに魅力を感じ、どちらかの資格を取得し仕事にしたいと思い大学進学を決めました。大学進学後、精神保健福祉士の実習先が作業所と精神科...
仕事も子育ても楽しい!外で仕事をすることが幸せな子育てに繋がっている。
介護領域から医療領域へ大学卒業後、大学病院で臨床研修を行い、その後医療療養型・急性期病床・介護療養型病床の病院、特別養護老人ホームや有料老人ホームなど老人医療に携わってきました。 入職前2年ほど勤めた老人保健施設は在宅復帰70%以上の施設だったため、在宅医療の先生方とのやりとりも多くあったのですが、在宅診療のバックアップ度合いによって利用者が自宅に戻った後、再入院をせずに居られる時間が変わるという経験をして、在宅医療の道へ進みたいと考えました。ときわの未来に私も一緒に貢献したい前職での経験があったので、転職の際にはクリニックとして24時間365日真摯に診療を行っていることはもちろん、さま...
一般企業から看護師へキャリアチェンジ 在宅看護だからこそ実現できる 「寄り添う」医療の形
諦めていた看護師を目指しキャリアチェンジ私は、実は学生時代から看護師を志望していたのではなく、一度他業種に就職してから看護学校へ再入学し看護師になりました。高校卒業後、はじめは人と関わる仕事に就きたいという思いから、航空関係の専門学校でマナーや接客を学びました。卒業後はもともと鉄道に興味があった為、鉄道関係の会社に就職し新幹線でのパーサー職として切符を見たりワゴン販売をしていました。その後、知り合いの誘いもありアパレル関係への転職を経験しました。アパレル関係ではお客さまの好みに合わせて商品の提案をしたり、コミュニケーションをとり相手の求めているものを提供することはとても楽しかったのですが...
患者さんと社会への価値の最大化を追い求め続ける
ときわの果たすべき役割 医療の水準は日々上昇し、誰もが高度な医療を享受することができるようになり、以前は治らなかった病気も治すことや症状をコントロールすることができるようになりました。その一方で、患者さんの治療方針は医療提供する側や業界の都合によって決められてしまい、これまで患者さんの希望は後回しにされてしまうこともありました。医療法人社団ときわは、そのように医療の都合によって患者さんの選択肢が制限されてしまう医療の現状を変えたいという思いをきっかけとして赤羽の地にて発足いたしました。ときわは「人に寄り添い、未来に挑む。」を理念に掲げ、質の高い医療を提供すること、そして社会インフラとして...