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「人のために何かしたい」その思いが繋ぐ、在宅医療への架け橋

自分と向き合い出した答え

私が医療や福祉に興味をもったきっかけは、看護師をしていた母からよく仕事の話を聞いていて、医療が身近にあったことです。自分の将来を考え始めたときに、初めは看護師も考えていました。しかし、当時の自分の性格は、ハキハキしているところがあるものの結構ゆったりしている面もあり、看護師だと覚えることや動き回ることが多い印象だったので、自分には向いていないのではないかと思うところがありました。そこで、他の職種で人の役に立つ仕事はないか母に相談したところ、福祉の道を進められ、福祉を学べる学部のある大学に進学を決めました。

大学1年次はソーシャルワーカーについて学ぶため、講義などの座学がメインでした。福祉について学ぶ中でゼミの教授から医療ソーシャルワーカーの存在を聞き、そこで初めて医療ソーシャルワーカーという仕事を知りましたが、実際に深く興味を持ったのは実習がきっかけです。

私は、福祉施設や病院の中から実習先として病院を選び、3年次には社会福祉士の実習を1ヶ月間、4年次には医療ソーシャルワーカーについての実習が10日間ありました。どのように支援を進めていくのか、1人ずつ担当のワーカーさんに付いて仕事を進めながら学ぶ濃い内容でした。講義でも医療ソーシャルワーカーについて学ぶうちに、福祉施設などではなく病院やクリニックなどの相談員に興味が湧き、実習を経験するなかで自分が医療ソーシャルワーカーに向いていることも確認できて、目指したいという気持ちが固まりました。


実体験から選んだ「在宅医療」の道

ときわとの出会いは、大学のゼミの教授が理事長の小畑先生と繋がりがあり、紹介をしてもらったことでした。また、他のゼミ生がときわで相談員の実習をしていたので、話を聞いて興味を持っていました。そのため、実習先の病院での「医療ソーシャルワーカー」とときわでの「相談員」の両方にエントリーをして就職活動を行いました。


ちょうどその時期に祖父の病気が進行し、病院のカンファレンスに家族側として参加する機会がありました。病院側からはもう少し入院したほうがいいという話があったのですが、祖父や家族としては自宅で最期を迎えたい、迎えさせてあげたいという思いがあったので、その時は母の勘で退院を決断しました。そして、退院した翌朝に祖父は自宅で亡くなりました。もしあの時、退院できていなかったら、祖父や家族が思い描く最期を迎えられなかったと思います。その経験から、患者さんやご家族に寄り添い、希望にあわせた支援をしていくために、病院ではなく在宅医療の現場で働いてみたいと思い、在宅クリニックでの「相談員」の道を選択しました。また、ときわの「人に寄り添い、未来に挑む。」という理念に共感し、入職を決めました。


相談員の仕事、経験が生んだ言葉以外の対話

在宅クリニックでの相談員の役割は入職時には想像がつきませんでしたが、実務を経験していくうちに、ご家族や病院との調整や訪問ルートの調整など幅広い業務を担当していくことがわかりました。

私たち相談員は、病院や患者さんご本人、ご家族からの依頼を最初に受け、関係者それぞれからヒアリングをしながら、多職種との連携を図り、訪問診療の介入に向けて調整を行なっていきます。医師が診療に入る前に、相談員が自宅へ事前に訪問し、当院の説明や契約、アセスメント、ADL(日常生活動作)のチェックや緊急連絡先などの確認、訪問診療の介入後どのようなところを医師にみてほしいかなど、細かくお話を伺っています。

事前訪問は多くの場合、ご家族にお話をお訊きしたり確認を行います。しかし、私は大学時代の研修の経験から、ご本人にも頷くことで答えられる質問をして直接お話をし、ご本人の反応を見て意思や気持ちを確かめるように心がけています。その研修とは、移動支援従事者の資格を取るためのものでした。移動支援は障害を持った方が外出をするときに同行して援助を行なう支援です。1、2週間ほどの座学と実践で取得でき、実践では重度の知的障害の方と動物園に行きました。最初はどう思っているのか、何がしたいかなど相手の意思がわからず困りましたが、次第に、質問に対して頷いてくれるなどの反応を見てコミュニケーションが取れるようになり、相手の緊張が溶けていき、ときどき笑顔が見られたり、私の手を引いて見たいところに連れて行ってくれるようになりました。そのような経験から、言葉を話せなくても気持ちは通じることを実感し、コミュニケーションを取る方法を見つけ、現在の仕事に活かすことができていますし、ご本人の意思をできるだけ汲み取ってあげたいと思っています。



大変さとやりがいは表裏一体

相談員の仕事で難しさを感じるのは、患者さんやご家族へ「伝える」ことです。訪問診療のシステムや詳細について、一度の説明で患者さんやご家族が理解するには難しい場合もあり、問い合わせや苦情、不満のお声をいただくことがあります。そのような時に、どう説明すれば理解していただけるかを考え、伝えていくことには苦慮します。

しかし、大変なこともある一方で、複雑な診察の日程調整がうまくできたときや、自分が担当した患者さんやご家族の希望通りに最期を迎えることができたときなど、いろいろな場面で感謝の言葉をいただくことがあるので、同時にやりがいも感じています。実際に、私が担当したがん末期の患者さんで、ご本人もご家族も、入院はせずに住み慣れた自宅で最期を迎えたいと希望されている方がいらっしゃいました。私は、ご希望を叶えるため、少しでも早く介入し、医師がサポートできるようにと体制を組みました。当院が診察に入れたのは数回で、想像よりも早く、介入から数日後にご逝去されましたが、早めの介入を進めたことで、自宅でのお看取りの希望を叶えられ、ご家族の方から感謝の言葉をいただいたことはとても記憶に残っています。



誰かのために「訊く」ということ

ときわでは、相談員が最初の窓口になるので、患者さんやご家族とお話する時に、必要なことをきちんと確認しなければなりません。そして、患者さんやご家族のニーズ、性格、環境などにあわせて、希望にあった選択ができるように提案をして、社会資源に結びつけていくことが相談員としての役割であると思っています。最初は相手が話してくれたことを「聴く」ことしかできず、自分から積極的に質問をしたり、話を深堀りしたりすることが難しいと感じていましたが、今では診療の際に先生方の話の種になりそうなことも意識して「訊く」ようになりました。新卒で入職してからの1年間は、電話対応の言葉遣いなども1から学ぶことができ、医療面の知識も増え、相談員としての役割も学び、成長できたと感じています。引き続き、スキルアップを目指していきたいです。


また、ときわに入職し相談員の仕事を始めて、自分の内面にも変化がありました。もともと誰かのために何かをするということが好きでしたが、さらに家族や身近な人のためにも何か恩返しをしたいと思うようになり、人のためになることを身近でもするようになりました。ただ、自分のことを後回しにしてしまうところがあるので、意識して自分のことも大切にしながら、これからも医療の現場で相談員を続けていきたいと思っています。

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