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意志と価値観を大切にしながら、”クラフトする喜びを生み出す”チームを創り続けたい。- COO interview -

相川京太
NineCraft取締役副社長。現場では〈クラフトディレクター〉としてクライアントが掲げるマーケティングやブランディング課題解決に向き合うプロジェクトディレクション業務に携わり、〈プロジェクトマネージャー(PM)〉としても目的達成のために作られたプロジェクトを管理する、別名:NineCraftの何でも屋。

25歳で経営者に。30人の壁で気づかされた、企業というチームの意志の重要性。

ーー本日はよろしくお願いします。2023年春頃NineCraftを共同創業されましたが、そこに至るまでの相川さんの経歴を教えていただけますでしょうか?

もともとは新卒でデジタルマーケティングに特化したコンサルティング会社へ入社し、その会社は社員10人のうち4人が経営者という一風変わった環境で、いわゆるどベンチャーで経営者と関わりながら現場で働いていました。

具体的には、Webプロモーションからサイト制作のディレクション、UIコンサルまで多岐にわたる領域を武器に、営業から実務まで担い、業種問わず様々なクライアントのWebマーケティングに携わっていました。経営者と近い距離で働きながら営業から実務まで幅広くかつ濃い経験を積めたこと、一切妥協を許さない上司からクライアントのことを想い、時に厳しいフィードバックを行う重要性について学べたことは、今でも財産だと思っています。

そうして2年ほどたった頃、当時一緒に働きたいと強く憧れていた同業の先輩からお誘いをいただき、そのうえ「せっかくなら、法人を立ててやってみる?」と提案されたんです。当時は私も25歳で、失うものが何もない状態でしたし、『経営に関わるようなチャンスは二度とないだろう。まずは思い切ってチャレンジしてみよう!』と思い飛び込んでみました。

ーーすごい度胸ですね!若くして経営者としてのキャリアを歩むことになったわけですが、具体的にはどんなことをされていたのでしょうか?

ちょうど2017年頃、世の中的にもWeb広告で売上拡大を目指す企業が加速的に増えていまして。それと同時に、一緒に動いていたメンバーの知見が深かったこともあり、売上拡大に特化したWeb広告代理事業を展開していました。

自分の動きとしては、広告運用実務から採用にバックオフィス、人が増えるにつれて組織マネジメントや経営業務全般まで、とにかくがむしゃらにやるべきことを調べて定義し、やり切ることを徹底していましたね。

オーナーや初期メンバーを中心にリファラルでの中途採用に恵まれ、長期インターンからの新卒採用の成功、事業トレンドにも乗れたこともあり、結果として、起業して4〜5年経った頃には、組織規模で30〜40名、年商10億円を超えるところまで成長しました。

こうして様々な役割を担っていたのですが、組織課題である〈30人の壁〉にぶつかりまして……。どうにか打破したいと思い、採用軸の見直しから、目標設定や評価制度を変更してみたりと色々試してたものの、なかなか上手くいきませんでした。

ーースタートアップならではの障壁ですね。その時はどういった組織課題があったのでしょうか?

というのも、広告代理事業に専念していたこともあり、評価や判断の中心がどうしても〈数字〉になりやすいという課題がありました。

また、時間投資型の実務であり、数字および自分自身と向き合う過程にやりがいを見出せない・なかなか継続できない人も出てきがちで。同業界の経営者・責任者と話をしていても、メンバーが組織に定着せず、2〜3年で転職を考える人が多い、ということも業界として抱えている課題だったと思います。

その課題に向き合って試行錯誤していく中で、「会社として大切にしたいことは何か」「何を大切にし、何のために売上を拡大させるのか」「どんな価値観を大切にしていくのか」これらの会社としての意志を持ち、徹底的にこだわることを大切にすべきだと思うようになりました。

そうして、オーナーや経営メンバーと議論を重ねたのですが、会社の方針としては、「何を大切にするべきか」という意志よりも、組織・チームとして数字を優先するという考え方から脱出することができなくて……。同時に、私自身の会社経営に対する価値観やベクトルが変わったことが分かり、『子会社の代表としてこのままで良いのか?本当にこれでいいのだろうか?』と葛藤を抱えていましたね。

経営責任があることは重々承知の上で、一度きりの人生と会社のことを考えた際にどのような選択をすべきか悩んでいたある時、現NineCraftの共同経営者である代表の鄭と再会しました。

葛藤のなかでの偶然の再会。徹底的に擦り合わせて生まれた、NineCraftの価値観。

ーー相川さんも組織に葛藤があるタイミングだったとは、運命的ですね。鄭さんとはもともとお知り合いだったのですか?

そうですね。出会いは高校卒業後1年通った福岡の予備校で同じクラスになったことでした。その予備校同期の友人の結婚式で約10年ぶりくらいに久々に再会しまして。

鄭は福岡の育児メディアのベンチャーで新卒時より働いていて、Instagramを活用したファンマーケティング事業を立ち上げたりとCMOとして活躍していました。ただ、自分でビジネスを立ち上げ、挑戦したいという気持ちが芽生えていたタイミングだったようで、まさかの巡り合わせでしたね。

また、私はこれまで子会社社長をはじめ様々な役回りを担ってきた中で、会社として理想的な状態は、すごく強い意志と求心力を持った人間が会社のCEOであるべきだと理想を描いていたのです。

その上で、その方の理想に共感でき、『強烈な熱量で先導する強みはCEOに任せながら、経営に関わりながら組織を作っていくスタイルが自分にフィットしているのではないか?』と漠然と感じていました。

ーーこれまでの経験も経て、ベストな立ち位置に気づいたのですね。相川さんの思う理想的なCEOというのが鄭さんだったのでしょうか?

まさにそうですね。鄭は、起業するならCEOとして自分の意志を貫いていきたいと思っていているものの、1人で独立する選択肢は当時なかったようで。

お互いに会社として何を大切にしたいか、こだわりたいことへの意志が強かったですし、3ヶ月ほどかけて、どんな会社にしていくか、どんなパーパスを掲げるか、どんな事業をするかを徹底的に話し合って会社を作ることを決めました。

そのすり合わせの中でも、意志の部分は鄭が先導してくれて、足りないところを私が補うことで新しい価値を生み出していける、ということは互いにイメージできましたね。

こうしたプロセスを大切にしながら、【クラフトする喜びを生み出し続ける】というパーパスを考え、会社として今も掲げながら大切にできていることを、自分でも誇りに感じています。

幼少期から積み上げてきた、へこたれない胆力と正直さ。

ーー現在に至るまでの相川さんのお話を伺ってきましたが、さらに遡って、今の相川さんを形作ったと感じる経験は何かありましたか?

それは3つに分けられると思っていて、まず1つ目は剣道を通しての経験ですね。小3から中3まで通算7年剣道を続けたのですが、小6あたりから本格的に道場に通うようになりまして。

中学からは平日は5時半に起きて朝練へ行き、授業が終わったら部活へ。その後は道場に行って、終わるのは22時前でしたし、土日も試合や合宿で休みがなかったですね。ヘアスタイルもほぼ坊主で(笑)、週7で剣道三昧の中学生活を送っていました。

今なら『本当に過酷な毎日をよくやり切った!』と思えますが、当時はしんどくてずっと辞めたいと思っていながら、なぜか辞めると言えなくて。引退まで頑張れば解放されるというゴールが見えていたからこそ、やり切りたい意地があったのかもしれません。

そんな経験もあり、今でも『あの剣道三昧の生活以上にしんどいことはないだろう』と思えますし、並大抵のことがあっても折れない相当な胆力がついたことは、結果的に財産だと感じています。

ーー相川さんに感じる胆力は、長年の剣道によるものだったのですね。そして2つ目は何があったのでしょうか?

大学受験過程の予備校ですね。私の通っていた高校は、滑り止めに私立大学を受けずに、国公立大学しか受験しない人が多いという不思議な文化がありまして。結果、落ちたら予備校に行くというのが一般的なルートになっていました。今思えば、バイアスがかかりすぎですよね(笑)。

私も例に漏れず、一発合格ならず予備校に通うことになったのですが、早朝から満員電車に揺られて行って、すごく狭い部屋に何十人と缶詰になって勉強する環境だったこともあり、入学当初からかなりストレスを感じていました。そうして我慢できずに1人でふらふら、カフェや地元の公民館で自習したり、人生で初めて1人で過ごすことが増えた時期でしたね。

こうして適度にサボることを覚えてからは、時には1人になる時間も大切だということ、自分の気持ちに嘘をつかなくて良いと気付くことができて。当たり前のことだったのかもしれませんが、私にとっては大きな経験になりましたね。

その後は生まれ育った九州を離れ、関西にある立命館大学経済学部に進学することになりました。そしてそれが3つ目の、強く影響を受けた東南アジアとの出会いに繋がります。

ーー唐突な東南アジアとの出会いですね!そこに至ったきっかけは何かあったのでしょうか?

親友がカンボジアの国際ボランティア団体に入っていまして。彼から団体の活動の問題や課題を日々聞かされ、一緒に考えたり議論していたら、いつの間にか入ることになっていました(笑)。

当時2012年頃は、ボランティア活動の1つとして発展途上国での学校建設ブームがあったのですが、その団体は学校を建設した後も、学校環境や教育面の継続支援をする珍しいタイプの団体で。私も最終的には、団体の副代表を担当してチームをまとめたり、カンボジア現地でボランティア活動を行うためのプロジェクト企画から進行など、素敵な幅広い経験ができました。

そんな経緯もあって東南アジアに惹かれて、大学生活中の通算3〜4ヶ月くらいはカンボジアやタイを中心に海外へ行っていましたね。

カンボジアでの〈幸せ〉への問いが、私を価値観に向き合わせてくれた。

ーー大学時代の海外経験を経て雷に打たれた感覚というか、価値観が大きく変わることってありますよね。

まさにそうですね。初めてボランティア団体の現地での活動として、カンボジアの首都プノンペンから8時間半程かかる支援中の中学校へ行き、その村に数日滞在していたのですが、良い意味で全てが不便で充実していなかったんです。

テレビもない、スマホどころか携帯もない、それなのにそこで暮らしている方々は、大人・子ども問わず、みんなすごく幸せそうで。

そんな彼らと比較して、日本や自分のことに立ち返った時に、『モノにも恵まれて生活に一切困っていないのに、幸せだな・幸せそうだと感じる場面が浮かばないな』と思ったんです。その経験が強く記憶に残り、それ以降は「幸せとは何なのか?」という、漠然としたテーマについて考えるようになりましたね。

ーー当たり前に満たされているのに幸せそうではない自分たちに気がついたことが、のちの相川さんを形作っていくのですね。

その経験は、私にとって大きな転換期だったと思います。そこからは『カンボジアで暮らす人たちはどのような幸福感を持っているのか?』という興味に繋がり、国際関係学の観点から、実際に現地の大学生に協力してもらいながら幸福度を調査もしましたね。

その過程で、とことん「幸せとは何か」「働くとは何か」ということと向き合い、私の中で考えをまとめられましたし、今思えば、これは自分自身への大きな問いだったのだと思いますね。

その後、迎えた就活でも「自分にとっての幸せとは何なのか?」という問いは、常に中心にありました。一定、幸せになるためには、自分がやりたいことを選べている状況が幸せに直結しますし、それにはもちろんお金も必要なので、そもそも働くという選択は欠かせません。

これからの長い人生を考えても、働く時間が大半を占めます。だからこそ、その時間を有意義にするために、自分が興味を持てない業界やビジネスをまず明確に整理し、その中でマーケティングに携わるビジネスに惹かれていきました。

なおかつ、自分の手に職をつけた方が未来を考えた時に安心だと思い、「様々な業界と関われること」「裁量権が大きいこと」「経営者に近い環境で働ける環境であること」の3つがあれば短時間で自力がつくだろうと考え、たどり着いた会社に新卒で入社しました。

ーー相川さんの人生にとって〈幸せ〉が一つのキーワードになっていたのですね。

そうですね。そしてそのタイミングから、リスクがある方を選ぶ感覚が出てきたと言いますか。リスクのない凪な状態と、リスクがあってワクワクする状態であれば、絶対に後者を選ぶようになりました。

それに、私が一緒に働いてみたい、関わっていきたいと思った人と、仕事ができることはこの上ない幸せだと思っていて、ずっと大切にしていきたいことなんです。その状態を作るためにも、自分自身がもっと魅力的な人間になっていくこと、ずっと磨き続けることは常に意識していますね。

No.2という肩書きのバイアスに別れを告げて、〈適応〉が私を突き動かす。

ーー好きな人たちと一緒にいるために自分が変化し続けなければいけないという感覚、すごく分かります。

今年の2月頃から自己理解と問いの理解を深めるために、コーチングを受けているのですが、〈適応〉という概念が、まさに自分が価値観としてすごくこだわって大切にしてきたことだったのだ、と言語化できまして。

適応ってすごくかっこいい、素敵なことだと思うんですよ。私はそもそも、いろんな変化を受け入れて適応することが当たり前だと思っていますし、新しいことや難しいことに適応しようとする自分にワクワクしてきたことに気づきましたね。

ーーなるほど、〈適応〉ですか。そこにこだわりを持つようになったのも、周りの方々が影響しているのでしょうか?

そうですね。自分も経営者になったことで景色が変わったのですが、『自分自身も変わり続けながら、日々問いを提供できる人が理想の経営者像だ』と改めて気づきました。

一緒に働きたいと思える、リスペクトできる人は常に何かに適応しようと努力していて、新しいことや知らない領域で活躍している人だと思いますし、そういう方々をリスペクトしています。これが私のモチベーションの中心にある価値観だったのだ、と明確になりすごくしっくりきていますね。

ーー相川さんご自身も〈適応〉し続けることが大切な価値観で、理想の経営者像としても〈適応〉がキーワードだと感じている中で、どうしてNineCraftではいわゆるCOOのポジションになろうと思ったのですか?

ビジョンやパーパスというものは北極星に例えられることが多いのですが、私は自身が所属する企業に対して、その北極星をどこにするか定めることがあまり得意ではない、と前職の経営の際に痛感していまして。

この北極星を描くことや、ビジョンを描くことが得意な人こそが、CEOなのではないかと思うのです。私はそれをできるようになるのではなく、『共感できる強烈な意志を持って北極星を描ける方と一丸となって、動いていけることが理想だ』と思っていたため、COOになりましたね。

ーー前職の時も立ち回りを工夫されていて、CEOとして引っ張るよりは、全体最適の黒子として動く方が相川さんとしても心地良かったのかもしれませんね。

確かにそうですね。スタートはフォロワーシップの指向性があったと思いますし、とはいえ去年の冬までは「理想のNo.2とは」「理想のCOOとは」というバイアスに囚われていたと感じています。

NineCraftで経営合宿があったのですが、その時にボードメンバーから「この会社は共同創業であり、CEO・COOの前に2人とも創業者であることをもっと大切にするべきだ!」と言われたことが、とても印象的で。その時から『これまではNo.2やCOOという肩書きに縛られすぎていたな』と腹落ちしたんですよね。

同時に、ビジョンを描いたり事業の中核となることは鄭に任せつつ、 私は自社を俯瞰しながら、領域問わず各フェーズでやるべきことを自直に推進できる経営者でありたいとも思えました。NineCraftのバリューと私自身の意志や価値観を大切にしながら、クラフトし続けられるチームを創り続けていくことが、私のミッションだと思っていますね。

誇れるパーパスとMVVを胸に。心の底から信頼できる仲間と共に、意志を問い続けていきたい。

ーーご自身の追い求めていた幸せな状態になれたのですね。相川さんは経営者として、今後NineCraftをどうしていきたいですか?

NineCraftは【クラフトする喜びを生み出し続ける】というパーパスを掲げているのですが、この本当に素敵なパーパスを本気で叶えたいと実感していますし、今後どれだけ組織の規模が大きくなったとしても、この想いを大切にしていきたいですね。

自らの意志で表現するクリエイティブな行為は素晴らしいものですし、クライアントさんはもちろんのこと、NineCraftに所属する自分たちもクラフトする喜びや楽しさを感じながら、1人でも多くの人に喜びを与えていきたいと思いますし、それができるチームを創り続けたいですね。

そして、ブランドビジネスの中で「意志を問うという行為」は稀有であり、なかなか実践できていないことなのだとクライアントワークを通じてひしひしと感じているので、新しいテクノロジーや変化に日々適応しながら、NineCraftが1つでも多くのクライアントさんに対し、意志を問い続けていきたいと思っています。

NineCraftが掲げている5つのバリュー

1:クラフト
自らの意思で「良い表現をつくる」という目的のみに集中し、こだわりを持ってものづくりに取り組むことで、受け手の心が動く表現をつくることができている

2:パーパスベース
条件だけでなく目的を共有して繋がりを作ることを意識してコミュニケーションを取ることができている

3:ギフトマインド
相手のニーズに便益を届けた後、ニーズを必要としない場所で自らの利益と関係のないギフトを相手に届けることができている

4:チームファースト
自分の利益ではなく、チームや仲間にとって利益となる選択肢を選んで行動することができている

5:リスペクトフル
どんな状況であっても、相手が誰であってもその人らしさを褒め称え、唯一無二の存在であることを肯定し、そのことを伝えられている

ーー最適化や効率化が求められることが多くなり、ものづくりにおいてもどこかドライな感覚が増えている空気感の中で、とても素敵なバリューだと感じます。

そう言っていただけて光栄です。このバリューにも鄭の価値観が強く反映されているのですが、NineCraftとして素敵なバリューがあるからこそ、メンバーそれぞれが持つ判断基準や価値観とは別軸となる、新たな判断軸を提供できていると感じています。

NineCraftの創業以降、私の価値観も日々アップデートされていますし、今ではNineCraftのバリューが私自身の価値観の一部になっていると実感していますね。

ーーこうした価値観を会社としても大切にしていけたら素敵ですよね。お話を伺っていて、相川さんにとって鄭さんは運命的なベストパートナーだったのだと感じました。

鄭にはすごく安心して任せられますし、逆に「私に任せて!」とも言えます。NineCraftにおいてNo.2という表現がしっくりこなくなったのも、もはや夫婦のような感覚といいますか……もちろん、私が奥さんですね(笑)。

ーー最後に、未来のNineCraftの仲間へ一言いただけますか?

NineCraftは、100年続くブランドを育てるチームをクライアント様と一緒に創っていきたいと本気で考えています。

同時に、「事業成長」と「理想のブランド像の実現」の両方を諦めずに実現させるために、伴走し続けていきたいと思っています。

この想いに共感いただけた方は、ぜひ気軽にお声がけください!



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