鈴木内科医院グループWantedlyをご覧いただき、ありがとうございます。採用広報担当です。今回は、2つのグループホームを管理する高井さんに、異業種からの介護転職そして未経験から管理者へのキャリアアップについてインタビューしました。
建築会社の総務部で15年以上勤務し、その後飲料メーカーを経て、平成27年に介護職として鈴木内科医院に入職。当時42歳、介護は完全未経験からのスタートでした。それから約10年、現在は2つのグループホームの管理者として活躍されています。高井さんがどのように新しい環境へ挑戦し、キャリアを切り開いてきたのか、ぜひご覧ください。
※この記事は2025年12月時点の情報です。
目次
建築会社での長いキャリアを経て踏み出した、転職の一歩
飲料メーカー時代と、介護業界との出会い
42歳で介護の世界へ。未経験から歩み始めた新しいキャリア
グループホームきよた2での学びと成長。異業種経験が活きた瞬間
グループホームきよたへ異動、そして管理者へ。次のステージへの新たな挑戦
異業種経験者だからこそ見える、介護の魅力と可能性
挑戦を支える環境がここにある
建築会社での長いキャリアを経て踏み出した、転職の一歩
── まずは高井さんのこれまでの経歴を教えてください。
私は建築会社で総務として約15年勤務していました。退職後は失業保険を受給しながら短期のアルバイトを続ける中で、飲料メーカーへ派遣として入社。その後、介護の仕事と出会い、現在のキャリアへとつながっていきます。
総務の仕事では実に幅広い業務を担当しており、お客様や電話の対応に加え、後半には給与の締め作業にも関わっていました。電球交換や備品の補充といった細かな日常業務から、見積書の作成までこなす役割で、まさにオールラウンダーという立場だったと思います。
建築会社という環境柄、設備業者や電気工事業者などから届く見積書を自社の書式に整える作業にも日常的に携わっていました。
── 様々なご経験をされてきているのですね!15年間同じ会社で働き続けられたのは、どのような理由からだったのでしょうか?
一番の理由は、人間関係の良さだったと思います。私が就職した当時は就職氷河期で、仕事に就くだけでも大変な時代でした…。偶然ご縁があり入社できた会社ではありましたが、長く在籍してもずっと私が一番年下で、周りの方々が本当に良くしてくれました。可愛がってもらい、優しく接してもらえる環境が心地よく、自然と続けられたのだと思います。
特に印象に残っているのは、現場で働く社員の勤務表を集める業務です。給与計算に間に合わせるため、提出期限に厳しく催促していたところ、“闇金の取り立て” とあだ名をつけられるほどでした(笑)。けれど、それだけ真剣に仕事に向き合っていたからこそ生まれたエピソードでもあり、今では良い思い出です。
── 総務部で幅広い業務を担ってこられたとのことですが、15年勤めた会社を退職する決断は、大きな覚悟が必要だったのではないでしょうか?
当時、建築業界全体の状況が厳しくなり、勤めていた会社も合併することになりました。しばらくは続けていたものの、「そろそろ区切りをつけてもいいのでは」と思うようになり、退職を決意しました。
むしろ不安が大きかったのは20代の頃で、「クビになったらどうしよう」と常に考えていた時期もありました。ただ、長く働くなかで医療事務の資格を取得するなど、新しいことに挑戦する機会もあり、自分なりに「いろいろできるかもしれない」という自信が芽生えていきました。その積み重ねが、転職という選択を後押ししてくれたのだと思います。
飲料メーカー時代と、介護業界との出会い
── 退職後は、どのくらいの期間を自由に過ごされていたのでしょうか?
およそ2年半から3年ほどですね。最初の1か月ほどは東京へ出かけるなど、自由気ままに過ごしていましたが、次第に飽きてしまって…。
そこでスポーツジムに通い始め、まるで仕事のように毎日通う生活になりました。ジムにはその後も通い続け、コロナ禍以降はパーソナルジムへ切り替えて現在も運動を続けています。
── 趣味を継続されていたのも素敵ですね!自分の時間を大切にされていた中で、再び働こうと考えたきっかけは何だったのでしょうか?
失業保険がそろそろ終わる時期だったこともあり、そろそろ何か始めようかな…と考えていました。ちょうどその頃、短期のアルバイトでコカ・コーラの工場に入る機会があったんです。缶にシールを貼る3日ほどの仕事だったのですが、そこで “今パートを募集しているよ” と声をかけていただいて…最初は事務作業を任されていたのですが、仕事ぶりを見ていただいたのか、次第に製造ラインにも参加することになりました。
男性スタッフと一緒にコーラづくりに関わり、フォークリフトの免許まで取得することに(笑)。ファストフード店などに出荷されるコーラやメロンソーダの充填作業を担当し、パレットに積んだ製品をフォークリフトで運ぶといった、体力を使う業務が中心でしたね。
気づけば約3年間勤務していましたが、腰を痛めてしまい、そのタイミングで退職することになりました。
── そして、その後のキャリアを大きく変える介護との出会いが訪れたのですね。
再び失業期間に入ったタイミングで、新聞に北海道で、無料で介護初任者研修が受けられるという記事を見つけたんです。これまでずっと自由に過ごしていたこともあり、“せっかくなら何か資格を取ってみよう” と考えて応募したのが始まりですね。受講には「働きながら資格を取得する」という条件があり、そこで紹介されたのが鈴木内科医院でした。
当初は、資格取得についてもう少し落ち着いた環境で学べるものと想像していましたが、実際には“働きながら研修を受ける”という実践的なスタイルで、予想とは異なるもので…。友人からは「3か月も続かないだろう」「資格を取ったら辞めてしまうのでは」と言われるほどで、自分としても、ここまで長く続けることになるとは想像していませんでした。
42歳で介護の世界へ。未経験から歩み始めた新しいキャリア
── 介護業界へ一歩踏み出す際、迷いや不安を感じることはなかったのでしょうか?
特に大きな葛藤はありませんでした。まずは資格が取得できるという点に惹かれ、「とりあえずやってみよう」という気持ちで一歩踏み出したのが正直なところです。資格取得を目的に、まずは一歩踏み出してみようという程度の気持ちでしたので、ここまで長く続けることになるとは想像していませんでした。鈴木内科医院を選んだ理由について聞かれることもありますが、偶然の巡り合わせと言えるかもしれません。
もともと介護の仕事に興味があったわけではなく、医療事務の資格を持っていたものの、祖父母の義歯を見るだけで苦手意識を感じるほどでした(笑)。
── 苦手意識があるなかで介護の道へ進むのは、大きな一歩だったと思います。面接時の印象に残っている場面を教えてください。
面接では、事務長が対応してくださいました。鈴木内科医院としても、北海道からの紹介者を受け入れるのが初めてだったようで、お互いに「初めてなんですね」「そうなんですね」と探り合いながらも、自然と会話がしやすい雰囲気だったのを覚えています。
その後、現場を案内していただいた際、スタッフの方が明るい笑顔で「こんにちは!」と声をかけてくれたんです。その姿が今でも印象に残っています。今もパートとして時々来ていたその方に「最初にあなたが声をかけてくれたから、今も続けているんだよ」と感謝の言葉を伝えました。あの時のスタッフの挨拶や雰囲気の良さは、私にとって大きな安心感につながりました。
また、ちょうどスタッフの入れ替わり時期と重なり、ご飯づくりのパートさんが3名、介護職が4名ほど、6~7名がほぼ同時期に入職していました。同期として声を掛け合い、相談しながら働ける環境があったことも心強かったですね。
グループホームきよた2での学びと成長。異業種経験が活きた瞬間
── 入職後、最初はどのような業務から始められたのでしょうか?
まずは入居者の方々の日中の見守りからスタート。会話をしたり、一緒に体操をしたりと、日常生活に寄り添うかたちで関わっていきました。その後は食事や飲み物の介助へと業務が広がり、当時は寝たきりの方や車椅子の方も多かったため、一つひとつ経験を積みながらできることを増やしていったように思います。
初めの頃は抵抗を感じる場面もあり、歯磨きの介助では、口の中を見るだけで思わず戸惑ってしまったり、トイレの処理に苦手意識があったりと、慣れないことばかりでしたね。それでも、2〜3か月ほど経つと自然と対応できるようになり、少しずつ介護の仕事に向き合えるようになっていきました。
── 一つひとつ経験を積みながら業務に慣れていかれたとのことですが、入職後に特に大変だと感じた場面はどんなところでしたか?
一番大変だったのは、おむつ交換です。おむつをどの位置に合わせて装着すればよいのか全く分からず、最初は戸惑いばかりでしたね…。入居者の方によっては動いてしまい、思うように装着できないことも多く、そうした場面では先輩スタッフの動きをよく観察し、見よう見まねで覚えていきました。
適切におむつを当てていると、起き上がった際に漏れてしまってご本人にも迷惑がかかるため、しっかり排泄物が収まるように調整することがとても難しかったです。
── 日々の介護の中で出会った入居者の方々との、忘れられないエピソードを教えてください。
印象的だった方が二人いて、お一人は、強い拒否が続く男性の方でしたね。机を倒してしまうほど拒否が激しく、最初はなかなか心を開いていただけず…それでも日頃から声をかけ続け、一緒に歌を歌う時間をつくるなど、少しずつ関わりを深めていきました。嫌がられても続けているうちに、最後には一緒に歌ってくださるようになり、距離が縮まったと感じられたことが強く印象に残っています。
もう一人は、昨年お看取りした女性の方です。最期の時間には、その方が好きだった美空ひばりの曲を流しながら、「楽しかったよね」「良い人生だったよね」とお話ししていました。そんな中、ふっと涙を流されて…。今思い返しても胸が熱くなる瞬間で、寄り添った看取りができたと感じています。
これまでお看取りした他の方々も、亡くなる直前まで「ありがとう」と言葉を残されていました。認知症という病気があっても、感謝の思いは最後まで届くのだと改めて気づかされます。
入居者の方々の姿を通して、「どのように生きるか」「思いを言葉にすることの大切さ」など、人生について多くの学びをいただいていると感じています。
グループホームきよたへ異動、そして管理者へ。次のステージへの新たな挑戦
── 平成30年にグループホームきよたへ異動されたと伺いました。その経緯を教えていただけますか?
特別な理由があったわけではありませんが、当時のホーム長から声をかけていただき、グループホームきよたへ異動しました。業務自体はこれまでと変わらず、入居者の方への支援も同じですが、スタッフや入居者の顔ぶれが変わることで、新たな環境でのチャレンジが始まった気分でしたね。
そして、きよたでの勤務を続ける中で、1年ほど経った頃に主任を任される機会をいただきました。当時のホーム長は非常に仕事のできる方で、多くの業務を自ら進めていたこともあり、私が “主任” として担う役割は決して大きくはありませんでしたが、それでも管理者という立場への準備期間として貴重な経験になったと感じています。
実際に管理者として動き始めてからは、総務時代の経験が思いのほか強い武器になりました。パソコン業務への対応、提出物の管理、ご家族や外部の方とのやり取りなど、これまで培ってきたスキルが現場で大いに活かされ、役割を果たすうえで大きな支えとなっています。
── 管理者に就任することを告げられた際、どのようなお気持ちだったのでしょうか?
最初に話をいただいたときは、「私には無理です」と率直にお伝えしました。それでもホーム長や事務長から「他の管理者さんもやっているんだから大丈夫だよ」とその言葉に背中を押された部分は大きかったと思います。
ちょうど同じタイミングで、土屋さんも本来はきよたのホーム長を務める予定だったところ、急遽きよた2のホーム長に任命されることになり、土屋さんも私も突然の状況に戸惑いながらスタートした形で…。
わからないことばかりでしたが、二人で相談を重ね、「これはどうする?」「こっちで対応したなら、そちらでも必要じゃない?」と、細かくコミュニケーションを取りながら進めていきました。協力し合い、連携しながら一つひとつ解決していった感覚があります。
── 管理者になるとマネジメント業務も大変だったと思います。スタッフと向き合ううえで意識していたポイントを教えてください。
スタッフ一人ひとりの強みや課題を把握し、その特性に応じて役割を配置することを重視していました。誰がどの業務で能力を発揮できるのかを見極め、適材適所で活躍できる環境づくりを意識し、パソコン操作が得意な人や、人前での発表に強い人など、多様なスキルを持つスタッフも多く、そうした人材には積極的に前に立つ機会を設けることで、成長の幅を広げられるよう努めていました。
また、管理者という立場ではありますが、上から指示を出すだけではなく、現場でともに働きながら意見を交わして、同じ目線で向き合う姿勢を大切にしています。
── 現場では、同じ目線で関わる姿勢が欠かせませんよね…!
そうですね、私は管理者という立場にとらわれず、現場で働く一スタッフとして関わることを大切にしています。日中は管理業務よりも介護の仕事を優先し、スタッフと同じように現場に立つことで、状況を把握しやすくなり、自然と距離も近づくと思っています。
そのため、管理者としての業務は主に夜に行うようにし、日中の時間はチームで動くことを意識していますね。
また、入居者の方々とも特別な距離をつくらず、業務の合間に会話を交わしたり、日常的な声かけを大切にしています。現場に自然に溶け込みながら関わることで、利用者の方との関係もスタッフとの関係もより良いものになると感じています。
── 現在は2つのグループホームを統括されているとのことですが、どのような流れでその役割を担うようになったのでしょうか?
きよた2に異動した後、きよたでホーム長を務めていた方が退職されたこともあり、経験のある私が両方の施設を担う形になりました。本来はきよたときよた2をそれぞれ別の管理者が運営していましたが、私が全体を見る体制へと移行したかたちです。
それ以降は、「きよた」「きよた2」という区分にとらわれず、ユニット全体をひとつの組織として捉えながら運営するようにしました。きよたの主任、きよた2の1階・2階の主任、そして私が管理者として連携し、日々密にコミュニケーションを取りながら、双方のグループホームが円滑に機能するよう工夫しています。
異業種経験者だからこそ見える、介護の魅力と可能性
── これまで建築会社、飲料メーカー、そして介護と、異なる業界を経験されてきましたが、共通して感じることはありますか?
私がどの職場でも長く働き続けられた理由は、スタッフ同士のコミュニケーションや、人間関係の良さにあると感じています。介護の仕事ならではの魅力としては、「ありがとう」という言葉をいただける機会が多く、日々感謝を向けられることの重さを実感しますね。
私自身、母を看取った経験があるのですが、この仕事を通じて身につけた知識や技術が大きく役立ちました。入浴の介助や体位交換、口腔ケアなど、さまざまな場面で落ち着いて向き合うことができたのは、介護に携わってきたからこそだと思います。最期の瞬間まできちんと寄り添い、後悔のない見送りができたことは、今でも心に残っています。
また、入居者の方々との関わりを通して学ぶことも多くあり、生き方や価値観、人としてどうあるべきか…そうした気づきを日々いただけるのは、介護の現場ならではです。一般の企業ではなかなか得られない学びがあり、入居者の存在そのものが、人生について考える機会を与えてくれていると感じています。
── 生活に寄り添う介護の仕事に携わる中で、働き方や仕事への向き合い方にも変化があったと思います。異業種での経験を踏まえて、介護の仕事で感じる魅力や、反対に課題だと感じる点はどこにありますか?
これまでの仕事では、毎月決まった業務をスケジュール通りに進めることが多かったのですが、介護の現場ではまったく異なる性質の仕事に向き合うことになりました。
トイレや口腔ケア、食事、入浴など、日常生活そのものを支援するという役割に触れたとき、「生活に寄り添うこと」自体が仕事として成り立つのだと実感し、その点に大きな新鮮さを覚えました。もちろん、実務を続ける中で専門的な知識や技術が求められる場面も多々あり、決して単純な仕事ではありませんが、最初に受けた印象としては非常に新しかったですね。
改善の余地を感じる点としては、記録業務にかかる時間の多さがあります。手書きや入力作業に多くの時間が割かれている現状があり、もっとIT化が進めば、スタッフが利用者の方と向き合える時間を確保しやすくなると感じています。現場の質を高めるためにも、そのあたりの仕組みづくりがより進むことを期待しています。
── 最後に、今後の目標を教えてください!
「挑戦」というより、まずは若いスタッフのキャリア形成を後押ししていきたいと考えています。得意分野や強みを伸ばしながら管理者として成長していけるよう、必要な経験を積める環境を整え、人材育成に力を入れていきたいですね。個々が持つ力を十分に発揮できる職場にしていきたいと思っています。それぞれが輝ける場所をつくることが管理者の役割だと考えています。
また、個人的な目標としては、還暦前には社内フリーランスとして活躍できる存在になりたいという思いがあります。どの施設にも行けるオールラウンダーとして、柔軟に動けるような働き方を目指して日々奮闘中です。
社内フリーランスとして活躍している佐々木さんのように、幅広いスキルを身につけていきたいですね(笑)
挑戦を支える環境がここにある
建築会社総務として15年以上のキャリアを積み、42歳で未経験から介護の世界へ飛び込んだ高井さん。「本当に続くのかな」という不安を乗り越え、現在は2つのグループホームを管理する管理者として活躍されています。
その挑戦を支えたのは、未経験者を温かく受け入れ、一人ひとりの成長を支援する鈴木内科医院の環境と、異業種経験を活かせるフィールドでした。総務時代のマネジメント経験、コミュニケーションスキル、そして「新しいことに挑戦したい」という想い──すべてが今の高井さんを作っています。
「異業種からキャリアチェンジしたい」
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