1877年創業の岸田産業株式会社。私たちは140年以上にわたり、世の中から必要とされる商品を開発し、暮らしにひそむ「不」の解消を目指して前進しています。
今回は、5代目代表取締役の岸田社長にインタビューをしました。会社が目指す姿や仕事にかける想い、岸田産業の歴史まで、入社したばかりの新人社員が皆さんと同じ目線でお聞きしています!
岸田 卓磨 / Takuma Kishida
大学卒業後、採用コンサルティング会社にて営業に従事。23歳で岸田産業に入社。2007年から始まった防災事業を本格化し、2019年に同社代表取締役に就任。防災士。
傾いていた経営を“防災”とやりきる想いで立て直す
ー まずは岸田社長の簡単な経歴を教えてください!
大学卒業後、採用コンサルティング会社に就職し、2009年に家業である岸田産業に入社しました。
営業を経験してから企画部門に異動して、2019年から代表に就任しています。
ー 最初から岸田産業に入社されたわけではなかったんですね。
はい、実は最初は継ぐつもりはなかったんです。社会人としての経験を積んで、自分の道を模索している時期にさまざまなタイミングも重なって、実家からの連絡も後押しとなって、岸田産業へ入りました。
少し肩の力を抜いて働きながら会社の今後を考えようと思っていたのですが、実際に会社の中へ入ってみると、当時の経営状況はかなり厳しいものでした。入社前に聞いていたよりも深刻で、これは一度立ち止まってしっかり考える必要があると感じました。
ー 今の状況からだと想像しにくいです…。当時の岸田産業は、どのような状況だったのでしょうか?
先代である私の父が社長をしていたのですが、実直な人で経営を立て直すために全力を尽くしていました。営業所を縮小して、社長自身の報酬もカットして、会社存続のために難しい経営判断を日々行っていました。
私自身も入社当初は社内評価も決して高くなかった中、戸惑うことも多かったですね。その後、ようやく経営が安定してきた頃、ある日突然、父から「会社を畳もうと思う」という話がありました。その決断にはきっと、経営者としてのひとつの区切りがあったのかなと思っています。
当時はその非常に重い決断を受け入れる方向に進んでいて、取引先の皆さまにもご挨拶を始めていました。私自身も、新たな道へ進もうかと考えていたんです。
ー そこから再び岸田産業が動き出すきっかけは、なんだったのでしょうか?
ある時、母から「義弟が“お兄さんは普通の人なんだね”って言ってたよ」と聞いたんです。本当にそう言ったのかはわかりませんが(笑)、その一言が当時の自分には妙に心に残ったんですよね…。「自分はこのままでいいのか?」という気持ちがふつふつと芽生えたんです。
そう思った翌日には、社員の皆さんに頭を下げて「一年で新しい売上をつくるので、もう一度チャンスをください!」とお願いしました。
ー たたもうと思っていた会社で崖っぷちの新たな挑戦。どのように実現されたのですか?
本当に、とにかくできることは全部やりましたね。当時、商品の一つの領域でしかなかった防災グッズにフォーカスして、商品登録から送り状の印刷、出荷作業まで。できることは自分で対応し、ECサイトの立ち上げをしました。
それまでは法人向けのギフト事業が中心だったのですが、ここで初めて一般のお客様への販売事業に参入しました。
そんなタイミングで災害も発生して、皆様の防災意識が大きく上がっていく時期と重なったんですね。結果として、安心・安全を求めるお客様に多くの防災セットをお届けできました。目標としていた売上は半年で達成することができました。この頃から、社内で少しずつ(新しいことに取り組む姿勢)をいただけるようになったと感じています。
ー そのご経験が今の岸田産業につながっているんですね。
そうですね。振り返ると、経営が傾いていなければ結局のところ、コロナ禍で厳しい局面を迎えていたかもしれません。ちょうど翌年にはギフト業界全体が冷え込みましたが、私たちは少し早くEC事業に着手していた分、流れに乗ることができました。その後も多くのお客様に支えていただき、会社の成長を続けることができています。
前編では、岸田社長のこれまでのご経験と会社の転機についてお話を伺いました。
最初は家業を継ぐ予定がなかったというエピソードに驚かされましたが、いまの明るく活気のある社風は、社長や社員の皆さんの努力の積み重ねだったのですね。
次回の後編では、「これからの岸田産業」について、社長の想いをじっくりお聞きしたいと思います!