写真:Jakob Owens/Unsplash
日経新聞の最終面に掲載されている「私の履歴書」は、各界の著名人が自らの半生を綴る人気コーナーです。以前のコラム「#17:年初の誓はSMARTに」でも触れましたが、今年1月はキヤノンの御手洗冨士夫会長が登場されました。
そこには、会長の経営理念の源泉となったエピソードが随所に盛り込まれており、非常に示唆に富む内容でした。
会長は入社後、下丸子で組立課・資金課・会計課・予算課・営業と幅広い部署を経験し、そこで得た学びが現在の「現場主義」につながっていると述べられています。
また、組立課でベルトコンベアの横に立って作業した経験が、「セル生産方式」導入のきっかけになったことも紹介されています(※セル生産方式:少人数で複数工程を担い、製品を完成まで組み上げる生産方式)。この「セル生産方式」には連載の1回分が丸ごと費やされており、現場での気づきこそが改革の原点であったことがよく伝わってきます。
さらに、「実力主義」を徹底するための一律ベア・定期昇給の廃止や、「技術と技術者を活かしきる」という考えに基づくデジタルカメラ事業の巻き返しなど、キヤノングループの施策がどのような思想のもとで実行されてきたのかが描かれており、非常に興味深く拝読いたしました。
中でも会長が特に重視されているのが「利益優先主義」と「全体最適」です。とりわけ「利益優先主義」は、キヤノンUSAで経理を担当されていた際、税務官から投げかけられた一言に強いショックを受け、「利益を出さない会社の存在意義」を根本から考え直したことが原点だと語られています。このショックを起点として改革を断行し、キヤノンをトップ企業へと押し上げる大きな推進力になったのだと感じます。
利益に向き合う覚悟が、企業を次のステージへ押し上げていった
出典:PublicDomainPictures.net
ショックを受けた経験が経営方針の柱になることは、一見当然のようでいて、実は非常に深い意味を持っています。とりわけ環境が変わると、新たな気づきに出会う機会は増えますが、それを単なる驚きで終わらせず、組織改革へとつなげることは決して容易ではありません。
私自身も、新潟に赴任し社長に就任してから、二つの大きなショックを受けました。今回は、その一つ目についてお話しします。
当時の私の心境をイメージした写真
写真:Darius Bashar/Unsplash
そのショックとは、新潟における当社の知名度の低さでした。
社長就任後、新潟の企業や公的機関へご挨拶に伺う機会が増えましたが、名刺をお渡しすると「キヤノンさん、新潟市内にもあったのですね」と言われることがありました。当社が新潟市にあること自体を知らない方が多いという事実に、正直ショックを受けました。
確かに、当社のメイン顧客はキヤノングループであり、新潟に直接のお客様がいるわけではありません。宣伝もほとんど行っていなかったため、知られていないのは無理もない面もあります。加えて、「キヤノントッキさんは知っているが、キヤノンイメージングシステムズは知らない」という声も少なくありませんでした。
このままでは、当社が新潟に拠点を構える意味が薄れてしまい、この地で人材を採用したり、ビジネスを拡大したりする上で大きなディスアドバンテージになってしまう。そう考え、広報活動を強化する必要性を強く感じました。
そこで、CMの制作をはじめ、各メディアでの情報発信、新聞記事への掲載、ホームページの刷新など、当社の認知度向上に力を入れてきました。社員にとって、自分たちの会社のCMが制作され、それがテレビなどの媒体で流れるというのは、想像もしていなかったことだったと思います。
このとき制作したCMのひとつ、「あなたの成長が楽しみ」30秒編です。
当社のYouTubeチャンネルでは、15秒編・60秒編も公開していますので、
あわせてぜひご覧ください。▶当社のYouTubeチャンネルはこちら
当社の取り組みが新聞で紹介されたり、社員がテレビ番組に出演する機会が増えたりすることは、結果として社内のモチベーション向上にもつながっています。
こうした広報活動が功を奏し、最近では「いろいろなところで御社の名前を見かけますよ」と声をかけていただくことも増えました。採用面、ビジネス面の双方で、少しずつ成果も表れています。
今でも、知名度の低さにショックを受けた当時のことが頭をよぎります。毎週このコラムを掲載するようになったのも、その延長線上にあります。これからも、当社の名前をメディアなどで見かけた際に、この話を思い出していただければ幸いです。
次回は、もう一つのショックについてお話ししたいと思います。
※次号は6月15日(月)リリース予定です。