SOZOWには、大学生から社会人まで、
好きや得意・経験など本当に多種多様なメンバーがいます。
経歴に関しても、教員をはじめとした教育業界の経験者はもちろんですが、
縁遠く感じられるコンサルティング業界や金融業界、メガベンチャーやIT企業の出身者など、
様々なキャリアを持つメンバーが活躍中。
今回は「SOZOWスクール小中等部」の事業企画を経て、現在は2024年4月に開校予定の「SOZOWスクール高等部」の立ち上げメンバーとして
縦横無尽に活躍する大学生スタッフの「むらたか」がSOZOWに参画するきっかけとなった過去のエピソードをご紹介します。
※本記事は、20代の社会人に向けて、同世代の「このごろ」を発信されているライフスタイルメディア「このごろ」でSOZOWスタッフが取り上げていただいた際のインタビュー内容を、転載許可をいただいて紹介するものです。
線路沿いの彼の小さな部屋は、
たくさんのこだわりで溢れていた
きれいに並べられた数種類のスパイス、自分でつくった梅酒や器、料理本に写真集、デザインの専門書、大切に置かれたカメラの機材やシックな服…ぐるりと一周見渡しただけでも、あらゆる方面に興味関心事があり、そのどれもに全力で愛を注いでいることが伺える。
むらたか:幼少期から何か一つのことに熱中するというよりは、いろんなことに興味があるタイプで。レゴやブロックを使って一人でものを作ることも好きでしたし、外で友人とスポーツをすることも好きでした。勉強も好きだったので、周りからの印象は多分優等生(笑)とにかく興味のあることはなんでもやってみたいと思っていました。
広い視野を持ってたくさんのことを学びながら、時間をかけて自分の夢や目標を見つけようと考えていたむらたか。大学進学の際、工学部を選んだのもそれが理由だったという。
趣味は写真を撮ること
むらたか:オープンキャンパスに行った時、工学部は潰しがきく学部だよと教えてもらったんです。やりたいことが明確に決まっていない自分にとって、まだまだいろんなことを学びたいという意欲があったので、大学進学の段階で道を絞らなくていいのは魅力でした。
しかし、そんな希望に満ちたはずの大学生活は一瞬にして崩れ去ってしまう。
むらたか:僕にとって大学のイメージは、何かを学びたい人たちが集まって、それぞれの疑問を言葉にし、議論し合う場だったんです。でも実際は、授業中寝ていたり、スマホをいじっている人がたくさんいて、学びに対する意欲がほとんど感じられませんでした。大学ってこんな場所なのか…とショックを受けました。
描いていた大学生活とのギャップに耐えられず、学部内で居場所を見つけられずにいたむらたかは、自分と同じモチベーションで学んだり、議論し合える場所を求めて「AIESEC」という海外インターンシップを運営する学生団体の門を叩く。
そこに居続けることへの不安から、
3回生で辞めることを決めた
むらたか:AIESECには本当に救われました。特に国際協力などの面で高い志を持った人たちと出会えて、モチベーションも徐々に取り戻せました。ただ、やることに追われて世界が広がらない、アップデートされない、みたいなジレンマもあって。やりたいことが明確にならず、いろんなことを経験してみたかった私には、そこに居続けることへの不安も出てきて、3回生で辞めることを決めました。
料理を作ることも好き。 カレーは時間をかけてスパイスから作るこだわりっぷり。
ちょうどそんな折、時代はコロナ禍へと突入。
むらたかはコロナ禍で鬱になってしまったという
むらたか:当時シェアハウスで生活していたのですが、授業が全てオンラインに切り替わったことで、みんな家にいる状態が続きました。だんだん私にストレスが溜まり、生活がうまく回らなくなって。自分の家なのに居場所がないというか。もともと大学の学部内には居場所がなかったですし、気づいたら単位も取れずに留年してしまっていて……。とにかくここにいても何も変わらないと思い、思い切って休学することを決め、偶然目についた地域留学制度を使って地元である宮崎に帰りました。
逃げるようにして神戸を離れた
むらたかだったが、
その選択は間違っていなかった
むらたか:人生で初めて「帰ってきたいと思える場所」ができました。休学した半年間、とにかくたくさんの人と会ってみようと思い、いろんな生き方をしている人たちと交流する時間をつくったんです。そんな生き方もありなの!?と、自分にはなかった世界がどんどん広がったこともよかったですし、なにより「また来いよ!」と言ってもらったり、通りすがりに「ちょっと!ちょっと!」って家族のように気軽に声をかけられたり。どこにも居場所を感じられなかった私に、やっと安心できる居場所ができました。
帰る場所が一つある安心感は心を安定させ、その後、神戸に戻り復学してからも、もうむらたかが孤独に陥ることはなかった。
むらたか:帰ってきてから、コロナ禍の影響で不登校児が増加しているという現状を知りました。過去の自分と同じように居場所を見つけられずに苦しんでいる子どもたちを救えたらと思い、ご縁のあった今の会社で働くようになりました。
特に子どもは、大人に比べて小さなコミュニティーの中で生活しているため、そこで居場所が見つけられずにいると、どんどん暗闇の中へと潜り込んでしまう。
一つの場所にとらわれず、子どもたちが日本各地を移動しながら学べるような、そんなキャンパスをつくることが現在の夢だという。きっとこれから彼は、自分を復活させた方法でたくさんの子どもたちを救っていくのだろう。
編集後記
彼の話を聞きながら、希望の光は決して全てが順調にいっている時ではなく、もう前に進めないと思うほど、辛く苦しい時にこそ見えてくるものなのかもしれないと実感した。
大人になるにつれて、私たちは誰にも頼らず自分の問題は自分自身で解決しなければならないと思い込んでしまう。しかし、辛いときに頼れる拠り所を見つけるということが、本当の意味で大人になるということなのかもしれない。
▼今を生きる僕らのためのおおらかなメディア「このごろ」のHPはこちら