もくじ
- 1 教育業界で子ども時代から好きだったモノづくりができることに喜びと学び、何より”気づき”を得た
- 2 気心の知れた友人たちから学んだ自己肯定の大切さ
- 3 ”人生の節目を彩る”デザイナーになりたい
- 4 まとめ
We are SOZOW!!
子どもたちの想像力・創造力を育もうと仕事をするわたしたちが、どんな思いや背景を持ちながらSOZOWに向き合っているのかを紹介します。
今回は、デザイナーとして数々の広告クリエイティブのデザインを担当してくれている「ぷりもえ」こと、桑原 萌さん(@PriMoe_design)にインタビューした内容です!
教育業界で子ども時代から好きだったモノづくりができることに喜びと学び、何より”気づき”を得た
ーぷりもえさん、どういった経緯でSOZOWの一員になったんですか。
習い事の事業リーダー、いのちゅー(井上)からの勧誘を受けたことがキッカケです。
元々ウェディングプランナーになりたいと思っており、ブライダル業界の会社でインターンもしていましたのですが、コロナ禍の影響で「新入社員の受け入れは厳しい…」という話を受け、描いていたキャリアプランが白紙になってしまったんです。
正直、焦りました…笑 それと同時に「人って本当にマズいと思ったときには『やばい!どうしよう!』と声に出しちゃうんだ…」と実感することもできました。笑
そんな折、大学時代から親交のあった、いのちゅーに相談してみたら「SOZOW来る?」と言ってもらい、代表のコスケ(小助川)さんとも話すことになりました。何より、いのちゅーが仕事についてすごく楽しそうに語ってくれたので、興味を持ちました。
コスケさんの話を聞いて、初めは漠然と「楽しそうだな」と思っただけでした。
その時点では教育事業に特に関心を抱くには至らなかったのですが、子どもたちの好奇心を第一に尊重するSOZOWの真摯さや、それを実践する中の人たちが醸し出す魅力に惹かれ、「こんな風に魅力を放つ仲間の一員になりたい」と思うようになりました。
ーウェディング業界に未練や後悔はないんですか。
SOZOWと出会ったものの、やっぱり「自分が好きなのはウェディング業界だ」と思っていました。
就職活動もその方向で進めており、ありがたいことに業界の大手企業から内定をいただくことができました。
元々、自分自身が好きだ、なりたいと思っていた職種であり、入りたいと願っていた業界だったので、条件も良かったことも相まってワクワクしていたのですが、とある会に参加したときに周りとの熱量の差を強く感じてしまったんです。
私は自身を右脳的、直感的な判断をする特性があると考えてます。
物事をロジカル(論理的)に考えるよりも、自分の感性の赴くままに企画と実行を繰り返していきたいと思うクリエイティブ気質な人間だと自負しているのですが、これから共に働くことになる方々と過ごす中で「ロジカルな自分」を演じないといけなくて…。
こうやって演じる場面が、これからは毎日、毎分、毎秒になっていくのかぁ…と考えると、強い違和感や焦りを覚えるようになりました。
「現実を知った」といえばいいのか、「好きだけではどうにもならないことってあるんだな」と気づき、せっかく頂戴した内定でしたが辞退をすることにしました。
ーご自身のやりたいことや今後のキャリアプランを想像する中で、当時の判断を振り返ってみるといかがでしょう。
元来、私は”企画すること”が好きで、ウエディングプランナーのように職業として誰かの人生における節目をお祝いすることに憧れを持ってました。
それと同時にモノづくりも好きで、自分が企画した中で何かしらを制作することも好きだったんですね。
ぷりもえさんたちがカードのキャラクターに!?おもしろい発想!
ちょうど、私がSOZOWにジョインした時期はデザイナーが足りていなかったので、すぐにデザインチームに入ることになりました。
そこでプロのデザイナーとして活躍されている片岡さん(SOZOW CCO:Chief Creative Officer)と出会って、自分のデザインスキルの低さに衝撃を受けまして…。笑
SOZOWを受けた際にも過去の制作物をポートフォリオとして提出したぐらい、独学なりに自信のようなものをもっていたのですが、一流のデザイナーの技術を目の当たりにすると同時に自分の制作してきたものと比較することで、漠然と思い描いていたデザイナーとしての自信のようなものが一気に崩れ去りました…。
いま思えば、「なにを考えてるんだ、ペーペーが!」ですよね。笑
その時の私は「まだまだ伸びしろがある!」と本気で思うことができました。私自身、デザインに強く興味があるからこそ独学で制作してきたし、将来的なキャリアにも活きるだろうと思えたのです。
ーデザインに限らず、「ものづくり」って今は機械でもできますし、作る過程で考えるべき要素は無限にあって難しいことだと思うのですが、ぷりもえさんが消費者ではなくあえて生産者でいようと思う理由は何ですか。
表情の変化が好きなんです。
私は物心ついたときからいろんなものを作ることが好きで、よく両親に見せていました。そのとき、両親はすごく褒めてくれてたんです。
いま考えれば、ものを作ること自体よりも、お父さんお母さんが喜ぶ顔が見たくて作っていたのかもしれません。
大人になっても友人のお祝いで自分が企画したことや作ったものを披露したときに、とても喜んでくれて満面の笑みになったり、少し曇っていた表情から反転し、一気に明るくなる瞬間がすごく好きなんです。
自分以外の人の表情で幸せを見出せる人間になったと実感しているのですが、これは幼い頃に両親が喜んでくれる姿を見ていたからだと思うので、両親にはすごく感謝してます。
ーたしかに、ぷりもえさんがInstagramやTwitterに投稿しているデザインを見ると、本当にデザインするのが楽しいんだろうなというのが伝わってきます。
自分の作ったデザインが作品として完成するのも好きなのですが、実は完成に至るまでのプロセスが私にとって至高の時間でして…。笑
「何をどうしたらより良いデザインになるか」「どうしたら見た人が喜んでくれるデザインになるか」を脳みそに汗をかきながらあくせく考える、あの時間が好きなんです。
(@PriMoe_design/Twitter・@himenodesign/Instagram)のアカウントで自作のデザインを毎日投稿していますので、ぜひアカウントを覗いてみてください!!
ー元々デザインやものづくりに興味があったとはいえ、独学だったわけですよね。そこからどうやってデザインスキルを磨いていったんですか。
少し恥ずかしい気持ちも抱きながらの振り返りになりますが、SOZOWに入って初めて(デザイナーとして)の仕事は新聞広告のデザインでした。
趣味やプライベートで自らが考えた企画ではなく、”仕事として”デザインに取り組むのは初めての経験で右も左もわかりませんでしたが、わからないなりに完成させ、広告出稿に関する社内ミーティングで初めての共有を終えたところでした。
いま思えば「たしかに…」と思えて仕方がないのですが、実際に社内メンバーの表情は重苦しく…笑
その時に、ミーティングに同席していた片岡さんに「今度、ぼくの会社のオフィス(株式会社 コトナ)に来ませんか?」と誘われました。
いわれるがままにオフィスに訪問したところで、私の提出した広告デザインに対する怒涛のフィードバックを受けることになり、自分が制作したものは跡形もなくなってしまったことは鮮明に覚えてます。笑
ぷりもえさんが制作した新聞広告のデザイン。すでにSOZOWらしさが滲み出たデザインが出来上がっています!
素直に悔しい気持ちはありましたが、片岡さんから、デザイナーとして必要な考え方やデザイン制作の原理原則をみっちり教えていただき、今の「デザイナーとしての自分」がいると確信しています。
片岡さんには今もいろいろとご指導いただいているので、デザイナーとしてキャリアを始めた早い段階で片岡さんのようなメンター(師匠)に出会えたのはとても運が良かったと思っています。
気心の知れた友人たちから学んだ自己肯定の大切さ
ー学生時代含め「今の自分」を形づくるに至ったエピソードは何かありますか。
「今の自分」というか自己肯定感を得ることができたのは、大学時代にアカペラサークルで後輩から受けた言葉です。
そのサークルのメンバーとは卒業した今も仲がいいんですが、私が4年生でサークルを引退するときにメンバーから一言ずつメッセージをもらった際に当時いちばん関係が深く、私の役職を引き継ぐことになっていた後輩が述べてくれた送辞がとても印象に残っています。
「ぷりもえさんは居場所をくれる人なんだ」って言ってくれたんですよ。
アカペラサークルはライブをすることがあり、舞台で選ばれた人が歌います。
きれいな衣装に身をつつみ、アカペラを披露する大学時代のぷりもえさん。(画像中央)
でも、そういう晴れの舞台に上がれる人は数が限られていて、人前で歌って主役になれる人もいれば、舞台裏で音響を調整してる人や装飾を作ってる人もたくさんいたんです。
同じサークルのメンバーにも関わらず、お客さんの入るライブとなると、舞台で歌う人やマイクを持って表に出る人にばかり目がいってしまう…。
それは仕方のないことかもしれませんが、メンバー間で外部からの注目度や温度差に大きな差が出てしまうことに「本当にこれでいいのかな…」と違和感や課題観を抱いてました。
そこで、裏方として活動してくれてる子にも自分から積極的に声をかけたり、「一緒にバンド組もうぜ!」とか言ったり、毎週別のごちゃ混ぜメンバーでディズニー行ったり、いろんな人と仲を深めるようにしていたんです。
彼女は、そんな私の姿を良く思ってくれてたみたいで、「みんなが心に葛藤を抱えていたりもがいたりしている時に、ぷりもえさんは声をかけてくれて、一人ぼっちになる状況を作らないようにしてくれたんです」と言ってくれました。
その瞬間、そこまで自分の行動を見てくれてた人がいたんだと感動して思わず泣いてしまいました…。
でも、きっと私のそういう振る舞いは深く考えずに自然と出たもので、私自身、周りとうまく馴染めずに苦労した時期があり、「本当の自分」を表に出せないまま気持ちを押し殺して過ごすこともあったんです。
だから、サークル内での私の行動も、過去の苦しんでいた時期の自分を投影して生まれた行動だったと思うのですが、彼女の言葉を受けて「自分は人に居場所を作れる人間なんだ!」と自分を肯定することができました。
これは、”今のわたし”を肯定できる自分を形づくってくれた、大きなおおきなきっかけだったと思います。
ーぷりもえさんはご自身のnoteで「個性の復元期」と呼ぶ時期があったそうですがそれは今の話とも関係してますか。
受験に失敗した浪人生の頃に解放感を感じたんです。
元々私は、中高時代、かなり息苦しい環境にいました。
元々元気で好奇心旺盛、好きなものがいっぱいあり、その上目立ちたがり屋だったので、結果、集団無視を受け、好きなものを好きというのを憚られるような環境で6年間(中高一貫)を過ごしました。
すっかり自信を失い、人の顔色を伺う癖がついていたのですが、浪人期に通っていた予備校で個性豊かなメンバーに出会い、その環境が自分にとって心地よく、「個性の復元期」がスタートしたのです!
何を喋っても肯定してくれるし、「第一志望そこなんだ!いいね!」といった形でポジティブな言葉が飛び交う場所でした。
勉強以外にも自分の趣味や好きな話が自由にできる関係で、「ワンピース好きなんだ!私も!」みたいな。笑
振袖姿のぷりもえさん。(右から二番目)すでにもう個性が爆発しているのでしょうか…?
「好きなことを、ちゃんと話してていいんだな!」っていう体験を予備校で初めて知ることができたと思ってます。それまでの自分はそれが当たり前じゃなかった。
心を通わせる人たちと出会えたことで、やっと自分の抑えこんでいた個性を復活させることができた。
その反動もあってか、大学生になってからは自分のことを「ぷりんせすもえ(ぷりもえ)」と呼称するようになり、無事に個性を持った生き方を周囲に撒き散らす生活をしていました。笑
”人生の節目を彩る”デザイナーになりたい
ーぷりもえさんがSOZOWのデザイナーとして「デザイナーだからこそ得られるもの」や「デザイナーとして心がけていること」があれば教えてください。
そのデザインを見て、ワクワクするか、心が動くか、です。
伝えたいことが、「感覚的にちゃんと伝わっているか」、「SOZOWっぽいワクワク感があるか」は大事にしています。
そのために、デザインをする上でまず考えることは「デザインの優先順位を決める」ことです。
デザインを通じてこちら側が伝えたいことを見てくれる人に正確に伝えるには、デザイナー自身が情報の優先順位をつけられていることが大前提。
それができなければどれだけサービスが優れていてもその良さが十分に伝わりません。
SOZOWにはサービスとしての良さがたくさんありますが、「好奇心が広がる!オンラインテーマパーク!」と文字だけ並べても具体的な情報が何にも伝わりませんよね。
SOZOWが持つサービスの良さやサービスに込められた想いが、それを見てくれた人に伝わったとわかる瞬間が好きなので、「デザインを通じて自分は何を伝えたいのか」ということは常に考えています。
ーこれまでに自分の制作物を通して伝えたいこと、伝わってほしいことが「伝わったな!」と感じた瞬間はありましたか。
SOZOWを使ってくれてる子が『1枚のチラシから始まったぼくの世界』というタイトルで書いてくれたnoteを読んだときです。
学校で配られたチラシにたまたま掲載されていたSOZOWの広告を見て衝撃を受けたみたいで、家に帰って荷物もおろさずに「これみて!やりたい!」と保護者の方にお願いしてくれたんです。
そのnoteを書いてくれた子のお母さんとオフィスでお会いした時に、「目を輝かせて『絶対やりたい!』って言ってたんです!」とおっしゃっていたのを聞いて、「うわぁ…、SOZOWでデザイナーやってて良かったな」って心から思えました。
「SOZOW」という場所がこれからもその子にとって、”大きな心の拠りどころ”になり続けてくれたらいいなと思っています。
デザイナーである以上、広告やクリエイティブを通じてコンバージョン(成約率)を上げることが使命でもありますが、それが目に見える形として知ることができたのは、私自身、その子に励まされたのかもしれません。
ー「教育」という文脈でもお聞きしたいのですが、SOZOWの一員となる前後で子どもに対する接し方や、教育に対する考え方の変化はありましたか。
「自分が子どものころにもSOZOWがあったら良かったのに!」とは思います。笑
日本全国、世界中の子どもたちとオンラインで繋がれて、自分の”好き”を自由に発信したり同じ趣味を持つ人同士で盛り上がったりする中で思わぬ学びを得る瞬間もありますよね。
「え!自分はこう思ってたけど、みんなはこう考えるんだ!」みたいに。
そこで感じる「自分を自由に表現できる快適さ」って必要なものだと私は実感していますし、実感しているからこそ抑圧されていたり、我慢している子たちには「いいんだよ」と伝えてあげたい。
学校生活にもいい面はありますが、”学校という環境だけでは会うはずもなかった人たちと交流できる場”として、SOZOWが彼ら彼女らにとってかけがえのない居場所になっているんだなと感じますし、これからもそういう子たちが増えていってほしいと思います。
ーぷりもえさんの立場で、これからのSOZOWは「こんな場所にしていきたい」と考えていることはありますか。
個人的な願望としては、SOZOWに関わってくれている人たちの”人生の節目を彩りたい”と思っています。
たとえば、SOZOWユーザー限定で卒業式を開いたり、スタッフの人たちの誕生日をお祝いしたり…。ボードゲームやカードゲームを作って、サプライズ的な演出をしても良さそう。笑
宇宙が大好きなインターン生への誕生日プレゼント!SOZOWのスタッフメンバーが星座に!?
子どもたちにもスタッフのみんなにも、「あなたはSOZOWでこんなに輝いてるんだよ!」ということを表現する存在でいたいと思っています!
スタートアップで忙しい時期ではありますが、そういうときだからこそ個人にスポットを当て、みんなに自分の存在意義を感じてもらいたいです。
まとめ
「人生の節目を彩るデザイナー」…とても素敵な肩書ですね。
SOZOWのこだわりの強いクリエイティブには、ぷりもえさんのスキルとサービスに対する想いがこめられていることが伺えるインタビューでした。
これからもSOZOWのデザイナーとして、たくさんの子どもたちにきっかけと笑顔を届けてほしいです。