音楽フェスや地方創生イベントなどをプロデュースする「株式会社TryHard Japan」は、人々を笑顔にするために挑戦の日々を駆け抜け、不可能を可能にしてきた会社です。
「挑戦とは自分の人生」という菊地さん。TryHard Japanを人格化したようなマインドを持つ彼は、目標を掲げ、努力を重ね、納得するまでやり切る人です。
挑戦と努力を積み重ねる人
ーーバンド、音響、魚屋さん、DTMの講師、デザイナーと、過去の歩みが独特ですね。
けっこうな変化球ですよね(笑)。でも「プロのアーティストになりたい」という夢に挑戦するうえで必要な過程だったんです。
中学で夢を見つけたので進学はしたくなかったのですが、両親は一握りの路線に理解がありませんでしたから、進学しつつも抜け道を探しながらバンド活動を続けました。
大学卒業後は、就職ではなく個人事業主として音響の道に進みました。一番近くでアーティストの仕事を見れますし、音をつくるなら音のプロになるべきだと思ったんです。2年間職業訓練所に通いながら、ライブハウスやクラブ、イベントで実績を積みました。
ーー音響から魚屋さんに転向したのはなぜですか?
音響の現場は朝早く夜遅くて、寝て起きたらまた仕事。裏方で人生を埋めたくないと思っていましたし、音楽制作の時間がほしかったんです。魚屋さんは午前10時ぐらいに仕事が終わりますので、制作時間を充分にとれました。
当時バンドは解散していたので、PCを使って一人で音楽制作ができるDTMに挑戦しました。DTMには楽器や音響機材の知識が役に立ちましたね。
ーーTryHard Japanとは、どう出合ったのですか?
「自分のノウハウでやりたいことを仕事にしよう」と思ったときに、たまたま見つけた求人がTryHard Japanが手掛けるDJアカデミーのDTM講師募集でした。
当時DJアカデミーは、一時期にグレードアップに向けた充電期間に入ったんですよ。DJアカデミーの当時の代表が「うちの会社に合うから一緒に働かない?ほかになにかできる?」と声をかけてくださって、デザイナーになりました(笑)。音楽だけでなく、CDジャケットやロゴも自分でつくりたかったので、PhotoshopやIllustratorを独学していたんです。その作品を見せて今に至ります。
デザインをやってみて、音楽と同じだと思いましたね。 どっちの世界もバランスが大事なんです。音楽は無数の音色からどれかを選び、デザインも無数の素材からどれかを選ぶ。いいものを目指して踏んでいくプロセスが、同じぐらいしんどいです(笑)。
挑戦とは、自分の人生
ーー菊地さんにとって挑戦とはどういう意味を持ちますか?
挑戦とは、自分の人生です。僕の挑戦は「これができたら楽しいかも」のワクワクからはじまって、趣味になって、長続きして、いつしか自分のためから「相手のためにやりたい」に変わっている感じです。
挑戦とはどんな結果であれ、自分を豊かにして、個人を強くして、他者とのつながりを深める重要な要素だと思います。 それを実感するには、学びをとめずに挑み続けることが大切なんだと思います。
ーー過去の挑戦を振り返って、今の自分をどう思いますか?
「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」「継続は力なり」という精神性が自分の中に叩き込まれていて、過去の努力と成果がつながって今の自分になっていると思います。
まだ道半ばなので、挑戦は続けます。すべてにおいては挑戦しないと本当の答えはわからないですからね。たとえ自分の選択がマイノリティだったとしても、自分が出した答えを自分で認めて磨きあげていけば、周囲に認められるようになると思います。
これからも 「みんながこうしているからそうする」という考え方はせず、成長できそうなところに過去の自分をつなげて、より高みを目指したいと思います。
自分次第でなんでも挑戦できる会社
ーーイベント関連のPRでは、どんなものをデザインするのですか?
「新しいイベントをやりますよ」となったら、最初にイベントのキービジュアルやロゴを立ち上げます。これらをリサイズしながら、SNSやWeb媒体、紙媒体もデザインします。具体的には、インスタグラムやWebフライヤー、バナー広告、CM、紙のフライヤーやポスター、イベントのゲートを装飾する幕やのぼり旗などをつくります。
また、毎年開催している音楽フェスをはじめ、TryHard Japanが手掛けるほぼすべてのイベントに自前の一眼レフを持ち込んで、映像や写真を撮影しています。その素材でPRムービーをつくったり、LEDビジョントラックを走らせたりもします。
ーーWebも紙も映像も、なんでもつくれるんですね。
自分次第でなんでもできるところが、TryHard Japanの良さです。一眼レフの技術も学校で学んだわけではありませんが、よりクオリティの高い制作ができて表現の幅も広がると思ったので挑戦したんです。撮った映像や写真を経営陣に見せたら、撮影の仕事がレギュラー化しました。
前例がなくても「お客様の喜ぶ顔につながるならぜひ!」と許可してくれるのが、TryHard Japanの経営陣です。そういう意味で、挑戦する人ほど見える景色を広げていける会社だと思いますね。僕は長く勤めるほど会社を好きになっています。その好きに好きを返してくれる会社でもあります。だから挑戦次第、自分次第で、どんな経験もできます。
デザインは、イベントと世間との最初の接点
ーーTryHard Japanでの仕事の面白さをどんなところに感じていますか?
イベント事業において、デザインは花形の仕事と自負しています。僕は行政との協働による地方創生イベントのデザインを担当することが多いのですが、イベントは行政の思いや夢を背負っています。また、地域の方々が「この街って素敵なんだよ」と思う気持ちを醸成して、地域を盛り上げる力もあります。そんなシビックプライドにつながる最初の架け橋がデザインなのかなと思います。
イベントをPRするバナー・CM・フライヤー・ポスターなどのデザインは、企画にイメージを加えてワクワクさせることができる反面、イベントの印象を決めてしまう怖さもあります。そこが責任重大で面白いところでもあります。
ーーイベントPRのデザインの大変なところも教えてください。
納期がつきまとう仕事で、物事の合意にも時間がかかるところです。イベントは多くの関係者が関わり、デリケートな行政の情報も扱うので、判断が慎重になるんです。
印象的だったのは、30万枚印刷するフライヤーのデザインを翌日の午前11時までに印刷所に入稿しないといけないのに、文面が固まったのがその日の深夜0時という案件です。
深夜0時から僕がデザインをはじめて、イベント企画の担当ディレクターが行政とやりとりしながら、なんとか間に合わせました。ひとりよりふたりで同じ方向を見て、同じエネルギー量で取り組むと、想像以上にシナジー効果があるんですよね。その方は仕事での最高のパートナーですが、プライベートでも最高のパートナーになりました(照)。
最初からどんどんデザインを任せたい
ーーこれからやってみたいことを教えてください。
僕は入社7年目になりますが、課長としてTryHard Japanの事業拡大を推進する組織づくりに力を入れています。僕が責任を持ってやりたいことは、これまで培ったスキルと実績を後輩に渡していくことです。
“デザインで食っていこう”という熱き志を持った人を採用し、どんどんデザインを任せていきたいと思っています。入社したばかりの方にも、僕の仕事をそのままお渡しできます。TryHard Japanの教育は、挑戦しながら覚えるスタイル。最初から行政関連のデザインに挑戦させてもらえるいい会社なんですよ(笑)。
「デザイン道のはじまりが TryHard Japanでよかったな」とみなさんに思ってもらえるような組織づくりをします!
ーーアーティストになる夢はどうするんですか?
残ってるんですよね、ずっと。あきらめられないですね。デザインと夢がどこかで結びつけられないかと思っています。
人前でギターならすのって、すごく気持ちがいいんですよ。TryHard Japanグループの代表が社歌をつくったので、TryHard Japanのアーティストとバンドを組んで社歌ロックを歌おうと密かに狙っています。ミュージックサーカスのステージで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました! TryHard Japanの風土や働く仲間に少しでも興味を持たれた方は、ぜひご応募ください。社員一同、新しい仲間の登場を心待ちにしています!!