※この記事は2024年10月時点の記事になります。
厨二病って笑われるのを覚悟で言います。僕は一言で言えば、「何者か」になりたかったし、なりたいです。だから、すんでに入りました。
目次
大学編
実業団編
新しい世界を探す編
「すんで」との出会い編
東京そーいちのこれから編
大学編
大学受験の際、弊社の社長も通った某大学に入って、バスケ部で早慶戦に出て、卒業したら商社かディベか、みたいな事をずっと考えていました。結果的に受験は失敗しました。(そりゃ、バスケしかやってこなかったので、受かるわけないですよね)
滑り止めとして進学したAPU、結果的にめちゃくちゃ良い大学だったし、就職先やOBの繋がりも強くて結果的には良かったのですが、当時の僕は無知すぎて、「何者か」になるためにはバスケでプロになるしかないと思っていました。地方下部リーグながら死に物狂いでプレーしていましたし、ストリート界のレジェンドが率いるクラブチームにも入り、そこで出会ったコーチからは考え方や戦術の奥深さ、人間性も学び、バスケットの世界観が広がり、自身の明確な強みも見つかりました。
↓後々入団する実業団と対戦した天皇杯
プロチームのトライアウトに参加し、スポットで活躍する機会はあったものの、関東や関西の有名な大学生プレイヤーに跳ね返される日々(当たり前)。卒業を控え、それでもバスケを続けたくて、フリーターでプロを目指すか、、、と思っていた矢先、実業団を勧められました。
「働きながらバスケットやることにはなるし、縁もゆかりもない福岡の企業だったけど、このままフリーターでプロを目指しても、歳を重ねるごとにプロになれる可能性はどんどん低くなるし、超有名企業だし、伝統ある強豪チームだったし、何より実業団選手の肩書きってなんかカッコ良くないか?」
こんな感じの安直な考えで、無事進路を決定。
就職試験でもバスケットへの愛を語り尽くし、無事新卒で、九州のインフラ会社に入ることになります。
実業団編
結果としては、俺にとってはプロより辛い環境だったかもしれません。(プロの世界を経験してないので怒られそうですが、、、)前提として、実業団のバスケットはレベルが格段に高い。僕はプロの下部リーグより、実業団の方が日本人選手のレベルが高いと思います。下部リーグは給与水準も高くなく、結果として安定した実業団を選ぶ選手も多いため、必然的にレベルが上がります。
正直、何も通用しませんでした!
でも、そんなことはわかっていたし、凹む性格でもないので、毎日の練習も試合も、その環境を存分に楽しめていました。
↓聖地、代々木第二!
ただ、甘い世界ではありません。実業団は実力の世界なので、いつ社業に専念しろ(戦力外通告)と言われるかわからない恐怖もあります。元々実力もなく、怪我をしがちな俺は、来年は選手としていれないかもしれないと感じていましたし、実際にそのような話もありました。プレーしているときはめっちゃ楽しい。だけどそれ以外の時間はいつも、プレーできなくなるかもしれないことが頭に浮かんでしまいます。
この記事を読んでくださっている皆さんは、「バスケットが出来なくなっても安定しているから実業団を選んだのでは?」と思うかもしれせんが、「何者か」になりたい僕にとって、この部分は死活問題でした。
実業団として、日本一になったとしても、国体で優勝したとしても、社業には何も関係ありません。九州を代表する企業であり、地元の人であれば誰もが羨むような企業でしたし、実際働く方々や、環境は素晴らしかったです!
ただ、その環境は俺の望む未来には繋がってはいませんでした。
「俺はこの環境じゃ、俺の望む「何者」にもなれねえ」
会社を辞めることを決意しました。
※実業団の監督、職場の直属の上司の方にはめちゃくちゃお世話になり、お家に呼んでもらって一緒に仕事をしたり、海に連れて行ってもらったり、感謝しかないです!言うまでもなく、実業団の同期は一生の宝です。
↓同期、後輩と!
新しい世界を探す編
会社を辞めることを決意して、いろいろ考えました。プロを目指す?とも考えましたが、実業団の世界で壁にぶつかり、怪我しまくっていた私にとっては現実的ではなかったです。そのような中、最初に思いついたのは、コーチとしてバスケットの世界で成り上がること。大学時代に出会ったクラブのコーチのおかげで、戦術理解、IQの部分に強みを感じていた私にとって、最良の選択だと考えました。
そして昨年5月、実業団の監督には考えついた次の日に、「プロのコーチングを学ぶため、7月のリーグ戦を最後に実業団、会社を辞める」と伝えました。
ただ、プレーヤーとしての人生が終わりに向かって進む中、沸々と疑問が心の中に湧いてきたのです。
「俺、他の世界を知らねえ」
俺はバスケットに育てられたし、多くのことを学んだし、多くの方に出会いました。でも、あくまでバスケットの世界で完結していました。いっそのこと、違う世界でチャレンジして、自分の世界観を広げるなんじゃないかと。スポーツ以外で成功するためには金稼ぐこと、でもどうせ金稼ぐなら、好きなことで生きていきたい。(この頃、何かと炎上しがちのDJ社長に心酔していました。)
バスケット以外で俺の好きなことってなんだろう。都市、街、家、とどのつまり、不動産の世界でした。
「すんで」との出会い編
不動産の世界へ飛び込むことを決定したとき、なんとなくツイッターでフォローしていたすんで埼玉が、このとき目に入ります。実業団を引退したらなんとなく公務員にでもなって千葉の実家近くに家を建てようって考えていたので、大学時代からフォローしていました。
不動産の世界に飛び込むことを決めてから改めてポストを眺めていると、このペンギン、冷静に考えたらめっちゃ面白いこといってるなーと。
調べたら、岡野周平という男が正体だとわかりました。そして、この記事を見つけます。
→ https://note.com/sunde_saitama/n/na3ec8f8386df
「は?なにこれくそおもしろいじゃん?不動産✖️マッチングアプリとか面白すぎねえか?なんだよ岡野周平すげえじゃん、この人の考え方をトレースして、いつか超えられたら、俺も岡野周平以上の「何者か」になれるんじゃねえか!?」
この日、信仰対象がDJ社長からすんで埼玉に変わりました。
そもそも俺は首都圏のいろんな街が好き、その人のニーズにあった街を紹介できるのが理想だと考えていたため、すんでの目指す不動産営業の形にも合致していました。
その日のうちに問い合わせ→翌日午前中に社長と面接→午後に南さんと面接
その場で採用していただきました。一応3日ほど葛藤した気はしますが、速攻で内定受諾し、次の週には北浦和のアパートを契約。7月末の最終出社を終え、下道でのんびり、広島、岡山、神戸、大阪、京都、静岡で遊びながら北浦和に引っ越しを完了。
↓引っ越し中に寄った南禅寺
8月中旬からのすんででアルバイト、9月に正式入社をしました。そんなこんなですんでの仲介マンとして2ヶ月働き、今に至ります!
東京そーいちのこれから編
2ヶ月仕事して、不動産仲介ってめちゃくちゃ楽しい!毎日ワクワクしながら朝起きて仕事に向かっています。お客さんの幸せに、一番近くで触れ合えるのがこの仕事の醍醐味だと感じています。
そんでもって俺のこれからについてですが、、、
俺はすんでのYouTubeチャンネルでも語ったように、一都三県不動産界の王になります。「何言ってんだ?こいつ」って思うかもしれないですけど本気です。
一都三県不動産仲介の王の概念はYouTubeをチェック!
日本には首都圏以外にもいい街はいっぱいありますが、やっぱり首都圏はマーケットとして圧倒的最強なので、これを達成したときは必然的に日本一の男だと思います。
そのためには、やっぱりいつかは尊敬する先輩たちや社長を越えなきゃいけねえ(少年漫画的思想で生きてます)。
ドラゴンボールで言えばおれは孫悟飯、弊社にはピッコロさんもカカロットも、もちろんベジータもいます。
ちなみに現時点の俺は、多分サイヤ人襲来に向けて荒野でピッコロさんに修行をつけられている孫悟飯です。一応入社2ヶ月で2件契約は取れたので、恐竜を倒して岩を砕くくらいの戦闘力はついたかなと思います。ドラゴンボールの孫悟飯はみんなに愛されています。
俺も皆さんに愛される仲介マンになれるよう、これから頑張ります!
このような厨二病的発信は今後もするので、ぜひイラッとせずにチェックしてもらえると嬉しいです!!!