なぜ慶應生だった彼は、観光M&Aの世界に飛び込んだのか? ~代表松間が語る「人の喜び」を創るという原体験~ CEOインタビュー#1
なぜ慶應生だった彼は、観光M&Aの世界に飛び込んだのか?代表松間が語る「人の喜び」を創るという原体験
松間 悠介(まつま ゆうすけ)/ 株式会社日本観光開発機構 代表取締役
茨城県つくば市出身。慶應義塾大学法学部在学中に株式会社日本観光開発機構のの前身であるNEXTMELIUSを創業し、飲食店経営やマーケティング支援事業を展開。その中で日本の観光業が持つポテンシャルと課題に着目し、観光事業に特化したM&A仲介および事業開発を手がける現法人を立ち上げる。
日本の観光・宿泊業界において独自のポジションを確立しつつある、株式会社日本観光開発機構。インバウンド需要の追い風を受け、観光関連施設のM&A(事業承継)を軸に、業界の活性化を目指す新進気鋭のスタートアップだ。
なぜ彼は、この複雑で大きな可能性を秘めた市場に挑むのか。その事業哲学の根源を探ると、意外にも、泥だらけのグラウンドと学校の会議室で過ごした日々に辿り着いた。
今回は松間の学生時代に焦点を当て、彼のリーダーシップと「人の喜びを創る」という信念が、いかにして育まれたのかを紐解いていく。
全体を俯瞰し、仲間を支える。ビジネスの原型は「キャッチャー」にあった。
――本日はよろしくお願いします。松間さんのビジネスの考え方を知る上で、学生時代の経験が重要だと伺いました。まずは、熱中されていたという野球について教えてください。
松間: よろしくお願いします。そうですね、中学・高校と野球部に所属していました。ただ、僕がいた高校の野球部は、僕らの代が入るまで一度も公式戦で勝ったことがないようなチームでして(笑)。
それでも野球が好きでしたし、なんとか勝ちたいという一心で練習に打ち込んでいましたね。ポジションは様々な要因でピッチャーやセンターを経て、最終的にはキャッチャーに落ち着きました。
――キャッチャーを選ばれたのには、何か理由があったのでしょうか?
松間: 正捕手の部員が離れなければならず誰かがやらない状況でした。当時の監督から全体を見渡せる松間にやってほしい。と懇願され受けることにしました。
ピッチャーが調子を崩してストライクが入らなくなった時、一番近くで声をかけ、励ますことができる。決してめげずに、どんなボールでも後ろにそらさないという気概が大事なんです。
それに、キャッチャーはただボールを受けるだけではありません。バッターの癖や構えを見て、「このバッターなら、外野は少しライト寄りに」とか「前進守備にしよう」とか、常に頭を働かせて、仲間一人ひとりにサボらず指示を出し続ける必要があります。
――その経験は、現在のM&Aの仕事にも通じるものがありそうですね。
松間: まさしくそうですね。M&A仲介は、売り手様と買い手様、双方の想いや条件を深く理解し、全体を俯瞰しながら最適解を見つけ出す仕事です。
特に、長年大切に事業を育ててこられた売り手様は、大きな決断を前に不安な気持ちを抱えていらっしゃいます。そんな時、私たちがピッチャーを支えるキャッチャーのように、その心に寄り添い、励まし、最後まで伴走することが何よりも重要だと考えています。
また、複雑なデューデリジェンス(資産査定)や交渉の過程では、些細な確認や指示を怠ると、ディール全体が頓挫しかねません。**グラウンド全体を見渡し、仲間を信じて的確な指示を出す。**あの頃の経験が、今の仕事の基礎になっているのは間違いありません。
約束は、必ず守る。100人の仲間の「当たり前」を、当たり前にするために。
――野球だけでなく、生徒会長も務められていたと伺いました。
松間: はい。僕のいた学校は、市役所から選挙ボックスを借りてくるような、かなり本格的な選挙をやるところで。中3の時に立候補して当選し、高1で先輩たちと活動した後、高2で会長になりました。
――会長時代に、特に力を入れていたことは何ですか?
松間: 「公約を守ること」、ただそれだけです。実は、僕が知る限り、歴代の生徒会は選挙の時に掲げた公約を実現できていなかったんです。でも、選挙で選んでもらった以上、託された想いに応えるのは当然の責任じゃないですか。それがおかしいなと思って。
例えば、生徒から「指定のカバンが重くて体に悪いから、リュックを解禁してほしい」という声がずっと上がっていました。他にも「生徒会が何をやっているか分からない」という不満に応えるための掲示板設置や、校舎の4階にだけなかった共用ゴミ箱の設置など、一つひとつは小さなことかもしれません。でも、それらは生徒みんなが「こうだったらいいのに」と願っていたことなんです。
――それを実現するのは、簡単ではなかったのではないでしょうか。
松間: もちろん、先生方の許可が必要なことばかりなので、簡単ではありませんでした。何度も職員室に足を運び、粘り強く交渉しました。生徒会メンバーにも「まずは僕たちが模範となって、先生方から信頼してもらおう」と呼びかけ、1年間、規律を守り抜きました。
その結果、僕たちの代の最後に提出したリュック解禁の議案が、先生方の協力もあって、翌年から実現したんです。
この時、**「自分たちが本気で考え、行動したことが形になって、仲間たちが喜んでくれる」**という、強烈な原体験を得ました。これが、僕が「事業を創りたい」と思うようになった、一番のきっかけですね。
慶應への進学、そして起業へ。一貫して持ち続けた「人の喜びを創る」という想い。
――その原体験が、大学進学や起業に繋がっていくのですね。
松間: はい。高校時代から「将来は事業を作る側に回りたい」と公言していました。そのために、全国から面白い人材が集まるだろうと考えて、戦略的に慶應大学を選んだんです。そして、その狙い通り、入学式で出会ったのが共同創業者である千葉(取締役)でした。
大学時代は、飲食店経営やマーケティング支援など、様々な事業に挑戦しました。六本木のバーでアルバイトをしていた時、自分たちが提供したサービスでお客様が目の前で笑顔になってくれる光景を見て、**「やっぱり自分は、こういう実態のある商売で、人の喜びを分かりやすく創り出せる仕事がしたいんだ」**と確信しました。
――そして、観光M&Aという現在の事業に辿り着くのですね。
松間: はい。前身であるNEXTMELIUSで多くの中小企業オーナーを支援していましたが、事業承継に悩むオーナー様、そして日本の素晴らしい施設や文化に触れたいと願う国内外の投資家様が多いと感じました。また共同創業者の千葉は「海外と日本を繋ぎたい」という強い想いも持っていました。
まさに観光資源が豊富な日本でやるべき事業だと感じました。
売り手様から託された大切な事業(ボール)を、責任を持って受け止める。そして、買い手様という最高のパートナーに繋ぎ、その先の未来まで見据えて、新たな価値を創造していく。
難しい仕事ですが、そこには計り知れないほどのやりがいと、人の人生に深く貢献できる喜びがあります。
――最後に、この記事を読んでいる候補者の方へメッセージをお願いします。
松間: 僕たちの仕事は、単に不動産や事業を右から左へ流す仕事ではありません。一つひとつの案件に、オーナー様の人生や従業員の生活、そしてその地域の未来がかかっています。
その重い責任を背負い、お客様の「ありがとう」という言葉を何よりのエネルギーに変えられる方。そして、僕が学生時代に感じたような**「誰かの喜びを創り出すことへの純粋なワクワク感」**に共感してくれる方と、ぜひ一緒に働きたいと思っています。
会社はまだ創業期。まさにこれから、一緒に歴史を創っていく仲間を求めています。あなたの経験を、日本の観光業を、そして誰かの人生を輝かせるために、ここで活かしてみませんか。ご応募、お待ちしています。