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システム事業部 最初の10年

そーいえば、昔は会社説明会で受ける定番の質問に
「MとSはなんの略ですか?」というものがあったけど最近聴かれないな。
自分も気になって創業社長(上の写真)に聞いてみた事があるんですが

”M”anagement
”S”ystem

だそーです。

じゃあ、
システム開発会社なのに"コンサルティング"はどーして?
創業当初はITコンサルティングを目指していた?
と聞くと

当時コンサルティングという言葉が流行っていたから
というガッカリ発言、、、

ちなみに創業社長(天然)のイニシャルは「M」
一緒に起業した専務(暴君)のイニシャルが「S」
なんですね。。。

社長が会計と営業出身で、専務は前職何だったんだろう?
確実なのはSEでもプログラマでも無いって事。
なんでシステム開発会社なんか作ってんの・・・

​​自分がエムアンドエスには入社した平成4(1992)年はバブル崩壊の初期だったと思います。
当時はネットを使った求人なんてものはなくて紙媒体での求人の時代
求人雑誌を買ってプログラマ募集のページを開くと見開き2ページしか無いというような就職氷河期

エムアンドエスは10名程度の会社で
大手SIerからの下請け孫請けでSEプログラマを貸し出す、
今で言うと、SES(System Engineering Service) タイプの企業でした。

前述の通り、社長も専務もシステムの素人・・・
現場に行ってみると事前に説明を受けた内容と違い過ぎるーーーー!
そんなことやったことも無いです!って仕事に経験者としてアサインされる理不尽・・・
しかし、天然社長は「???」という事が日常茶飯事だった。

この時代、一部の社員を除いて3~6ヶ月でアサインされるプロジェクトが変るので
システムの全容は見えないし、業務知識も覚えたころには別のプロジェクトへ・・・のジプシー状態で
いわゆる、派遣と変わらないじゃんという仕事の仕方だった。

前職で結構テクニカルなプログラムを組んでいた自分は10-20年前にタイムスリップした?
と思うほど、古臭いコーディングで、作ったままの動かないシステムのメンテナンスにウンザリ。
配列使ってプログラム書いたら、顧客のシステム責任者に「他のメンバが理解できないから書き直して」と言われて、変数400個定義して、IF400個書かされた時には、マジ、タイムスリップしたか?と思った。

​システムによっては
個別の仕様書が存在しないだけでなく、ファイル一覧や項目定義も無いシステムって・・・という
デスマーチ必須のシステムもあることも驚いたが
それを、こんなもんだよねー、仕方ないよねー、でスルーしているエンジニアにも驚いた。なんてゆーか、こーゆー仕事の仕方をしていると責任感とか向上心って持っても無駄って気持ちになる。

​で、バブルが完全崩壊する。
元受けのSIer企業は、自社の社員の食い扶持を優先させるので下請け会社は、仕事がなくなってしまった。

​ウチも暇だった。。。が、1社だけ直接取引の顧客があったんですよ。
この顧客が細々ではあるけれど仕事を出し続けてくれたことが
今のエムアンドエス@システム事業部の礎のカケラ。

(つづく)

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