『プラダを着た悪魔2』を観ました。
初回の「プラダを着た悪魔」を観たのはなんと20年前とのこと。
スクリーンの中で誰かの夢と現実がぶつかり合う。映画を観ながらふと自分(代表 籔井)の20代を思い出してしまい、あの頃の自分は今の自分を想像できていたかというと、全然違う。ほとんどの人がそうだと思います。
5月になってインターンや就活を考え出す学生さん、社会人になりたての新社会人、すでに若くして起業されてる方、30代前後でキャリアを考える方、40代50代になって、
さて、これからどうしょうかと、ちょっとモヤッているという方に少しでも参考になればと思いnoteしようと思いましたが、5月6日で誕生日を迎えたので自分の振り返りもかねて書き留めます。
それでも、現実はやってくる
フェンダーの赤いギターとアディダスのバックを片手に故郷の福岡から上京して、バンドをやりながらバーを経営していたのが僕の20代です。
当時はどうみてもポンコツでした。
バーの売上管理はノートへの手書きでざっくり、売上は安定しないし戦略という言葉すら知らない、酔った新規のお客さんに札を投げつけられたり、朝4時閉店でその後は朝まで飲みの生活、経営なんて完全に素人。
仕込みのために氷屋さんに氷を買いにいったり、良い香りのするライムを探しながら頭の中では曲作り、またライブの翌朝、バーなのに酒の弱かった僕は二日酔いでまた仕入れに行く、そんな日々。
それでも「渾身のジントニックを飲みに来た」と僕のバーにわざわざ足を運んでくれるお客さんがいて、ライブに来てくれるファンがいました。お金や安定とは程遠かったけれど、あの頃の充実感は本物だったと思っています。
※ちなみにジントニック、ライム・氷・トニックウォーター・グラス、そしてステアだけだけどだからこそ奥が深い。
外から見ると好き勝手やって楽しそうな奴と思われていましたが、その前後の道のりは、後から自分で振り返ると割とタフだったと思います。
22歳の時、高校からの親友であり夢を誓ったバンドメンバー(彼はシド・ヴィシャスに憧れてたベーシスト)だった人間を交通事故で突然失い夢も失いかけ、死を知る。
不治の病と言われる潰瘍性大腸炎になり「無理はしてはいけない」というテンションが下がりまくるお医者さんからのアドバイスをもらったり。
上京後、飲食業界にいた先輩・仲間たちは厳しい現実に飲み込まれていくのを間近で見ていました。精神的にもきつい時に地元福岡で高校時代の友達の結婚式に招待されていましたが「ぶっち=無断欠席」してしまう。
他にもここには書ききれないことがありながらも、次へ進むたびに、自分だけ違う道に進んでいることへの罪悪感みたいなものも、しばらく抜けなかった気がします。
音楽を諦めてサラリーマンになってからも、銀行振り込みではなく手渡し封筒で給与が支払われ、たまに金額が間違っていたり。
転職も何度かし、数字や営業職が本当に苦手で毎月の数字と向き合うたびに心が締め付けられる思い。
マネジメントを任されてからは、また別の壁。
人と向き合うことの難しさを痛いほど学びました。起業してからも、PMFせず資金が底をつきそうな夜は一度や二度ではありませんでした。
コンプレックスが、一番活きる
ただ正直に言うと、できれば経験したくなかったことほど、今に繋がっています。
それがリアル、最近よく言われる”好きなことを仕事に”とは真逆。
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